2012年02月15日

溌剌ニッポン

先日、群馬県上野村で行なわれた「上野村シンポジウム」にパネリストの一人として参加してきた。

(こちらからシンポジウムのいろんな動画が見られます。私のインタビュー動画もあり)

この上野村シンポジウムは、『<里>という思想』(新潮選書、2005)や『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書、2007)などの著書を書かれている哲学者の内山節さんが発起人となって始めたもので、今回で4回目になるそうである。

自治体の人や中小企業の人、NPOの人などが集まって、「地域」や「エネルギー」というものを軸に、これからの時代、何を目指していけばいいのかそんなことを話し合った。

地域経済や地域文化活動の担い手が大勢登壇される中、ポツンとひとり身体系の人間がいるというのは何とも不思議な居心地ではあったが、でも私自身は、「地域」とは「からだ」に他ならないと思っているので、まあ別に良いのである。


3.11以降、効率性を重視した「集中型」のシステムというものが、見直しを迫られている雰囲気が広がっている。

たしかに世界的にもやばいくらいに「集中化」、あるいは「フラット化」が進んでいるような気がするが、3.11の震災以後に続く電力事情や復興政策の暗澹たるさまは、図らずもその弱点を見せつけてくれた。

日本の電力事情は言わずもがなであるが、さまざまなジャンルで「分散化」、あるいは「地域化」のようなものが見直され、求められてきているし、フットワークの軽い人たちはすでにそのような動きをどんどんし始めている。

「集中型」のシステムは、ともすれば「細部」を十把一絡げ的に扱った「集権型」のシステムになりがちである。てゆうか基本的にそうである。

集中型システムは、基本的に中央部のオンデマンドで動いてくれるユニットを求めるゆえ、つねに細部は「脱個性化」を求められることになる。

だが、「個性」を奪われたものが元気に溌剌となるということは、決してありえない。

依存的な形で個性を捨て、過渡的に元気を回復するという現象はたしかにあるが、それはあくまで期間限定的な現象であって、私の言いたい本質的で持続可能な「溌剌性」とは違う。

細部の(それはつまり国にとっての「地域」であり、人にとっての「からだ」だが)、その部分の個性を奪って元気を無くしておいて、全体としていったい何を目指そうというのだろう?

からだが疲弊した人間はもはや病人であるだろうし、地域が疲弊した国もまた「病国」であるだろう。

そんなことが続けば、当然だけれど、やがて大きな発熱(反乱)が起こる。


生命体が健やかであるためには、「からだが溌剌としている」ということが大事だと思う。

それはつまり、「細部」や「地域」が溌剌としているということだ。

そう考えたとき、はたしてニッポンは溌剌としているだろうか?

日本はたしかに巨大な打撲を負った。

そういう意味では重症人であると言えるだろう。

だが、病人であれ、怪我人であれ、その病気や怪我の重さと、溌剌としているかどうかということは、また別の話なのだ。


細部が溌剌としているかどうかということは、その組織が健全であるかどうかの目安になる。

これから私たちは、経済も文化もエネルギーもありとあらゆることを含めて、細部が溌剌としていくようなシステムを考えていかなければならないだろう。

そのためには経済構造や金融構造からの見直しが必要で、さらに突っ込んでいえば現行の貨幣システムそのものが、地球生命体の生命活動の原理に本当に適っているのか、問い直していく必要があるだろう。

それには数十年、あるいは百年単位の時間がかかるかもしれない。

何度かの大きな発熱や排泄も経なければならないかもしれない。

だが、やらなければいけない。

私は未来を担う子どもたちの屈託のない笑顔が見たい。

屈託のない笑顔、それは爪先から髪の先まで溌剌としているときに、初めて湧いてくる。

posted by RYO at 22:23| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
RYOさん、
「溌剌」という言葉をあらためて味わってみました。
なんかこう、
生命力がぎゅうぎゅう満ちている(満ちてくる)ような、
そんな感じの言葉ですね。
活性化してるというか。健やかというか。
生きてる感じがしますね。
あと、自由ですね。柔軟でもある。
などなど、たのしんでいます。ありがとう。
Posted by うきき at 2012年02月19日 23:38
「溌剌」という言葉。
「健康」とか「ヘルシー」とかいう言葉はよく聞きますが、でも、あふれんばかりの生命力を指すには、やっぱり「溌剌」っていうのがぴったりの言葉のような気がします。

浮かない世であるかもしれませんが、どうせ生きるなら溌溂と生きたい。
一回こっきりの人生、どんなに命を出し惜しんでも、死んだら終わりで命の貯金はできないんだから、いっそやるだけやって出し切って、死ぬときにはカラッポになって命を全うしたいものです。
溌溂といきますよ〜!
Posted by RYO at 2012年02月20日 23:00
いいですね〜。
溌剌といきましょう!
Posted by うきき at 2012年02月22日 00:33
ぜひぜひ!
溌剌といきましょう!
Posted by RYO at 2012年02月23日 21:47
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