2019年06月21日

何かを語る語り口[FB]

2018年9月 愉気の会
「何かを語る語り口」

最近、私は愉気について語るとき、とにかく平易に、そして誰でも今すぐ実践できるように、ということを心がけて語るようにしています。

一つのメソッドであっても、その語り口というのはいろいろあります。とくに「タッチ(手当て)」というものはシンプルであるがゆえに、その語り口はさまざまで、とにかく平易なものから難解なものまで多種多様です。

それはそのタッチのメソッドの違いというだけでなく、語る人(指導者、セラピスト)が、何を意識して何を目的としているかということによって変わってきます。

もちろん本質を外してしまってはいけませんが、何かを語るときの語り口というのは、さまざまで良いと私は思っています。

それは、私がとにかく一つのモノをいろんな角度から見てみたいという個人的な好みがあることが根っこにありますが、でもこれからの時代は、一つのことについて、それぞれの人が、それぞれに感じたことを、それぞれの語り口で語り、そしてお互いに尊重する、そんな時代だとも思うのです。

歴史的に見て、私たちは確実に「個」に目覚めていく過程にあって、大きな物語で世界を語る時代から、徐々に個々に世界と向き合い、個々に世界を語る時代に入り始めています。

私たちは「誰かが語ってくれた物語」では、心の底からは満足できなくなってきていて、たとえ拙くとも、自分の言葉で世界を語ろうとする、そんな人たちが増えている気がします。

そんな時代の変化の中で、私はどのようにして整体のことやからだのことを、みんなに伝えていけば良いのか。そんなことを考えるのです。

思いはいろいろありますが、そんな中で私は技術を細かく語ることを、だんだん止めてきました。

とにかく聞く人に今すぐ実践していって欲しくて、「頭」に手当ての技術を入れるより、「掌」に人のからだの心地よさを入れたい、とそう思うのです。

だからみなさんにはぜひ、あまり難しく考えずに家族のからだに触れて欲しいのです。そしてただ感じて欲しい。

手当てやタッチに関するいろいろなことは、そんな実践の中でそれぞれが自分自身のからだと体験でもって、何らかの気づきとして獲得していくことでしょう。

とにかく毎日家族のからだに触れながら日々を過ごしていけば、人を感じ、人を癒やす掌が育ってくることは間違いありません。

自分自身のからだで、世界を感じ、相手を感じていって欲しいと思います。
posted by RYO at 10:17| Comment(0) | Facebookアーカイブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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