2017年5月 愉気の会
「子どもに愉気を教わる」
この日はゴールデンウィーク明けすぐということで参加者の方も少なく、お子さんたちも小さかったので、のんびりゆったりモードで会が進みました。
整体の「愉気」というと、何か敷居が高く、特別な技術や訓練が必要で、そんなにおいそれとできないようなもののイメージを持たれる方がいらっしゃいますが、そんなことはありません。
それは誰にでもできることであって、目の前で苦しんでいる人に思わずパッと差し伸べてしまうその手は、すでに愉気の手なのです。
もちろんそこに訓練や経験による違いが無いわけではありませんが、それでもその人のことを強く思う家族の手に勝るものはありません。
野口晴哉は「キリストの行なったことをいつまでも奇跡にしていてはいけない」と言って、子どもを育てる母親たちに愉気を教えていきました。
私もその野口晴哉の言葉の通り、「誰にでもできることなのだ」ということを、強く伝えていきたいと思っています。
だからまずはお子さんや家族に触れてみてください。理屈は抜きにして、ただそっと手を当てて触れてみる。そして相手のその体温を掌に感じる。最初はただそれだけでいいんじゃないでしょうか?
我が家の下の子はもうすぐ5歳になりますが、生まれたときからちょこちょこ愉気をしてきましたし、私がいろんな人に愉気をしている姿も見てきたので、愉気や手当てというものが、きわめて普通の何でもない営みとして自然にからだに入っています。
そんな彼があるとき夜中に耳を痛がってぐずったことがありました。
妻が用事で外出していたので、私が寝かしつけつつ、耳に手を当てて愉気をしていたのですが、しばらくすると彼が急に怒り出して「手の当て方が違う!」と言うのです。
「え?」と思って、こちらもちょっとイラッとしつつ(笑)、「じゃあ、こう?」と言って手の形を変えたり、当てる場所を変えたりすると、そのたび「違う!」「違う!」と言って指導されます。
いろいろやっているうちに、人差し指と小指をある張り方でフッと極めた形になったときに、「そう!」と言って納得してくれました。
彼に手の触れ方や愉気の仕方などまったく教えたことはありません。部屋は暗かったですし、彼も痛がってぐずっているだけで私の手の形など見てもいません。
ただ今まで愉気されてきたその経験と感覚だけで、自分のからだの要求している手の当て方を私に指示してきたのです。
いやいや「何だコイツ…」と思いましたよ。いろんな意味で。
すごいなとも思いましたし、いろいろ考えさせられました。
ふだんから愉気をされて育つとこういう感覚が育つのかと。
以前、ふだんから家でも整体しているということをある方に話したら「なんて贅沢な!」と言われたことがありましたが、そのときは「別に贅沢ってことはないでしょ」と思いましたけど、いつのまにか子どもの中にそんな感覚が育っているんだとしたら、やっぱり贅沢なことなのかも知れません。
何を言いたかったかというと、愉気をするときに、どんな手でどこに当てれば良いのかは、相手が教えてくれるのです。私だって家では4歳の子どもに教わりながら手当てをしているのです。
ですから何も知らなくても大いに自信を持って手を触れていって欲しいと思います。どうすれば良いのかは相手が教えてくれます。
2019年06月21日
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