2022年04月24日

活元あるいはウンコのススメ[FB]

2022年3月 愉気の会
「活元あるいはウンコのススメ」

今月の愉気の会は、活元(かつげん)運動についてお話ししました。

野口整体の基本のメソッドである活元運動は、「錐体外路系運動の訓練法」と呼ばれます。

それは何かというと、私たちが無意識のうちに動いている動き、つまり内臓の運動や反射的な動きなどの無為運動を活発にするための訓練であるということです。

私たちの重要な生命活動のほとんどが、意識していない運動であることを考えると、その部分を訓練することが非常に大切であるということは容易に想像できますが、意識していない部分だからこそ、その訓練というのがまた難しくなってきます。

心臓の拍動を早くしてみたり、肝臓の解毒能力を上げてみたり、腸の蠕動運動を速くしてみたり、皮膚の排泄能力を高めてみたりといった、そんなことはなかなか意識してできませんからね。

あるいは私たちが意識して動かす部分である腕や脚といった随意筋の部位でさえも、意外と動かし切れていないのが現実なのです。

どういうことかというと、動こうとしているからだの部位に、私たちの意識がブレーキをかけてしまう、といったことが非常に多く起きているのが現代人の生活だということです。

私たちの現代生活が、いかに多くのからだの本能的な運動を抑制することで成り立っているか、考えてみれば分かります。

人前だろうが急に大声を上げて踊り出し、素敵な人を見かけるや否や抱きしめて顔を舐め、イヤな奴はぶん殴り、お店の美味しそうな食材をその場で食べ始めて、気が済んだらその辺でゴロリと横になって、ところ構わず排泄する…。

上記の行動はすべて本能に忠実なだけですが、みんながそんな身振りをし始めたら社会は破綻しますね。

そんなことにならないのは、私たちが自身の行動に抑制をかけ、コントロールしているからです。

それは私たちの社会が成立するために必要な身振りなわけですが、でも間違えてはいけないのは、「上記の行動はすべて間違っているから止めなくちゃいけない」訳ではないということです。

つまり、上記のどの行動もそれ自体が間違っているわけではなく、行動する「時と場所あるいは方法」いわばTPOが間違っているのであって、それらが満たされた上ならばやって良い、あるいはやった方が良い、ということなのです。

人間は大声を上げて踊って良いし、好きな人を抱きしめてキスして良いし、イヤな奴を法に触れない方法(?)で殴って良いし、美味しい食べ物を何でも食べて良いし、ゴロリと横になって良いし、好きに排泄して良いのです。

それら内から湧いてくる要求を、現実社会においていかに表出してゆくのか、それが私たちが考えなくてはいけない課題なのです。

そのある種の自己検閲があまりに強固に自動化しすぎて、自分が何をやりたいのかも分からなくなってしまっているような、そんな状態になってしまっている人も少なくないのが現代です。

出すべきものが出せなくなって、あちこち強張っている。

だから、そんな人に活元運動。ということなのです。

「抑えなくちゃいけない」「我慢しなくちゃいけない」「こんなことはイケないことだ」、そんなことを考えて悩んで縮こまっているならば、私は「違うよ」と言います。

出して良いんです。出せば良いんです。

考えなくてはいけないのは、その「出し方」です。

誰だって「社会的にそれはいかがなものか?」というような要求を持つことくらいあるでしょう。人間だもの。

私だっていくらでもありますよ。ヤベーこと考えちゃったりしますよ。誰だってからだの中にウンコはあるんです。

「私の中にこんなイケないウンコがあるなんて…」なんて悩まなくて良いですよ。みんな言わないだけで持ってますから心配しないで。

ということで、今回は森山直太朗さんのとっても素敵な「うんこ」の歌のリンクを貼って終わります。私は地味にツボりました(笑)。

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消化器人間とか呼吸器人間とか[FB]

2022年2月 愉気の会
「消化器人間とか呼吸器人間とか」

今月の愉気の会は、体癖と内臓の感受性についてのお話をしました。

体癖論というのは野口整体の人間分類法で、体勢や焦点や感受性の違いなどからその人間の傾向を観察するメソッドなのですが、私はそれを内臓プロセスという観点から考えてみるということをお話ししました。

たとえば、左右型と呼ばれる体癖は消化器に特徴があって、食べることが大好きだったり、好き嫌いの感情が強かったり、みんなと仲良くワイワイやるのが大好きだったり、片付けが苦手だったり…といった大まかな傾向があるのですが、それを消化器という内臓プロセスの拡大として見てみると、いろいろ腑に落ちる部分があるということです。

たとえば、好き嫌いという感情は消化器にとって毒や腐った物をいち早く排除する防衛本能だし、みんなと仲良くワイワイやるのはみんなを自身の中に取り込んで一体感に浸る食後の至福の瞬間だし、片付けが苦手でバッグや押し入れの中がグチャグチャなのはそれこそまさに胃袋そのものだし…と、まあ言ってしまえば左右型というのはつまり「消化器人間」なのではないかと、そんなことを思うわけです。

それはもちろん他の体癖にも言えて、さながら脳神経が歩いていたり、呼吸器が歩いていたり、泌尿器が歩いていたり、骨盤生殖器が歩いていたりするというわけなのです。

そのように捉えてみると私の中では非常に腑に落ちる部分があるのですが、もちろんきわめて感覚的で大ざっぱな見方ですから、これはもう少し語り口を磨き、深め、そして整えてゆくことが必要だなとは思っています。

この見方は、私の中にある「動詞で世界を観る」方法の体癖バージョンのワークでありまして、体癖を動詞で見ていったら何だかどんどん内臓に見えてきたということなのです。

ただこのまま突き進んでいくと、私が何を言っているのか誰にも理解してもらえないファンタジーの領域にまで突っ込んでいってしまうので、その手前の境界線はつねに忘れないようにしたいと思います。

…ということで、だんだん人間を観たときに「ヒトとしての姿の輪郭」がおぼつかなくなってきているような気がする今日この頃です。

世界はさまざまなレイヤーの重なったミルフィーユのようで、その彩り豊かな一層一層の深度に合わせて見つめてみると、世界というのはなんて豊かなんだろうと感嘆させられるばかりです。

世界は、見方によって七色に輝き、どの色もまた本当に美しいです。
posted by RYO at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | Facebookアーカイブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【動画】山上亮さんの寺子屋

「【動画】山上亮さんの寺子屋」

先日、マインドフルネス・ビレッジで行なわれた「山上亮さんの寺子屋」講座が、無料公開されました。

「マインドフルネスと整体の共通点について」ということをテーマに90分ほどお話しさせていただきましたが、いつものように話はあちらこちらに拡がって、「共感と反感」とか「現代の冷えという課題」とか「ミラーニューロンと幽体離脱」とか「どこまで私なのか」とか「先駆的な追体験」とか…何だかいろんな話をしてしまいました。

参加された皆さんにどこまでご満足いただけたのか分かりませんが、「スバラシイ内容でした」というご感想もいただけたので、まあ良かったのかも知れません。

でもプログラムの名前が「山上亮の寺子屋」ですからね。山上亮がいろいろ考えていることを語り尽くすという感じでも良いだろう…と自分自身に言い訳して、「良かった」ということにしておきます。

ということでともかく「山上亮の寺子屋」第1回は、誰でも無料で視聴できますので、ご興味ある方はお時間ある時にぜひご覧になっていただければと思います。

またぜひ「マインドフルネス・ビレッジ」の方も、ご興味持っていただければ嬉しいです。


山上亮さんの寺子屋 from Teachers on Vimeo.

posted by RYO at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | Facebookアーカイブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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