2018年4月 愉気の会
「人間の意志と背骨」
今月の愉気の会は「意志」についてのお話をしました。
最近、私は人の意志というものについてよく考えます。意志とは、分かりやすく言えば「何かをしよう」という要求ですが、それは本人が意識できていることもあれば、ほとんど意識できていないこともあります。
この意志の働きというものが、人によってずいぶん働き方も現れ方も異なっていて、その多様性に満ちた「意志の現象学」とでも言うような観点に、最近非常に興味を引かれるのです。
シュタイナーの三分節論では、人体において「頭部=思考」「胸部=感情」「手足=意志」という関連があると言われます。
整体ではハッキリとは言われていませんが、人間の意志は「骨盤部」と「脊椎」、そしていわゆる「肚(丹田)」と呼ばれる部分に関連があるように捉えられています。
四肢とくに脚部と骨盤部というものは、整体的にいえば一連の組織ということができるので、シュタイナー的な発想と整体的な発想では、人間の意志について多少のニュアンスの違いはあっても、身体的には共通点が多くあるのです。
私はいろんな方のからだ、とくに背骨をよく触らせていただくことがありますが、背骨に触れているとその人の根本的な意志みたいなものを感じます。
背骨というのはある意味「意志の通り道」みたいなものですから、自分の手足にしっかりとその意志を通してきた人の背骨は、とても力強さを感じさせます。いわば骨太です。
そういう人の「意志の現れ方」はストレートで余分なものがなく、「意図」と「行動」にしっかり軸が通っていて、こちらのからだにも「なるほど」とスッと入ってくるような、そんな現れ方をします。
そういう人は私の感覚でいうと「からだと対話のできている人」です。
何と言うか「頭とからだにパートナーシップができている」ように私には感じられるのです。頭が手足を、手足が頭を、それぞれ共に支え合って補い合っている感じです。
野口晴哉が、日本画家の杉山寧の「生」という絵に描かれている裸婦を見て、「頭のはたらきでからだが活きている」「智恵で育てたからだ」だと評していますが、まさにそのようなからだかも知れません。
最近、私は講座の前などに全身を動かしたり、手足の先までいっぱい触ったりして、全身にしっかり気を掛けてから仕事に臨んでいますが、それは「私」という活動が、からだ全体のチームプレーによって成り立っているのだという意識が、とみに強く感じられるようになってきたからです。
どんな活動であれ、チームの一人一人に声を掛けてから臨むと、連携がうまくいってパフォーマンスが良くなるように、私自身のからだもあらゆる部位にしっかり気を掛けてから臨むと確実にパフォーマンスが良くなりますし、またそれは「私全体」にとって、とても幸せなことだと思うのです。
背骨というのはある意味その現われなのかも知れません。
その人の意志の働き方の痕跡が、具体的なフォルムとなって現われたもの。
いま脱権力の新しい組織論が語られるように、これから脱権力の新しい人体論が語られる時代がおそらくやってくるでしょう。
私たちの中に、幸せで力強い背骨を育てていきたいものです。
2019年06月21日
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