2017年11月 愉気の会
「感覚を使って”あたたかさ”を取り戻す」
今月の愉気の会は、雑誌「セラピスト12月号」で紹介した、木板を使った感覚遊びを参加者のみなさんでやってみました。
木板というのは、ケヤキやクルミやヒノキといった30種類の木の板を半分に切って60枚にしたもので、それを触って何の木か当ててみたり、匂いや重さなどで感じ分けたりと、いろんな感覚遊びをしてみるために作ったものです。
参加者のみなさんもそれぞれ一生懸命に木板に触れながら、ご自身の感覚をフル活用して楽しんでくれました。
こういうことをやっていると、子どもも目をキラキラさせて参加してくるんですよね。いっぱい集めて並べたりして、自分で考えながら遊んでいました。
いま私はいろいろな「感覚遊び」というものを作っていこうと考えていて、今回の木板はそのうちの一つです。
現代人が頭でっかちになりがちであったり、手足の冷たい冷え性になりがちであったり、あるいは意欲が湧いてこなかったり、幸せを感じづらかったりといろいろするのは、どれも五感をフルに使って世界を感じる機会が少なくなっていることが、その大きな原因の一つであると、私は思っています。
それらを解消してゆくためには、もっともっと「からだを使う」だけでなく、「感覚を使う」ことが必要なのです。
それで大人も子どもも楽しめる「感覚遊び」を作っていこうと、そんなことを考えているのです。
今の時代、「物事を細かく分析して言語化させようとする力」が、私たちに強く働きかけています。
それは現代科学の根本原理であり、現象を細かく分け、分類し、そこからエッセンスを抽出して、硬く、冷たく、結晶化させて、混じりけの無い法則を見出そうとする力です。
分けて、凝縮し、固めてゆく、冷たい力。
世界を"分かろう"とする「言語」は、その一つの結晶です。
その力は、私たちの中においては、共感するよりは分析し、寄り添うよりは間合いを取り、熱狂するよりは冷静であろうとし、すべての物事や人間から距離を置き、さらには自分自身に対してすらも、当事者であるよりはアバターであるかのように振る舞うよう、促します。
それは人間の心の中にある、ある種の理想を叶えようとしてくれています。
その理想はとてもクールで魅力的なので、現代人の多くがその力に従って、自己の理想の実現を果たそうと日々頑張っていますが、その代償に引き受けなければならない「冷たさ」に、ずいぶん多くの人が苦しめられているのもまた事実です。
からだはあちこち強ばり、手足は冷え、どんなものに対しても冷めた目でしか見ることができずに、すべてはどこか他人事のようで、情熱など頭の足りない人たちか、あるいは遠い子どもの頃のこと…。
冷たい力の影響が強く働き過ぎて、こころとからだが硬く冷たくなっているのが現代人です。
でも、苦しめられながらも、その冷たさを怖くて手放せないのです。
いろんな正しい言葉を並べることで自分を保とうとしているのです。
「冷静でいること」が自分を保つ方法なのだと、そう信じているのです。
「そんなことないよ」
私はいつも言っています。
そうしてそっとからだに手を触れると、どんな人もそこにある「温かさ」を改めて感じてくれるのです。そしてふわ〜っとゆるむのです。
「先生の手は温かいですね」と、私はよく言っていただくのですが、ホントは誰の手だって温かいのです。冷たい手だって温かい。
「思考の冷たさ」に凍えてしまった人間に、もう一度温かさを取り戻してくれるのは「感覚」なのです。
考えることを一瞬止めて、感じることに集中してみる。
"分かろう"とするのではなく、そのままに感じてみるということ。
感覚を取り戻せば、温かさが戻ってきます。
いま自分が何を感じているのか、目を向けてみましょう。
いま子どもが何を感じているのか、耳を傾けてみましょう。
いま家族が何を感じているのか、その手で触れて感じてみましょう。
そこにはいろんなことが感じられるはずです。
きっと思っているよりももっとずっと豊かな世界がそこにある。
いろんなことが感じられるでしょうが、誰でも最初に感じることは一緒です。
それが「あたたかさ」です。
2019年06月21日
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