2018年1月 愉気の会
「健康の3つの要因」
今月の愉気の会では、オイリュトミー療法士のウルリケ・ペッターさんの『健康を支える子育て』という講演録から「健康の3つの要因」というお話をしました。
ペッターさんは講演録の中で、ユダヤ系アメリカ人のアーロン・アントノフスキーという人が提唱した「健康生成論」というものを紹介しています。
どんな考え方かというと、従来の医学が病気に対して「病気の原因となるものを解明し取り除いていこう」という考え方をするのに対して、「健康になるための要因を解明しそれを強化していこう」という逆の立場をとるのです。
どこからそのような考え方に至ったかというと、アントノフスキーは、ヒトラーによって強制収容所に送られたユダヤ人たちが戦後に収容所から解放されたあと、トラウマや後遺症に悩まされる人と、こころとからだの健康を保って元気に生きていった人がいることに気づいて、その違いを研究したのです。
たしかに寒いところですっかり冷え切ってしまったとしても、そのまま風邪を引いてしまう人もいれば、一晩寝たら元気な人もいますし、病人の看病をして伝染ってしまう人もいれば、何人看病しても健康な人もいる。
その違いを考えようとしたら、病気の原因を考えるだけでなく、健康の要因あるいは病気に対する抵抗力というようなものを考えてみなくてはならないでしょう。
講演録の中では、その健康の要因に関して3つの要因が紹介されています。
1つめは、自分の置かれている状況が「理解可能」だということ。
たとえそれがあまりに酷いことであったとしても、なぜこのような事態になったのかその構造がだいたい理解できるということ。
強制収容所のような思いもよらない非人道的なことであっても、理性においては起こっていることを理解できるということが大事だということです。
ですからその反対を一言で言うと「なんでこんな目に遭わなくちゃいけないの?」ですね。
2つめは、自分はこの状況を処理できるという「処理可能性」。
たとえ自分にできることは少なくとも、その現実に対して処理していくための計画性や実行性を持っている。あるいは信じているということです。「自分には何かできることがある」ということ。
その反対で言うと「どうしようもないでしょ!」ですかね。
3つめは、この状況は自分にとって必ず意味があるという「有意味性」。
たとえどんな酷いことが自分に降りかかったとしても、それはきっと自分の人生に統合されるだけの何らかの意味があるんだと思えること。
その反対で言えばまんま「何の意味もない!」ですね。
言われてみるとたしかにとても大事なような気がします。
「なんでこんな目に遭わなくちゃいけないの?」「どうしようもないでしょ!」「何の意味もない!」というような言葉を口にしていると、自ら健康に背を向けていくことになってしまうかも知れないということですね。
うん、気を付けましょう。
ちなみに、何が起きているのか知りたくて、何かできることを考えたくて、そしてどんなことにも必ず意味があると思っている私は、ありがたいことに3つの健康の要因を兼ね備えているようで、たしかにいたって健康であります。ありがたし。
野口晴哉は「病気」と「病人」をきっぱり区別しました。病気になっても病人になってはいけない、と。先の3つの要因というのは、その2つを分ける要因でもあるような気がします。
こういう要因は何より幼少時に育まれるところが大きいですから、子どもと一緒にいるときに「なんでだろう?」「こうすればできる!」「きっと何かあるんだよ!」という構えをともに持つことが、子どもの中にそのような要素を育ててゆくことになるでしょう。
それはきっとその子どもの人生に大きな贈り物をすることになります。
2019年06月21日
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