2017年4月 愉気の会
「手当ての指の使い方」
今月の愉気の会は手当てのときの指の使い方についての実習をしました。
整体の愉気という手当ては、基本相手のからだに軽く触れる程度に手を当てていくものですが、場合によっては押さえたり抜いたりといった操作を行なうこともあります。
その場合は手当てのポイントとなる「処」を押さえるわけですが、「押さえる」という言葉からイメージして指に力を入れてグイグイ押してしまうと、相手に余計な緊張を招くことになります。
そうすると余分に強く押さなければならなくなったり、場合によっては相手を痛めてしまうことにもなりかねません。
生物の防衛本能というものは、本人の意識とは別に非常に強く働いていますから、外部から侵襲してくるような刺激に対しては、ほぼ無意識に本能的な抵抗反応を起こします。
こちらが強く押さえれば押さえるほど、相手のからだに防衛反応としての緊張を引き起こすわけです。
そのような本能的な防衛反応としての緊張というのは、じつは物理的な圧力が加わる前から起こります。つまり実際にはこちらが強く押さえようと意図した時点から、もう緊張が引き起こされるのです。
私たちのからだというものは、「こうしようああしよう」と考えるだけで筋肉に緊張が走ります。
いわば私たちが何かしようと意図すると、それに応じてからだの方がスタンバイ状態になるのですが、生物というのは他者のそのような意図に対してきわめて敏感です。だって何かされてしまうかも知れないのですから。
「何かしよう」と思って近づくだけで、相手は多かれ少なかれ緊張してしまうのです。子どもや動物のような勘の良い生物ならなおのことです。何か企んでいようものなら、さっさと逃げていってしまいます。
ですからもし相手を緊張させずに触れていきたいなら、私たちは意図を捨てていかなくてはなりません。
何も考えずに意図なく手が出て、気づいたら触れているくらいでなくてはならないのです。いわゆる「無念無想」の境地です。
いやぁ〜。どうすればいいんでしょう…?
ハッキリ言って難しい。まずできません。
奇跡的に何も考えずに思わずふっと手が出てしまうようなことが仮にあったとしても、それを必要に応じて再現しようというのは土台無理な話です。
まあそれは土台無理な話なんですが、それでも少なくとも「強く押さえよう」という余計な意図や緊張をできる限り少なくしていきたい。
そのときに、押さえる指の使い方の技術になってくるのです。
間合い。腕の構え。四指の使い方。裏の取り方。呼吸法…。
技術としてはいろいろありますが、押さえる指から力を抜き、意図を捨て、限りなく「こうしようああしよう」という企みから離れていったときに、そこに相手を尊重しようとする暖かい手があるのです。
そのような意図のない思わずふっと差し伸べられる手は、どんな人をも癒やす力があると私は思っています。
2019年06月21日
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