2022年04月24日

お金は虚であって実ではない[FB]

2021年11月 愉気の会
「お金は虚であって実ではない」

今月の愉気の会は、先月に引き続き「穴追い」の実習と「虚の活用法」という野口晴哉の言葉についてお話をしました。

この「虚(きょ)」という概念は、人間のさまざまな営みを語る上で非常に重要な概念となるのですが、いかんせんその性質上、語り口がもどかしいものにならざるを得ないので、話そうとするたびに、私はもだえながら落ち着かない思いをすることになるのです。

今回も私は講座中、皆さんにお話ししながら、ずっとモジモジしてました(笑)。

何故なら、「虚」について話そうとすると、言い淀み、言い直し、言い閊え、言い繰り返すしかないのです。

でもそうやってひたすら語りながら最後まで語り得ないところに、「虚」の姿がボンヤリと抜き型のように浮かび上がってくるのです。穴ぼこなんです。

「虚」は訓読みで「虚(うつ)ろ」とも読みますが、その何とも捉えどころのないモノを扱うために、私たちは「器(うつわ)」を用います。

器の本質は、中が虚ろであることです。器に中身が詰まっていては器の働きを為しません。空っぽであるということが器の本質なのです。

中が虚ろであるからこそ、そこにさまざまなモノを容れることができるようになり、持ち運ぶことができるようになるのです。

虚ろであるということは、あらゆるモノを受け容れます。さまざまなモノを受け容れ、受け渡します。そこで起きていることが「虚」の働きで、その本質です。

ですから「虚」は人を動かします。

そして人を繋ぎ、もっと言うなら人を育てます。

その営みを支えるのが「器」です。

そういう意味では、古来より「器」を作り用いることこそが、人の為すべきことだったのかも知れません。

ということで私が講座中、皆さんの前でずっとモジモジしながら何だか要領を得ないことを言い繰り返しているその身振りは、できる限り自ら「器」であろうとするその懸命な努力の姿なのだと、そうご理解賜わりますと大変幸甚なのでございます。ハイ。

ただ、人というのは分かりやすさを求めます。(分かっております…スミマセン…)

それは私も同じで、「虚」を追いながらも、どこかで「実(じつ)」を求めているのです。

その働きはおそらく人間の本性に関わってくるほど強いもので、なので気がつかないうちに、仮の容れ物である「器」が本質だと思い始めてしまうことがあります。

それは、誰もが陥りかねない落とし穴で、よくよく気を付けておかなければなりません。

現代人で言えば、「お金」というものがまさにそれに当たるでしょう。

本来、実体を持たないモノであったはずが、今やほとんどすべての人々がその存在をまるで実体を持つかのように扱い、その人々の信仰によって巨大な「マネー」という空想上の巨獣が生み出され、それが世界中を駆け巡りながら、現実世界に多大な影響を及ぼしています。

そういうことが好きな人たちが、空想のゲームに興じてマネーの行く末を予想しつつ「儲かった〜!」とか楽しむのは一向に構いませんが、それがあまりに盛り上がりすぎて、現実の家の家具などを壊すほどになったら、皆さんだったら怒りますよね? いや、怒るべきです。

「こら! そこまでやったらアカン!」と言って叱る大人が必要なのですが、それは本来、政府の役目であるはずが、その大の大人役である政府までもが空想のゲームに興じてしまって、「いや、お金が大事だ」とか本気で思い始めてしまったので始末に負えません。

大事なのは「お金」じゃありませんよ〜。実体である「経済活動」そのものですよ〜。見るとこ間違えていると、見事に「落とし穴」にハマっちゃいますよ〜。

経済活動がグルグルと巡るためにお金があるのであって、お金を生み出すために経済活動があるのではありません。

これが「虚」を容れる「器」を「本体」だと思い始めてしまうという、人間の陥りやすい「落とし穴」なのです。

お金とか愛とか神様とか、本来「虚」であるモノを「実」と思い込み始めると、現実世界に齟齬が生じるので、それを無理矢理是正しようとして現実をねじ曲げる「暴力」が生まれます。不幸のはじまりです。

でもシステムというのは、それを引き起こしやすいんです。共同幻想で補完し合いますからね。だから難しい。

それは有史以来、延々と繰り返されている人間の業(ごう)であるかも知れませんが、それに気づく大人を一人でも増やしていけば、世の中はちょっとずつ良くなるはずです。
はるかずっと昔に、ブッダもキリストもムハンマドも老子も教えてくれているはずなんですけどね…。難しいものですね…。

とにかく、ゲームに興じる子どものレトリックに振り回されてはいけません。

私は「アカンもんはアカン」と言える大人でありたいと思います。

いや、確かに子どもの空想に付き合うのも大事なことですよ。でも、そもそもその子どもの空想を成り立たせている「現実の営み」があるでしょ…っていうことです。

ご飯を作ったり、お掃除をしたり、お洗濯をしたり…っていうね。誰がやってくれてると思ってるんですか。マッタク。お金なんかいくらあったってそれだけじゃ何にも生み出さないんですよ。

政治家はみんな「家事必須」にするべきですね。てゆうか選挙の時には選挙カーなんて走らせずに、家事をしている姿を動画配信して、有権者はその姿を見て投票するかどうか決めたら良いんじゃないですかね?!(暴論)

畑ぶっ潰して、お店ぶっ潰して、工場ぶっ潰して、働く人ぶっ潰して、共同体をぶっ潰して、それでお金をいっぱい集めて、そのお金でいったい何ができるのか教えて欲しいですよ。お金使うところ残ってませんよ?

夕暮れ時に、相手をしてくれていた友だちはみんな居なくなってしまって、宝物だと思って集めたガラクタのお金をぎゅっと握りしめたまま、帰る故郷(ホーム)もなく、心配して探しに来てくれる家族もなく、途方に暮れて佇んで、そうして初めて気づくとか…そんなの寂しすぎますよ。

私はそんな身振りを見ていると、そこに「寂しさ」ばかりを感じてなりません。

寂しい子どもを作っちゃいけませんよね…。ホントに。

…ということで、私は最近「お金」のことがやたらに気になって勉強しているのです。何故って私たちの社会の抱えたもっとも大きな「穴ぼこ(虚)」だからです。昔はそこに神様とか真理とかありましたけど、もはやほとんどすべて「お金」に集約されてしまいました。

「お金」というものについては、いつか皆さんと一緒にその根本から考えたいなと前々から思っていたのですが、その気持ちがますます高まってきている今日この頃のご時世です。

ところで講座中、そんな「穴」についてのお話をしていたら、来ていた子どもが部屋中の「穴」を探してあちこち覗き込んでいまして、その姿がホントに可愛くてなりませんでした。ほっこり。
posted by RYO at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | Facebookアーカイブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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