2022年3月 愉気の会
「活元あるいはウンコのススメ」
今月の愉気の会は、活元(かつげん)運動についてお話ししました。
野口整体の基本のメソッドである活元運動は、「錐体外路系運動の訓練法」と呼ばれます。
それは何かというと、私たちが無意識のうちに動いている動き、つまり内臓の運動や反射的な動きなどの無為運動を活発にするための訓練であるということです。
私たちの重要な生命活動のほとんどが、意識していない運動であることを考えると、その部分を訓練することが非常に大切であるということは容易に想像できますが、意識していない部分だからこそ、その訓練というのがまた難しくなってきます。
心臓の拍動を早くしてみたり、肝臓の解毒能力を上げてみたり、腸の蠕動運動を速くしてみたり、皮膚の排泄能力を高めてみたりといった、そんなことはなかなか意識してできませんからね。
あるいは私たちが意識して動かす部分である腕や脚といった随意筋の部位でさえも、意外と動かし切れていないのが現実なのです。
どういうことかというと、動こうとしているからだの部位に、私たちの意識がブレーキをかけてしまう、といったことが非常に多く起きているのが現代人の生活だということです。
私たちの現代生活が、いかに多くのからだの本能的な運動を抑制することで成り立っているか、考えてみれば分かります。
人前だろうが急に大声を上げて踊り出し、素敵な人を見かけるや否や抱きしめて顔を舐め、イヤな奴はぶん殴り、お店の美味しそうな食材をその場で食べ始めて、気が済んだらその辺でゴロリと横になって、ところ構わず排泄する…。
上記の行動はすべて本能に忠実なだけですが、みんながそんな身振りをし始めたら社会は破綻しますね。
そんなことにならないのは、私たちが自身の行動に抑制をかけ、コントロールしているからです。
それは私たちの社会が成立するために必要な身振りなわけですが、でも間違えてはいけないのは、「上記の行動はすべて間違っているから止めなくちゃいけない」訳ではないということです。
つまり、上記のどの行動もそれ自体が間違っているわけではなく、行動する「時と場所あるいは方法」いわばTPOが間違っているのであって、それらが満たされた上ならばやって良い、あるいはやった方が良い、ということなのです。
人間は大声を上げて踊って良いし、好きな人を抱きしめてキスして良いし、イヤな奴を法に触れない方法(?)で殴って良いし、美味しい食べ物を何でも食べて良いし、ゴロリと横になって良いし、好きに排泄して良いのです。
それら内から湧いてくる要求を、現実社会においていかに表出してゆくのか、それが私たちが考えなくてはいけない課題なのです。
そのある種の自己検閲があまりに強固に自動化しすぎて、自分が何をやりたいのかも分からなくなってしまっているような、そんな状態になってしまっている人も少なくないのが現代です。
出すべきものが出せなくなって、あちこち強張っている。
だから、そんな人に活元運動。ということなのです。
「抑えなくちゃいけない」「我慢しなくちゃいけない」「こんなことはイケないことだ」、そんなことを考えて悩んで縮こまっているならば、私は「違うよ」と言います。
出して良いんです。出せば良いんです。
考えなくてはいけないのは、その「出し方」です。
誰だって「社会的にそれはいかがなものか?」というような要求を持つことくらいあるでしょう。人間だもの。
私だっていくらでもありますよ。ヤベーこと考えちゃったりしますよ。誰だってからだの中にウンコはあるんです。
「私の中にこんなイケないウンコがあるなんて…」なんて悩まなくて良いですよ。みんな言わないだけで持ってますから心配しないで。
ということで、今回は森山直太朗さんのとっても素敵な「うんこ」の歌のリンクを貼って終わります。私は地味にツボりました(笑)。
2022年04月24日
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