2018年10月 愉気の会
「共感と反感」
今月の愉気の会は「共感」ということについてのお話をしました。
「共感」と「反感」という2つのベクトルは、私たちの営みのあらゆるところで働いていて、そのどちらの力も非常に大切な働きを担っています。
たとえば私たちが何かを食べるということは、食べ物を吸収して自分自身に取り込んでいるのですから、それは食べ物に「共感」していると言えます。
たいして私たちが何かを考えるということは、私たちの中にある漠然とした概念を、言葉として吐き出し、外側から客観的に捉え直すことですから、それは「反感」の作用と言えます。
シュタイナーの考えでは、幼少時にファンタジーの世界を生きることを重視していますが、それは小さい頃に「共感」的な世界を生きることが、心身が育つ上で非常に大きな意味を持っているからです。
シュタイナーの言うファンタジーとは、「共感」的な語り口のことです。
例えば太陽一つを語るときにも、反感的に語ると「宇宙空間に浮かび、核爆発による膨大な熱エネルギーを放射し続けている、銀河系の恒星の一つ」というふうになりますが、共感的に語ると「いつもみんなを明るく見守って、ポカポカからだを温めてくれる優しいお日さま」となるのです。
なぜ子どもにファンタジーが必要なのかということは、挙げればいろんな理由がありますが、整体的な観点から大きな理由を挙げるならば、「共感」的な在り方が、からだを健やかに温めてくれるからです。
ファンタジーはそのまま体育なのです。
幼少時に「反感」的な在り方、つまり客観的に考えることや、いろんなことを記憶しなければならないような環境にあると、からだは冷たく硬くなりがちです。
シュタイナーは「幼少時にあまりに記憶を強いるような教育を施すと、晩年に硬化症的な傾向を持たせることになる」というようなことを言っていますが、つねに頭を働かせ、考え続けている人のからだが冷えがちであるということは、皆さんも何となくイメージができるのではないかと思います。
冬の夜中に一生懸命パソコン作業をしなければならないときなど、どんなに温かくしていても手足が氷のように冷たくなってくる経験は、思考と冷えの関係を非常によく理解させてくれます。
そんなときにパソコン作業をいったん中断して、ポカンとしながら瞑想や呼吸法など自分自身に注意を向けることをしばらく行なってみると、再び手足がポカポカしてくることに気がつきます。
それは自分自身に対して「共感」しているということなのです。そして、それこそが私たちを温めてくれるのです。
物事に対して、うかつに共感してしまうことなく、反感的な立ち位置を取ることを是とし、冷静に、客観的に、批判的に物事と向き合う現代人にとって、冷えというのは大きな課題です。
私たちは「冷え」を克服していかなければならないのです。
「温かな思考」あるいは「冷静な情熱」とでもいうようなものを、私たちは獲得していかなければなりません。
特に日本人にとって、「共感」と「反感」をどのようなバランスでどのように活用していけば良いのか、私にとっても大きな課題でありますが、「反感」の力の強すぎる現代、まずは私たちが意識して取り戻していかなければならないのは、物事に対する「共感」的な振る舞いだと思います。
たとえば我が家では、物を捨てるときに「ありがとう」と言っています。
小さくなってしまった洋服や、どこかで拾ってきたワケの分からないガラクタ(笑)なども、「そろそろありがとしよっか」と言って、「ありがと」と言いながらゴミ箱に入れています。
子どもに語る語り口としてやっていたことですが、今では子どもがいなくても何となく「ありがと」と言いながら捨てている自分がいます。何かほっこりするものです(笑)。
2019年06月21日
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