2021年10月 愉気の会
「いろいろな穴追い」
今月の愉気の会は「穴追い」の実習を行ないました。「穴追い」というメソッドについては、以下のアーカイブ記事で細かく触れています。
「意図なき集注」:2016年11月 愉気の会
上の記事でも書いたように穴追いというのは不思議なメソッドです。
何だかハッキリしてなくて、理解もしづらければ、説明もしづらく、何とも覚束ないメソッドなのですが、私は整体のメソッドの中でもかなり本質的なメソッドだと思っています。
「整体とは虚(きょ)の活用法なり」という野口晴哉の思想を、上手い形でワークに落とし込めたメソッドの一つであるでしょう。
でもそれゆえにこの「穴追い」というメソッドは、指導者によって本当にさまざまな解釈がされているのではないかと思います。私のような解釈をしている方が他にもいるかどうか知りませんが、おそらくいろんな語り口で語られているはずです。
そのような多様な解釈が生まれてしまうのは、このメソッドが「虚」であるゆえの特徴です。神とか愛とか幸せとか、そういった概念が人の数だけその形を取るように、穴という概念もまた人の数だけその形を取るのです。
ですから、どれが正解ということはありません。
真実はあるかも知れませんが、正解はありません。
その解釈に、深さや高さや厚さや重さや濃さや激しさや柔らかさといった色味はあっても、正しさは無いのです。
そして、私はそのような多様な穴の姿を、見たいし、聞きたいし、感じてみたいので、穴追いを受けるのも愉しいし、穴追いをやってみた人の話を聞くのも愉しくてなりません。
さまざまな形を取るその「穴」が、さまざまな匂いを立てるその「虚」が、さまざまな旋律を奏でるその「空」が、さまざまな言葉で表現するその「人」が、私には本当に本当に面白くてならないのです。
世界は本当に多様で豊かです。
そして限りなく自由です。
私は穴追いを受けていると、相手と結ばれているその一点の穴に、相手の存在が丸ごと感じられてきます。
触れ方、押さえ方、動き方、離れ方、そのすべてに相手が現われるのです。ポカンとしているが故により一層くっきりと浮かび上がってくるのです。
その、私の中に立ち現れてくる相手の姿にすべてを委ねて、浸ります。それが、私の穴追いの受け方(愉しみ方)なのです。マニアックです(笑)。
というわけで(?)、次回の愉気の会も、ふたたび「穴追い」の実習をしてみたいと思います。
興味のある方はぜひぜひご参加いただければと思います。
2021年10月25日
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