2011年07月19日

新刊本「整体的子育て2」

今度出る本のタイトルと表紙です。


『整体的子育て2 わが子にできる手当て編』8月4日発売!
⇒購入はこちら


試し刷り段階の表紙画像だけれど、本式のがなかなか届かないのでとりあえず上げておきます。(色が若干変わるとか何とか…)

もともとは子育て講座の内容をテープ起こししたものをまとめるという企画で始まったものだったけれど、結局書いているうちにほとんど書き下ろしになってしまった。

執筆中に3・11があったりして、予想以上に四苦八苦した本だったけれど、中身はなかなか良いものに仕上がったと思う。

整体について、子育てについて、私の中にあるエッセンスをふんだんに盛り込んでみたので、興味のある方はぜひぜひ手にとって読んでみてください。

もちろん内容はクレヨンハウスならではの「分かりやすさ」と「ポップさ」を重視してまとめられているので、このブログの文章のような「噛みにくさ」(笑)はほとんど無く、ノド越しの良い感じに仕上がっている。
(「書け」と言われりゃ書けるんですよ。そういう文章も。いちおうね(笑))

なのでその反面、色気や際どさのようなものは少ないが、初めての方でもすんなり入っていけると思うので、ぜひぜひいろんな方に手にとって読んでいただければ幸いであります。

読書用、保存用、贈呈用と一人三冊くらい取り揃えていただけると、家内安全、無病息災、心願成就と、さまざまな御利益ももれなくついてくること請け合いです。


これから出版記念のサイン会やワークショップなどがあちこちで催されることになるかと思いますが、それらの予定は決まり次第、逐次このブログの方に情報をアップしていくので、ご興味のある方はどうぞチェックしておいてください。

ちなみに7月30日にすでにワークショップが決まっているので、よろしかったらぜひどうぞ。


ところで今回この本の中で、「世界を動詞で語ってみる」というチャプターを書いた。

一見、「整体」にも「子育て」にもつながりそうにないタイトルであるが、私が前々から大事なことだと思っていたことであり、今回書いているうちに気づいたらふと筆が走っていったので、そのまま一つのチャプターとして作ったのだ。

「世界を動詞で語る」というのは、いつか何らかのエクササイズやワークとして組み立てて、いろんなカタチで多くの方々に練習していってもらおうと思っていることの一つなのだけれど、これは「世界のものの見方」を変えるために、けっこう大事なキーワードだと思っている。


多くの場合、私たちは世界を「名詞」で語る。

名詞というのは、瞬時に対象をガシッと掴む。

それはつまり実体的でカチッとしたものとして世界を捉えるということだ。

掴まれた対象は即座に概念化され、結晶化され、一つの名詞として存在することになる。

「世界を名詞で捉える」ということは、スチールカメラでパシャリと写真を撮るように、世界を一枚のピクチャーの中に封じ込めるという、そんな振る舞いなのだ。

そこには時間軸というものは存在しない。

だから世界を名詞で捉えていくと、そこからじょじょに「時間」が失われていく。

だが、時間とは生命そのものだから、時間という要素を取り除いて世界を見つめていくと、そこには生命感が欠けてくることになる。

むんむんと湧きたつような「生命の匂い」がそこには無い。


私たちの思考はどうしても世界を名詞で捉えようとする癖がある。

それは思考そのものの癖なのか、現代人の思考の癖なのか、あるいは私たちの言語構造に拠るのか、それはよく分からないけれど、ともかく世界から時間を剥ぎ取って捉えようとする傾向がある。

たしかにその方が捉え処があって、ハンドリングしやすいので、便利であることは確かだけれど、そこで捨ててしまった「時間」というパラメータについて、どこか頭の片隅に置いておくことは大事なことなのではないか。

だって、世界は生命に満ちていて、それはつまりいつだって「動き続けている」ということであり、「時間軸とともに在る」ということなのだ。

「動き続ける世界」を捉えるためには、「名詞」だけでは太刀打ちできない。

「動き続ける世界」を生け捕りにし、踊り食いにするためには、どうしたって「動詞」が必要で、だから「世界を動詞で語ってみる」ということなのだ。


本の中では一つの例として、『「夫婦」というものを動詞で語ってみる』という提案をしている。

自分たちの「夫婦」という運動は、いったいどんな「動詞」がぴったりくるのか。

「支える」だったり、「向き合う」だったり、「寄り添う」だったり、「負かす」だったり…

夫婦を「夫婦」という名詞でさっくり語っているだけでは見えてこないものが、動詞で語ってみようとしたときに見えてきたりする。

そこで繰り返し行なわれている「運動の本質」が見えてくる。

それは子育てにおいても、まったく同じことである。

ついつい名詞で捉えてしまいがちな「子どもの理解」を、動詞に置き換えてみたときに、動き続ける運動態としての子ども、成長し続ける現象としての子どもが見えてくるだろう。

するとそこで何が行なわれているのか、何をやろうとしているのか、徐々にではあるが、そんなものが浮かび上がってくるはずである。

子どもという運動態、親という運動態、親子という運動態、家族という運動態…

世界を動詞で語ろうとした野口晴哉やルドルフ・シュタイナーやゲーテのような人たちに、少しでも近づくためにもおススメのエクササイズである。


まあ、育児書のくせにそんな変なことまで書き込んだ本書であるが、中身的にはかなり面白い本になったということは自信を持って言えるので(なぜなら書いた本人が読んでいてすっごく面白いから(笑))、ぜひぜひ手に取ってみてくださいな。

どうぞよろしくお願いいたしまする。

posted by RYO at 21:39| Comment(11) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「世界を動詞で語る」ですか。
なるほど〜。
私の仕事もまさにそうなんだと実感。
その方を理解する時に“名詞”として捉えることは絶対にできないですし、いつも変わっていく関係性を感じていくことがケアにあたって大切なことだなあ、と。

出版おめでとうございます♪
まわし読みせずに(笑)友人たちに紹介しますね。
Posted by rido at 2011年07月20日 01:16
こんにちは。
どうも御無沙汰してます。
新刊、ぜひぜひ読んでみて下さいね。

「世界を動詞で語ってみる」というのは、
アインシュタインの相対性理論じゃありませんが、
いっぺん分かたれてしまった「時間」と「空間」を、
もう一回つなげて語るためにはどうすればいいのか、
そんなことを考えて思いついたエクササイズでした。

生命を語るためには「時間的」に語るしかない。
完全にそちらに重点を置いたものが「唄」ということになるのかもしれませんが、
だがロジックというものは「空間的」に広がってゆく。

人間を捉えるためには、そこの時間と空間をつなげてゆく必要というものが
あるような気がしてならないんですよね。
その実現は私がむかし見た夢の続きです。
Posted by RYO at 2011年07月20日 05:57
出版おめでとうございます。

そしてまたありがたいお話をありがとうございます。
もっかのわたしの問題である夫婦関係、
これも運動として意識してみます。
きっと夫婦も子どものように成長し続けているんですね。
なんか冷え続けているような気もしますが。。。

こんどこそサイン会に行ってみたいです。
ぜひ日程知らせてください。
Posted by かずママ at 2011年07月20日 10:56
こんにちは。ご無沙汰してます。
ようやく二冊目の出版と相成りました。
ホントはもう少し早めに出す予定だったのですが…

動詞として語ってみるのはぜひぜひやってみてくださいな。
何をやってもなかなか変わらないのは、じつはやっていることが名詞を置き換えるばかりで、動詞がいっこうに変わっていなかった、なんてこともあるかもしれませんからね。
「運動」が変わらなければ、「カタチ」もなかなか変わってこないものです。
逆に「運動」が変わり、「カタチ」が変われば、またホットになってくるというもの。
ぜひちょっと「新しい動詞」「新しい運動」を取り入れてみて下さい。

サイン会もぜひぜひ来てくださいね。
とりあえず今決まっているのは30日のワークショップのみです。
ブログタイトルの下あたりにリンクがありますから、見てみて下さい。
お待ちしておりますよ。
Posted by RYO at 2011年07月20日 23:15
「パラメータ」のうまい訳、
教えてください。
Posted by あんあん at 2011年08月18日 19:59
「パラメータのうまい訳(わけ)」と言われて何のことやら分かりませんでしたが、
「うまい訳(やく)」ということですね?
と得心至ったところで、これまたなかなかむつかしい質問で…

言われて改めて調べてみましたが、
「パラメータ(parameter)」とは数学的には「媒介変数」のこととありまして、
その「媒介変数」に関してはその役割として、
「主たる変数たちの間に陰に存在する関係を記述すること、
あるいはいくつもの対象をひとまとまりのものとして扱うことなどがある。」
などと書かれております。(@Wikipedia)

何だか分かったような分からないような説明でありますが、
パラ(並ぶ)+メータ(尺度)という語源の通り、主たる尺度に並んでいるもの、
主たる尺度に陰ながら影響を及ぼすものという意味合いでよろしいかと思います。

そういう意味では「時間」とはまさに尺度に並ぶものそのものでありまして、私たちが「時間を認識する」ときというのは、必ず「物質が変化する」そのプロセスにおいてのみ認識できる事柄なのですよね。
ですから物質の変化なくして時間の存在は認識できない。

つまりボールが飛んだり、リンゴが腐ったりする変化に、私たちは「時間」を見ているのであって、「時間そのもの」を見つめることは決してできないのです。
私たちは「物質の残り香」のようなものとしてしか、時間を認識することができない。

でも私はそこにこそ何かとても大切なものを感じてならないのです。
気配、残り香、余韻、おもかげ……
そういうものをばっさり切り捨ててしまう思想に、私はまったく魅力を感じないし、生命の本質を知ろうというときには、何かそのあたりに秘密があるような気がしてならないんですよね。

もちろん個人的な好みの問題である可能性は無いとは言えませんが、
私はその自分の直観に賭けております。
Posted by RYO at 2011年08月18日 21:04
難しい質問を、簡単にではなく難しいまま解かるように答えて下さいましてありがとうございました。大変助かりました。
Posted by あんあん at 2011年08月22日 09:55
1を読ませていただきました!
早速2も注文したところです。
年中になる娘は最近になって幼稚園に行く朝にかぎって、
腹痛を訴えるように。
悶々としていた時に、先生の本に出会いました。今は手当てしかできませんが、私の子供との関わりに問題があるのか?と考えさせられました。働いているので、いつも何か考えていたような気がします。気もそぞろに子供と関わっていたようにも思います。
幼稚園の先生にはムスメが少し頑張り過ぎてるのかも?とも言われました。失敗を恐れているようなことも。こんなに小さな娘にはどんどん失敗してもいいのに。やはり関わりでしょうか。
Posted by Cozy at 2011年09月09日 20:12
1,2と本をお読みいただきありがとうございます。
合わせて読むとご利益も倍増いたしますよ!(笑)

お子さんが朝腹痛を訴えるとのことですが、
子どもが園や学校に行く前に何か不調を訴えるというのは、
シンプルに考えれば「園に行きたくない」あるいは「ママともっと一緒にいたい」
のどちらかでしょうねぇ。

そのあたりはもう少し本人や園の先生にも聞いてみなければいけませんが、
それでもじっくり愉気して気をかけてあげることはとても良いことだと思いますよ。
とくに頑張りすぎてしまう子には腎臓のあたりに手当てをしてあげてください。
きっと喜んでくれるでしょう。
Posted by RYO at 2011年09月09日 22:02
早速のお返事ありがとうございました!
今は手元に二冊揃いました。
読むは易し、行うは難し(^-^)/
本当に胸にジーンときました。

娘の件は園の先生と色々相談しながら、やっていこうと思います。

腎臓に手当てですね。
腎臓のあたりに愉気でいいのですかね?
やってみます!
本当にありがとうございました!
Posted by cozy at 2011年09月14日 20:31
そうですね。
背中側から腎臓を包むように手を当て愉気をしたり、温湿布をしたり。
あるいは足湯や側腹つまみも良いでしょう。
ぜひぜひやってあげてくださいな。
本を読んだら、あとはいざ実践です!
Posted by RYO at 2011年09月15日 07:24
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