何か文章を読んだ人が自分なりの解釈をしたときに、その解釈が「正しいか、間違っているか」を問うことはあまり意味がない、 と私は思っている。
むしろ重要なのは、その解釈が「豊かか、貧しいか」ということであろう。
たとえば私は、このブログの文章をなるべくあんまりすっきりしないように、決定的、断定的にならないように、 と心がけて書いているのだが(でもムズカシくてできていない)、 それは読み手の解釈をできるだけバラエティーに富んだものにしたいからである。
私の文章は「誤読」に対して開かれている。
私の文章に「正しい解釈」というのは「正しく」言うと「無い」。
というのもまたホントは正しくない。というのもまた…(終わらないな、やめよう)。
私の言葉は私の口から出た瞬間、もはや私の言葉ではない。言葉が発せられた瞬間、私もまたその言葉の聴き手の一人になるのである。
語られた言葉に意味を見出すのは聴き手である。
だから、私の言葉に対する私の解釈は、あらゆる解釈の可能性のうちの一つに過ぎない。
書き手による「正しい解釈」というものが無いのだとすると、正確に言うと「誤読」というものもまた無いわけなのであるが、 先ほど書いたように、その解釈が「豊かなもの」であるか「貧しいもの」であるかという違いはありうる。
「つねにあるひとつの理論に帰結する」とか「理論の齟齬ばかりを探す」とか「悲観的にしか受け取れない」とか、「貧しいフィルター」 を通してしか物事を捉えられない人というのは、確かにいる。
そういう人たちには、
「どうせ人間は『主観』というフィルターを通してしか、物事を見ることができないんだから、できうるかぎり発展的で、開かれた、 豊かなフィルターを作り上げて、それを通して言葉や世界を解釈するようにしたほうが、人生愉しいと思わない?」
と、私は言いたい。
私が、私の文章を読んでいただくことでみなさんに望んでいるのは、私の文章を見事なまでに「誤読」して、
書き手である私ですら思いもつかなかったような解釈を私の文章に見出し、より「豊かな勘違い」をしていただくことである。
そして、さらにそこからますます話が発展して、いまだかつて誰も思いつきもしなかったようなモノがつぎつぎと生まれてきてしまう、 というようなことが起こったとしたら、こんなに愉快で楽しいことは無い。
そんな「創造の場」の立ち上がりの一助を担うことができる、ということが私にとってもっとも光栄なことであり、嬉しいことなのである。
自分の知らない自分の魅力に気づいてくれる、あるいは気づかせてくれる人がいるなんて、誰にとってもこんなにシアワセなことはない。
ましてやそれが異性であれば、
「あぁ、私ってそんなに素敵な人だったのね。知らなかったわ。こんな私でも生きていて役に立てているのね。 気づかせてくれてありがとう。あなたって素敵ね。」
という感じで、「恋がはじまる」というのが世間一般における一つのセオリーである。
私はいまいち実践で生かしきれていないので、そのセオリーをいまだしっかりと検証できていないが、昔、雑誌の「恋愛必勝テクニック」 みたいな記事に、「相手の気づいていないところを褒める」とか書いてあった記憶があるので、おそらく正しいのであろう(笑)。
(しかし、最近の雑誌は「本カノ」とか「マジカノ」とか、「彼女が何人かいる」あるいは「テキトーに付き合う」 ことが普通であるという前提で語られていることに「時代」を感じる。ところで恋愛って勝ち負けか?)
それに、相手のさりげない一言を「豊かに誤読」してしまうことによってはじまる恋、というものもあろう。
お互いの「誤読」がかみ合えば、それは「めでたしめでたし」である。
それで新しい命が生まれるわけだから、世の中オモシロイ。
だから、このブログを読んでくださっているみなさんには、ぜひぜひ、より「豊かな誤読」をバンバンしていただいて、「おぉ、
私はそんな洞察力あふれる知見を無意識のうちに述べていたのですか。」とびっくりしてみたり、ときには「そうなんだよ。
まさにそのことが言いたかったんだよ。よく気づいたね、キミ。ハハハ。飯でも食うか?」といった知ったかぶりもさせていただきたい、
と思っている。
そして、その「誤読」を私がまた「誤読」して、というやりとりから、何か新しいモノが狭間に立ち現われてくるのである。
もしも万が一、そのような「誤読」のやり取りから何か新しい画期的な物語の「誕生」ということにでもなったとしたら、みんなの新しい 「言葉の誕生」を言祝(ことほ)いで祝いの祭りを催し、ぜひみんなで祝杯をあげたい、とこのように願っている次第なのである。
みなみなさまにかしこみかしこみもうす。



自分という枠を越えるにはそういう、自分以外のものの力が必要なんじゃないかと思っているので、「豊かな誤読」大礼賛します。
私が興味を持っているダンサーは、練習中、メンバーが振り付けをまちがったときも「あっ、そっちがおもしろいからそれ採用」と取り入れるそうです。
なんでもあり、というか、偶然の産物すらも味方にしていく、といいますか。
RYOさんのブログを拝見してそのことをぱっと思い出し、そうか、それを豊かさと呼ぶのか、とひとつ腑に落ちました。
私もそんなふうに心がけて豊かに多彩にたのしく行こう、とも思いました。
「偶然の産物すらも味方にしていく」って大事ですよね。
世界のクロサワ、黒澤明監督の言葉に、
「悪魔のように繊細に、天使のように大胆に」
っていうのがあるんですけど、「偶然の産物を味方にしてしまう」ということと通じるような気がします。
準備は、悪魔が人間を誘惑するときのように繊細に行い、
行動は、天使が人間の前に姿を現わすときのように大胆に行なう。
実は、私の大胆なまでのでたらめさは、悪魔のような繊細さに裏打ちされているのですよ。ふふふ。(ということにしておく。)
小さな宿題をもらったみたいにしばらくそのことを考えている。
また「気になって」ブログに行く。
(「ブログ」を「彼女のいる所」に変えたらそれはもう・・・)
いやはやRYOさんの思う壺でしたね。
「豊かな誤読」を楽しみます。
ってか、もうすでに誤読?
ふふふ、「思う壺」お買い上げありがとうございます。
お代は、税込み105万円になります。
月々3万円からの36回払いも受け付けておりますので、
そちらのご利用もぜひどうぞ。
「恋愛必勝テクニック」実践あるのみ。日々是精進!(笑)
そうして、まんまと恋におちたらご喝采。
最近、失恋したばかりなんで、ワタシも次は相手を褒めまくってみたいとオモイマス。
気づきませんでしたか。 それは残念でしたね。
そうして、まんまと肥に落ちてご喝采。
気づかせてくれてありがとう。先生って素敵ね。」 はい、ご喝采。
「誤読」が旨く噛み合って、その狭間に何やら怪しいモノがぷくぷくと…
これぞ噛み酒。あぁ、今宵も酔っ払い。
ぷくぷくぷく。
誤読のスキマに泡が立つ。