2019年2月
「人を育てる道具文化…つづき」
先日、「人を育てる道具文化」についてのお話を書きましたが、そういえば昔読んだ本にこんなエピソードがありました。
ある方が、自宅の部屋を近所の子どもたちに遊び場として開放していました。開放したとはいえ、自宅の一室ですから私物もいろいろある。
なので開放するときには、私物をその部屋の片側に全部寄せて、ヒモを張って「さわらないでね」というような注意書きを書いていたそうなのです。
ただまあ子どもというものは、ダメと言われれば気になるもので、そんなところにもちょこちょこ入り込んでくる。いたずらっ子でもいればなおさらです。
それでそのたびに「こっちはさわらないでね」といちいち注意をしていたそうなのです。
でも、そんなことがたびたびくり返されるうちに、その方はふとある決意をしたのです。そして子どもたちを集めてこう言いました。
「このヒモは何だかみんな知っているよね? こっちは私物だから勝手に触って欲しくなくってそれで張ってあったの。でもね、これもうやめることにする。だってみんなはもう分かっているでしょ? だからみんなを信じて取っちゃいます」
そう言ってみんなの前でそのヒモを取ってしまったのです。
その結果どうなったかというと、それ以来誰もそちらの物に勝手に触らなくなったそうなのです。
新しい子どもが来ても、古くからいる子たちが自分たちでルールを伝え、みんなで守るようになった。
その方は、ただですら覚束なかった結界を、さらに完全に取ってしまうことで、子どもたちの心に結界を託したのです。
物質的には見えなくなった結界が、「働き」だけを残して、子どもたちの目にはしっかり見えるようになった。
決断を相手に委ね、託し、信頼することで、それに応えようとする子どもたちの力を引き出した。
ここには「人を育てる/人が育つ」ということの本質が現われているような気がします。
日本の古い街並み、人々のあいだに垣根や簾や障子といったほのかな仕切りを立て、「用がなければこの先ご遠慮願いたい」と、最終的な決断を相手に委ねるような、信頼を前提に作り上げられた街並みは、そこで暮らす人々をそのような心性で包み込み、育んだことでしょう。
私はそこに、人の幸せな営みが末永く続くようと願いを込めた、先人たちの美しい思想を感じます。
2019年06月21日
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