2014年04月10日

昔記事の掘り起こし

相変わらずブログの更新が滞っているけれど、どうぞご勘弁。
お会いした方たちから「ブログ楽しみにしてます!」なんて言われると、たいへん嬉しくありがたいのだけれど、そんな現状なので「なかなか更新できなくてすみません…」と平謝りするばかりである。

ブログを始めた2005年(!)当初は2日に1回、3日に1回くらいのペースでわんさかアップしていたけれど、今思えばよくそんなに書くことがあったものだと呆れてしまう。

まあその頃は今のようにあちこちで講座をやって人前でベラベラとしゃべることもなく、弟子として師匠のお手伝いを黙々とこなす日々であったので、しゃべりたいことが山ほど溜まっていたのであろう。
だから私はそれをあるときふと思い立って、ブログで吐き出し始めたのだ。

寡黙な青年だったヤマカミくん(まだ20代だったからね)はこれでもかと言わんばかりに書き散らし、その中でさらに思索の深まることもあったし、また新しい出会いがあったりもした。

けれども最近あちこちで講座を行なっていろんな人の前でしゃべるようになったら、講座の中で言いたいことを言っているせいか、あまりブログで吐き出そうという勢いは無くなってきた。

それで書こうと思ってパソコンの前に座ってもなかなか言葉が湧いてこないので、ふと昔のブログの記事を読み返してみたりなどすると、我ながらなかなか面白い考察をしていて、思わず懐かしみを感じながら引き込まれて読んでしまう。

そして結局記事を書かないままに一日が過ぎてしまうのだ。済まぬ。

まったくテメェでテメェの書いた文章に引き込まれて読んでいれば世話はないのだけれど、自分の本をときどき引っ張り出してはパラパラと目を通し、「イイコト書いてあるなぁ」と癒やされてしまうような人間が私であるので、もう仕方が無い。

それでブログの更新も実際なかなか進まないことだし、これから毎回記事をアップするときに、その時々でふと思い立った古い記事にリンクを貼って、ちょこっと文量増加の足しにしようかと思う。

以前から読んでいる方は「ああ、こんな記事があったな」と思って懐かしく思い出していただければ良いし、初めて読まれる方は「おお、こんなことも書いていたんだな」と楽しんでいただければと思う。
今回はこんな記事。

●2008年1月12日記事『からだゆるし』


posted by RYO at 22:43| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月01日

自然の幾何学とアーカイブ

「みなさん新年あけまして…」と言いたいところなのですが、私は昨年末に身内を亡くして喪中の身でありますので、「今年もよろしくお願いいたします」とだけ申し上げておきます。

このブログもここ最近は忙しさにかまけて全然更新できておりませんけれども、それでも細々と着々とここまで続けて参りました。

これもひとえに読み続けてくださった方々のおかげであります。

重ねて御礼申し上げます。


さてさて、新年最初の更新は、毎回恒例となった動画の紹介でいきたいと思います。

いろんな動画をざっと見返しつつ今年のテーマは何にしようかと悩みましたが、今年のテーマは「自然の生み出す幾何学模様」ということで決めました。


それではさっそく一本目。

まずは自然の美の公式「フィボナッチ数列」から。

「フィボナッチ数列」は自然界のあらゆるところにひそんでいる数列で、「きれいだな」と思う自然の造形の背後によく見つけることができます。


お次は地球の海流図。

どこで見つけた動画なのかもすでに定かではありませんが、なかなかすごい動画です。

いったいどうやって海流の流れなど捉えたのでしょうか?

海流の流れというのは世界の海を駆け巡っているのですね。

ウネウネしていてなんだか気持ち悪くもありますが、まさに「地球は生きている」という映像です。


そして最後は二本立て。

どちらも音の生み出す幾何学模様です。

鉄板の上の砂によって描き出された波模様というのは、いわば音と鉄板との出会いのアーカイブです。

一つの音楽がレコードの溝に波模様として刻まれていくように、音を拾って刻み込まれた音の記憶。

しかるべく再生装置にかければ、鉄板上に描かれた砂の波模様はたちまち一つの音楽を再生することでしょう。


地球上のあらゆるモノは何かと出会うたびにわずかに摩擦を起こし、震動となって音を奏でているけれど、その音は必ず何らかの模様となって痕跡を残している。

もしそれを再生できる装置があれば、その痕跡から再びすべての出会いが美しく軽やかに再生されていくはず。

地球上のあらゆるモノはあらゆる出会いのアーカイブ。

一枚のレコードが、そこに刻まれた音楽の模様を読み解く者によって再生される日が来るまでただ沈黙しながら在るように、地球上のあらゆるモノたちもいつかそこに刻まれた模様を読み解く者によって、その記憶を美しく再生される日を待っている。


どうぞみなさんも今年一年、美しい出会いをその胸に刻み込んでいけるよう、お祈りいたしております。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


posted by RYO at 23:38| Comment(11) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月16日

まっすぐに風立ちぬ

気づけば10月も中旬。

ということは夏休みが終わってからもう1ヶ月半も経っているということである。

う〜ん、時は加速して過ぎてゆく…。


この夏は映画「風立ちぬ」を観てから、その影響で子どもと飛行機三昧の夏を過ごした。

長野で出会った26年グライダー作りをしているというヒコーキおじさんに、重さわずか4gほどというバルサで作れるグライダーの作り方を教わり、久しぶりの模型工作に興じていたのだ。

これがその英姿。



ホントに軽くて、そして恐ろしくよく飛ぶ。

手で持って空気に乗せるように押し出すだけでもふわーっと軽く飛ぶし、太い輪ゴムに引っかけて打ち放すように飛ばせば軽く10mくらいは舞い上がって、そのまますーっと30秒以上は滞空しながらゆっくりと舞い降りてくる。

いや〜、美しい。

そのさまは何とも優雅で、バルサの白木色が蒼い秋空によく映える。

おじさんが20年以上もヒコーキづくりにハマってしまうのもよく分かる。


ところで映画「風立ちぬ」は、我が家では子どもも含めみな絶賛の高評価だったのだけれども、世間的にはずいぶん評価が分かれているようである。(子どもはとにかくヒコーキばっかり見てたけど)

まあたしかにこの映画、「親切な説明」というものはほとんど無いし、お話自体のクライマックスというものもよく分からないし、何の物語なのかもよく分からないし、最後も「ん?それで?」と思ってしまうくらい淡々とした描写である。

零戦の設計者が主人公というからその飛行機づくりがテーマなのかと思いきや、どうもそれが映画の主題なのでは無い、というトリッキーな物語構成に多くの方が戸惑ったことだろう。

前作の「崖の上のポニョ」を観たときも、「すごい作品を作ったものだ」と驚かされたのと同時に「これって一般に受け入れられるのかな?」という不安を抱いたが、今回の「風立ちぬ」もそれと似た印象はたしかにあった。


けれどもそういう映画に抱いた客観的な印象と、個人的に好きかどうかという評価とは別のものであって、私自身は「風立ちぬ」は好きである。

何がって、とにかく次郎の「まっすぐ」である。

主人公の次郎のまっすぐさは、幼少期のエピソードに始まり、ことあるごとにくり返し描かれているが、宮崎監督はあの「まっすぐ」を描きたかったんだと思う。(と思っていたら、まったくその通りのことを企画書に宮崎駿本人が書いていた)


宮崎監督はとにかく「まっすぐ」を描きたかった。

だが、次郎のそのまっすぐさは、妹の加代には「薄情」と呼ばれ、親友の本庄には「マンネリズム」と呼ばれ、上司の黒川には「エゴイズム」と呼ばれ、劇中の人物の口を借りて、たびたびボロクソに言われている。

次郎はどれも否定しないし否定できない。本人が「その通りだ」と思っているからだ。

次郎本人も最後のシーンで「最後はボロボロでした」と言っているが、だが次郎あるいは宮崎駿にとっては「それでもなお」なのである。


「芸術は爆発だ!」のフレーズで有名な岡本太郎は、スキー場に行けば直滑降しかしなかったそうだし、車の後部座席に座っていても顔は運転手より前に出ていたそうである。しかも赤信号で止まると「止まるな!進め!」とどなりつけたというから、その「岡本太郎っぷり」たるや筋金入りである。

岡本太郎もまたまっすぐな人であったが、次郎のまっすぐっぷりはそれを彷彿とさせる。


私が一番印象に残っているのは、結核の療養所を抜けだして会いに来た婚約者の奈緒子を、次郎が抱き止めながら「帰らないで」と口に出すシーンだ。

病院を抜けだしてきた重病人に「帰らないで」とは、あんまり素直でまっすぐすぎる。

薄情でエゴイズムと言われても仕方が無いだろう。

でもその「まっすぐさ」が美しいのだ。

次郎自身が自分の業をすべて知りながら、「それでもなお」のまっすぐが美しいのだ。

宮崎監督はなんだかややこしくなりすぎてしまった今の時代に、こんなまっすぐさを描きたかったのだと思う。

まっすぐ生きるなんて、どう考えたってボロボロになっていくしかない。

それはホントにホントに大変な生き方であって、自分自身がそんな生き方をしたいとは思わないけれども、でもその在り方に美しさを感じないではいられないのも、また事実である。


「風立ちぬ」。「何の映画か」と言われると何とも答えに窮するが、「どんな映画か」と言われれば「まっすぐを描いた美しい映画です」と私は答える。

それはやはり主題歌通り、「ヒコーキ雲」のような映画であるかも知れない。

posted by RYO at 21:32| Comment(13) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする