2006年11月26日

「銀河鉄道の夜」に彷徨う

立川のシネマシティで、「銀河鉄道の夜」の実写版が上映されているというので観に行った。

「銀河鉄道の夜」の実写版が上映されるという情報を聞いたときには、「ええっ?」と思ったけれど、 宮沢賢治先生を心の師と仰ぐ私としてはやはりチェックしておかねばなるまい、と足を運ぶことにしたのだ。

張り切って朝一番の回に観に行ったのだけれど、私以外の観客は3人。

なんだかちょっと寂しい…。


劇中、ジョバンニが映画館でアルバイトをするシーンがあったのだけれど、その映画館の入口の扉のシーンを観て、思わず目をみはった。

「んん??  これ…って……ここ?」

そう。 スクリーンに大きく映し出されたその扉は、どう見ても今私が映画を観ている立川シネマシティの映画館の扉なのである。

現実の世界を忘れて映画の世界に入っていたところに、いきなり「私のいる風景」 (ってフィルムだから自分が映っているわけじゃないけど)がパッと映し出されるというサプライズに、しばしあっけに取られる。

「映画を観ながら、映画の世界に没頭している、その私のいる場所が、映画の世界に登場する」という、 なんだかとってもややこしい入れ子構造にいきなり投げ入れられた私は、再び落ち着いて映画の世界に没頭するまでに、「え?あれ?」 と5分くらいずっと混乱していた。

スクリーンの向こうに、それを観ている自分の存在を感じる、という「メタな立ち位置」に立たされると、人間は混乱するものだ、 というオモシロイ経験をさせてもらった。

いやぁ、ビックリ、ビックリ。


でも、今回はあらかじめ撮影したフィルムであったわけだけれども、考えてみればこれだけオーディオ機器やデジタル機器が発達した現在なら、 映画の中の1シーンにたった今映画を観ている私たちの風景が差し込まれて映画に参加させられてしまう、 というトリッキーな映画の手法も不可能ではないだろう。

それぞれの映画館の後方にカメラをつけて、たとえばフィルムの交換の合間などに、 一瞬その映像を差し込んでスクリーンに映し出せばいいんだから、技術的にはそう難しいことではあるまい。(あれ? 今、フィルムの交換ってしないのかな?)

けっこうオモシロイ演出だと思うんだけど、だれかやってみてくれないかなぁ…。

イタズラ好きの私としては、ぜひとも映写室に入ってそのときの観客の反応を見てみたい。

じつに愉しそうだ(笑)。


「銀河鉄道の夜」の映画化といえば、今から20年以上も前の1985年に製作された劇場用アニメがある。

ジョバンニもカムパネルラも登場人物をネコに置き換えて描き出した独特の世界観は、原作をかなり忠実に再現した完成度の高いもので、 私にしてはめずらしく原作と映画の両方が両方ともにそれぞれ大好きな作品である。

ちなみにずいぶん前に、この劇場アニメ版「銀河鉄道の夜」のキャラクターデザインを担当したますむらひろしさんの講演会を聞きにいったことがある。

ますむらさんは、「アタゴオルは猫の森」などのファンタジー作品を描いている漫画家で、 それらの世界観も幻想的で私は好きなのだけれど(ちなみに今劇場版が上映中)、この方、かなりの宮沢賢治マニアでもある。

そのときは、賢治の詩(心象スケッチって言わないと怒られるかな?)「青森挽歌」に出てくる青森行きの夜行列車が、 いったいいつの何時の列車なのかということを、当時の時刻表とにらめっこして研究中で、自分の仮説を熱く語っていた姿が印象深い。

研究熱心なますむらさんは、賢治の作品を漫画化するに当たって、コマの背景に至るまでかなり細かく考証しており、 銀河鉄道の客車の座席は何色なのか、天の川のどちら側の岸を走っているのか、ジョバンニたちはどちら側の座席に座っているのか、 三角標とはどんなカタチをしているのか…などなど、徹底して調べあげた上で描き込んでいて、そういう仕事の「密度の濃さ」みたいなものは、 言わずとも作品に表れるものである。

そんな、原作の雰囲気を壊さずに漫画化するという難題を見事にやってのけるますむらさんの仕事ぶりに、私は深く感銘を受ける。

小説から漫画へという、大きなメディアチェンジを経たにもかかわらず、しかも登場人物を人から猫へと変えてしまったにもかかわらず、 その仕事をした人間の「私」がちっとも匂わないというのは、ホントにすごいことだと思う。

そのような「無人称の仕事」に、私は人の持つ「宗教性」というものの原点を感じてならない。


意外と知らない方も多いけれども、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」には、四つの異稿が存在する。

ふだんよく語られるのは、その最終稿である第四次稿のものであるが、 初期稿から第四次稿に至るまでにはかなり大きな改稿がなされている。

初期稿を仕上げた1924−25年頃から、第四次稿の完成を見る1931年ごろまでには6,7年の月日が経っているが、 そのあいだ賢治は何度も手を加え続け、「銀河鉄道の夜」は賢治とともに成長していくようにして書かれたのである。

変化し続けることを生命の本質とした賢治らしい書き方であるけれども、もし仮に賢治がもっと長生きをして、 死ぬ直前まで書き続けていたとしたら、いったいどんな作品になったのだろうか。


ちなみに私は第四次稿も好きだけれど、初期稿もけっこう好きである。

初期稿は、人間「宮沢賢治」の言葉がかなり混じりこんでいて、それがたびたび「セロのようなごうごうした声」として作品中登場し、 ジョバンニに語りかけては世界の成り立ち方を教えて、ジョバンニを導いたりする。

先ほど述べた「無人称の仕事」という意味では、「セロのような声」 をすべて削除してしまった第四次稿のほうが完成度は高いのかもしれないけれども、人間「宮沢賢治」 の主張が見え隠れする初期稿もまた好きである。

賢治の主張といえば、昔、賢治の書いた論文(というか宣言文?)「農民芸術概論綱要」を、ワープロで打ち出して壁に張り付け、 折りにつれ読んでいた時期があった。

その主張は江戸時代の思想家、安藤昌益(⇒Wiki)にも通じるものがあって、 当時、学生だった私の心をふるわせ、力をくれたものである。

賢治先生は私にとって、からだの底から力を湧き立たせてくれる、心の恩師である。


『新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て』
(@「春と修羅 四 『生徒諸君に寄せる』」)

posted by RYO at 09:25| Comment(20) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
宮沢賢治も、深いですよね〜

映画は、良かったですか?私も、機会があったら観たいです!

先週一回と明日とで、女子大生さんに混じって
賢治の物語を読みながらいろいろと考える会に
お邪魔しています。

読む人それぞれの捉え方や感じ方があって
いろんな人と読みあうのもとっても楽しいですよ。

吉増さんも賢治のことや柳田國男さんのことを
ご本の中で、お話していらっしゃいましたよね。

やっぱり、どこかしらが
つながっているように感じてしまう今日この頃デス…
Posted by 風待人 at 2006年11月26日 17:51
「賢治の物語を読みながら考える会」っておもしろそうですね。
宮沢賢治の物語は、人間の醜い部分、貴い部分、をくっきりと描き出したものが多くて、読んでいると我が身を振り返させられますから、いろんな人と話し合ってみると深い話が聞けそうだし、また出てきそうです。
それもホントに面白そうだなぁ。
ちょっと私も機会があったら、そんな会を企画してみたいです。
賢治先生に感じたことをしんみり語り合う会。
Posted by RYO at 2006年11月26日 18:18
RYO先生こんばんは。私も「ええ”?」と
思いました。
感想は・・・聞かない事にします(笑)

先生に薦められた「回想の野口晴哉」は、泣きながらすっと読めたのに、「宮沢賢治全集7」の方は銀河鉄道の夜(第四次稿)と風の又三郎の途中までを、やっと読んだ感じで全然進みません。本にまで嫌われたようです(T_T)

やはり賢治先生の作品は、心が穏やかで清らかな時でないと、読むことが許されないのかも知れませんね。

読める日が来るまで待つことにします。
(何年かかる事やら(^_^A))
Posted by ちは at 2006年11月26日 23:09
「回想の野口晴哉」、泣きながら読まれたんですか?
それはそれは…。素敵な読み込み方ですね。
宮沢賢治全集もぜひ泣きながら…(笑)、なんてそれは冗談ですけど、まぁ全集ですからね、気が向いたときに好きな物語だけ好きなように読めばいいと思いますよ。
本は、本に呼ばれたときが「読みどき」で、そういうときは、今まさに悩んでいることの答えが、そこに書かれているのを発見したりして、面白い。
ふと手が伸びるのを気長にじっくり待つのもまた良し。
てゆうか私の部屋には、そんな待ちくたびれた本が山ほど…(笑)。
Posted by RYO at 2006年11月27日 07:54
「読みどき」っていいですね〜

それに読むときどきで
感じ方、見方が変わってくるところが
また幾重にも面白い…ような気がいたします。

野口先生ご夫妻も素晴らしいパートナーでいらしたんでしょうね!

同じ方向を見つめながら
けれど、それぞれに違うひと同志が
いろいろとつないだり、交換し合いながら…
というところに、何かがあるような
そんな感じはなさいませんか?
Posted by 風待人 at 2006年11月27日 15:43
そうですねぇ。
本というのは読むたびに違うことを発見したりして、そのものは一見変わらないように見えても、「それと触れる」ということは毎回毎回新しい、一期一会の事態なんですよね。
人やモノがそれぞれ、つながったり、交換したり、組み合わせが変わったり…、本質的なものはそんなところに宿っていると、たしかに私も思います。
Posted by RYO at 2006年11月27日 16:15
(しまった、この手の話は長くなってしまう…うぅ。割愛割愛)

ますむらさんの描くネコの「銀河鉄道の夜」!すっごく好き。音楽も良いんですよね、響いて、しなって、空間に放り出される感じが(だめだ、語りたくなっちゃう、割愛!)。

初期稿ですか…ジョバンニが意志のしっかりした男の子って感じですよね。私は第三次稿が好きだなぁ。ひとりになって大泣きしたところに「セロのような声」の主がやさしく現れるというのが、なんだか賢治先生の大人の部分と子どもの部分の現れのようで(これも長くなっちゃうから…)

「農民芸術概論綱要」は壁張りしたくなりますよね。私は手書きしてイメージを描き、音読しました。今は「精神歌」の方を張ってますが、いいなぁ、いいですよ。そうそう、綾町の…ってダメだ、割愛!

花巻に泊まった時、朝と夕方に「精神歌」と「星めぐりのうた」が鳴り響き、驚くとともに感動したことを思い出しました。羅須地人協会で「下ノ畑ニ居リマス」の文字にドキドキし、小岩井の山の美しさに胸うたれ(賢治記念館には行きそびれてました。次の機会には是非)…って、あぁ、もぅ!  大好きです。

作品を演じてみるのも別の発見がありますよ。

「感じたことをしんみり語り合う会」もいいですね。
しんみり、っていうところが。 しんみり…
Posted by 亜弥 at 2006年11月27日 23:17
怒涛ですね(笑)。
好きなものは語りだすと止まらない。
その熱はたしかに伝わってきておりますよ。

「しんみり語り合う」ってゆうか、「熱く語り合う」って感じになりそうですね(笑)。どうも。
Posted by RYO at 2006年11月27日 23:20
ええ泣きますとも。
私は上空院になりきって読んでましたから。
RYO先生のいぢわる(笑)

あぁそんな事言っていてはいつまで経っても宮沢賢治全集に呼ばれない。
早く穏やかで清らかな魔女にならなければ。

(課題が増えてゆく・・・)
Posted by ちは at 2006年11月27日 23:40
そうでしたか。上空院さまに…。
とても素敵な方でしたよ。
魔女修行の目標ができましたね(笑)。
精進精進。
Posted by RYO at 2006年11月28日 07:29
ええ?危うく読み流すところでした。
上空院さまにお会いしたことあるんですか?
RYO先生素敵!前回の「いぢわる」撤回します。今度ぜひお話聞かせてください
m(__)m
Posted by ちは at 2006年11月28日 22:58
そうですね。
何度か組んで、一緒に活元運動をしたり、背骨を数えさせていただいたりしました。
さすが、指導のお上手な方でした。
恐れ多くてドキドキでしたけど(笑)。
Posted by RYO at 2006年11月29日 07:18
そうですか・・・。活元運動ですか。
お声とか仕草とか素敵だったんでしょうね。
野口整体も興味がありますが、なぜか私は
野口昭子さま自身に興味を持ってしまいました。
本を紹介していただいた事も含めて、
ありがとうございました。
Posted by ちは at 2006年11月29日 18:36
昭子さんのご本は他にもいくつか出ているので、それらも読んでみると面白いですよ。
「朴歯の下駄(回想の野口晴哉)」の続編のような形の「時計の歌」、「見えない糸」。
そしてお孫さんを育てているときのことを記した「子育ての記」。
あとは句集の「道の空」があります。
興味がありましたらご参考までに。
Posted by RYO at 2006年11月30日 07:16
堰き止めれば、溢れ出す…とはまさにこの状態だったのかと。
ここのところ、賢治先生の話が日常で出来ずに鬱積しておりましたから。
失礼いたしました。どうも(笑)

「わたくしは世界一切である
 世界は移ろう青い夢の影である」

しんみり でも しっとり でも 
いかようにでも…



Posted by 亜弥 at 2006年11月30日 21:24
堰き止めれば、溢れ出す。
なるほど。そうでありましたか。
どうぞ、ほとばしるままに書き連ねてくださいな。
これもまたデトックス(笑)。
Posted by RYO at 2006年11月30日 21:51
ありがとうございます。
探してみます。先ずは「時計の歌」から
Posted by ちは at 2006年11月30日 22:46
ぜひぜひ読んでみてくださいな。
「時計の歌」も涙々間違いなしです。
Posted by RYO at 2006年11月30日 23:58
やっとここまで読み進みました。

なにぃ、銀河鉄道の夜の実写版だって?
とクリックして見ていたら・・・。
その後ろで、写真が趣味の夫が開いていた
写真雑誌の表紙に載っていたのが
なんと、ジョバンニ役の谷村美月さん。
おぉ、わかりやすいシンクロニシティ。
Posted by えなはは at 2008年03月22日 15:00
も、もしかして、一番初めからちくちくと読み進めていらっしゃるんですか?
これは恐れ入谷の鬼子母神。
こんなにも支離滅裂で長々とした雑念にじっくり付き合えるとは、よほどの胆力の持ち主であると見ましたぞ。
むむむ、これは油断なりませんな…。

しかもシンクロニシティですか。
う〜む…これは…やはり只者ではない(笑)。
何かまた「おお!」と思うようなことが到来してしまうやもしれませんな。
そういうのってぱたぱたと続いたりしますもんね。

どうぞ仕合わせが訪れますように。
Posted by RYO at 2008年03月22日 21:43
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