2020年4月
「新型コロナと社会」
コロナウイルスの感染拡大によって、世界中にとてもとても大きな変化が現われています。
感染症というものが、人の交わりや流れに乗じて拡大していくという性質上、世界中のあちこちで分断や閉鎖や隔離などといった対応が取られ、人々のあいだを巡る流れがぶつ切れになって滞っています。
「いのち」というものが「流れ」や「巡り」をその本質としているのだと考えると、それは我々人類にとって本当に致命的で困難な問題にぶつかっているのだと言えるかも知れません。
しかしウイルスという存在も、本当に不思議な存在です。
「動的平衡」で有名な福岡伸一先生が「高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして、ウイルスは現われた。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった」と言っていますが、もしそうだとすると、人類自身が私たちの遺伝子の外部リカバリあるいは外部ブースターとしてウイルスを吐き出し、それが種を越え微妙に変容して戻ってくることによって、自身の生命力や適応力に変化を求めるよう何らかの刺激を与えているのかも知れません。
けれども変化や変容というものは必ずリスクを伴うもので、良い悪いという問題ではなく、そのリスクを引き受ける個体が一定確率存在してしまいます。
人類史上、私たちの社会全体を脅かすほどにハイリスクになってしまったウイルスたちがいくつか存在しますが、そんな数あるウイルスたちの中で私たち人類が撲滅できたのは天然痘ウイルスだけです。
それ以外のウイルスたちについては、今でも地球上の一部の集団の中を渡り歩きながら存在し続け、ときに外に拡がって暴れ出しそうなのを封じ込められたりしながら、いわば共生しているような状態です。
「いったい今回の新型コロナウイルスの問題はいつ収束するのか」ということは、いま現時点であらゆる人の最大の関心事だと思いますが、私はおそらく非常に長いスパンの話になるのではないかと思っています。
もちろんそれは「何を持って収束とするか」という定義の問題にはなるのですが、私はおそらく今後少なくとも数十年は感染が拡がったり抑えられたりしながら共生していくことになるのでは無いかと考えています。
そして社会システム的には「感染症管理」という考え方が進み、一般社会に広まり、働き方から遊び方まで含めてカタチを変えてゆくことでしょう。それは感染症発生時の緊急対応としてはもちろん、日常的な在り方にまで及ぶことと思います。
人々の関係の取り方、コミュニケーションの在り方、出会い方、集まり方、触れ方、つながり方、いろんな事が変化してゆくことでしょう。
多数の被害者の出る大きな災害はここ数年の間でも幾つもありましたが、今回の出来事は被害者の数だけでは計れない、まるで私たちの立っている地盤が丸ごとズレて、日当たりから風向きから植生まで変わってしまうような、そんな大きなターニングポイントであるような気がしています。
私個人としても、整体という「濃厚接触」を生業としているので(笑)、今回の出来事は本当に深く考えさせられます。
今回の出来事は、いったい私たちにとってどんな意味があるのか、そして私たちにはどんな返事の仕方ができるのか、どういう在り方をすれば幸せな共生の在り方ができるのか、いろいろ考えて頭がぐるぐるしてしまいますが、とりあえずまず私たちにできることは「STAY HOME」ですね。
我が家も、家族でマントウやピザや手打ちうどんやドーナツを作ってみたり、部屋にテントを張ってみたり、みんなでヨガをやってみたりとインドア生活を愉しんでいますが、とにかく今この状況において、できることを愉しむのが良いと思います。
野口晴哉の語る整体の奥義は、突き詰めてゆくと「息深く悠々と待つ」ことなのです。
2020年04月29日
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