2019年7月 愉気の会
「嗜みとしての技術」
今月の愉気の会は、夏休みに向けて整体の救急法の実習をしました。
整体は今でこそ「体育」としての立ち位置で活動をしていますが、元々は治療術として発展してきた経緯があるので、技術としてはさまざまな治療的な技術もあります。
昭和20年頃に整体操法の基本的技術をまとめるために立ち上げられた「整体操法委員會」の初期メンバーを見ると、各手技療法のそうそうたるメンツが集まっていますから、整体の技術というのは、日本中のさまざまな手技療法が一堂に会して作られたのだということが分かります。
ただ今は整体は「体育」としての活動に軸足を置いていますし、私自身もハッキリそのつもりで整体を実践していっていますから、そのような技術を使う機会というのはあまりありません。
ですがせっかく伝えられている技術をそのままにして消えていってしまうのももったいないですし、野口晴哉自身が「嗜みとして身に付けておきなさい」と言って、「使わない技術」をあえて弟子たちに教えていた事にも倣って、私も夏休みの前などに、行楽先でのいざというときのためにと思って、救急法の講座を行なったりしています。
たとえば「鼻血の止め方」として、頸椎六番を叩打したり、かかとを叩打したりといった手当てがあるのですが、そもそも整体では「鼻血は止めなくて良い」と言われているのです。
だから止める技術など不要なはずなのに、止める技術を教えるのです。それは何の為なのかというと、「いつでも止めることができる」と思っていると、鼻血が出ているときに慌てずに落ち着いて待つことができるようになるからです。
「どうしよう?何かしてあげなくっちゃ!」という慌てた混乱状態から、いろいろ余計なことをしてしまうということはありがちなことで、それが我が子のケガやトラブルなどであればなおさらのことでしょう。
ですが、そういう状態での手当てというのは、どうしても「子どものため」というよりも、「自分の安心のため」という側面が強くなってしまうのです。本人は決してそんなことは思っていないとしても、そうなのです。
そうすると人間というのは、目の前の相手の事がよく見えなくなって、自身の空想に振り回されることになります。
そのような状態では、冷静な対処ができないだけでなく、ケガをして心細くなっている相手まで巻き込んで振り回してしまうことになります。相手が小さい子どもであればなおのことです。
ですから、まず自分自身が落ち着くこと。子どもの緊急事態に対しては、それが何より大事です。
そのために「嗜みとしての技術」を身に付けておくのです。
今回も「失神したとき」だの「心臓が止まったとき」だの「溺れたとき」だの「誤飲したとき」だの、さまざまな救急法をお教えしましたが、そんな技術使わないのです。使わない方が良いのです。そんな使わない技術を、嗜みとして身に付けておくのです。
そんな「使わない技術」が、人の心身に余裕をもたらしてくれるのです。
2019年07月21日
この記事へのコメント
コメントを書く

