2006年06月18日

魔女の教え

魔女』(五十嵐大介、IKKICOMIX、小学館)というマンガがある。

前回の記事でモノノケのことを書いていたら、 なんとなく『魔女』の第2集に掲載されている「ペトラ・ゲニタリクス」というお話を読み返したくなったので、読み返す。

私はこの著者である五十嵐大介さんが大好きで、著作は全部そろえているのだが、この方もまた発する言葉が言霊に満ち満ちた方で、 1頁1頁めくるたびに「う〜む。」と考えさせられることばかり。

とても繊細な身体感覚の持ち主であろうことは、丁寧に選び取られた言葉の節々から感じとることができる。

「言葉をいい加減に扱う人は、すべてをいい加減に扱う」とは、どこで読んだ言葉か忘れたが(いい加減だなぁ)、 たしかにそういうことは言えるかもしれない。

キメ細やかな感性をもつ人は、発する言葉にそのキメ細やかさが表れているもの。


五十嵐さんご本人は、里山の集落でコメや野菜を作りながら執筆活動をしていらっしゃるそうだが、ちなみに、 そこでの暮らしをモデルにしたマンガ、『リトル・ フォレスト』(五十嵐大介、ワイドKCアフタヌーン、講談社)もまた、たいへんオススメの本である。

地に足のついた「スローライフ」が丁寧に描かれている。(勉強にもなる。)

五十嵐さんの作品は『リトル・フォレスト』も含めてどれも好きなのだけれど、特に私はこの『魔女』シリーズが好きで、中でもこの 「ぺトラ・ゲニタリクス」というお話が一番好きで、幾度となく読み返している。


このお話は、アリシアという感受性の豊かな女の子が、その繊細な感受性ゆえに世話になる家々を追い出される羽目になり、その末に、 ミラという魔女の家に引き取られることになるのだが、そこでの二人の暮らしぶりと、 やがてある事件に巻き込まれていく様子を描いた短編の物語である。

このミラという女性、彼女は人々に「魔女」と呼ばれ、慕われ、あるいは蔑まれているのだが、 魔女と言っても私たちが思い描くような何か特別な魔法を使うわけではないし、怪しげな薬を作るわけでもない。

ただの人である。

ただ、山に「生活」している「生活者」である。

ただの「生活者」である彼女が、なぜ魔女と呼ばれるのだろう。

それは、物語を読みすすめていくと、おぼろげながら彼女の魔女たる所以が浮かび上がってくるかもしれない。


ミラは魔女ならではの豊富な蔵書を所有しているのだが、それらの本を好奇心から読んでみようとするアリシアに、ミラは 「本を読んではいけない」とたしなめる。

「どうして本を読んではいけないの?」と尋ねるアリシアに、ミラは答える。

「あんたには経験が足りないからよ。」

「“体験”と“言葉”は同じ量ずつないと、心のバランスがとれない」とミラは言い、「それよりあしあとを読みなさい」と、 アリシアを雪山に行かせて獣の追跡(トラック)をさせる。

そうして、アリシアは雪山であしあとを読みながら、獣のこと、山のこと、さまざまな知恵がそこに現れていることに自ら気づいて、 「あしあと」に学んでゆく。


さらにある日、アリシアが薪を割っていたときに、そこにある模様が現われる。

不安になったアリシアはミラを呼び、その模様を見せ、ミラはその模様を見て、それが「古代文字」であることを教え、 そこからある予兆を読み取る。

「裂けた薪の中から古代文字が出てくる」なんて、あまりに漫画的表現のようにも思われるかもしれないが、 私はこれが単なる漫画的表現だとは思わない。

裂けた薪に何かヘンな模様があるのを見つけた時に、ぱっと不安を感じるその「直感」。
そしてその模様から、ある意味を読み出して「物語」を語る「知恵」。

「少女の直感」と、「大人(魔女)の知恵」が合わさることで、紡ぎだされるモノ。

それがそのまま「魔女の知恵」なのではなかろうか、と私は思うのだ。


ほかにも、パン種が発酵しているさまを見てアリシアがある言葉を発したときに、それがまるで“何かが私を通して語っている” かのようにアリシアが感じた瞬間、ふとヒバリが飛び立ち、それに気づくシーンなんて、よくこんな描写を描き出せるな、と正直、愕然。

おそらく五十嵐さん自身が、たびたびこんな感覚に見舞われるんじゃなかろうか、とは私の勝手な空想。

でも、もしかしてまったく無意識に描いていたりして。ホントに何気ないシーンだからなぁ。

どうなんだろう…聞いてみたい。

(ちなみにまことに野暮な解説をさせていただくと、深層心理学的に言えば、鳥は「母」の象徴であり、神話学的に言えば、「この世とあの世を仲介するメッセンジャー」である。つまり「生命」「誕生」「生まれ変わり」の象徴とされる。)


そのような暮らしの中で、魔女は小さな少女に「生活」を伝承してゆく。

畑仕事、牧畜仕事、山仕事に道具作り。雪山で獣のあしあとを読むこと、雲の様子から嵐を読むこと、裂けた薪から現われた模様から予兆を読み取ること…。

ミラは生活の中で、自然のさまざまな現象に現れる繊細なメッセージを読み取ることのできる五感を、アリシアの中に育てる。

魔女とは、自然の精妙な徴(しるし)を読み取り、自然と交感できる者のことを言うのである。

そのためには、丁寧に「生活」すること。

丁寧にモノと物事に向かってゆくことを、それこそ薄紙を重ねるように積み重ねてゆくことによって、 初めて身に付いてくるものなのである。

だから、ミラはアリシアに魔法や魔術などではなく、「生活」を教える。

私たちの今の生活を振り返ったときに、丁寧に「生活」できている人、つまり丁寧に「生を活きる」ことができている人が、 どれほどいるだろうか。

ここに描かれた「魔女の教え」とは、丁寧に生活し、丁寧に生活と向き合うことである。


物語の終盤、ミラがある責任を負わなくてはならなくなったときに、アリシアは「なぜ、ミラじゃなくてはいけないの?」と問う。

それに対してミラは答える。

「“魔女”は考えないの。魔女はただ知っているのよ。自分自身のするべきことをね。」

真摯に丁寧に「生活」を重ねてきた者にのみ、発せられる言葉であると、私は思う。


「あなた自身のからだで… 世界を確かめていきなさい。」

という物語の最後に語られる言葉が、心に響く。

posted by RYO at 19:14| Comment(6) | TrackBack(1) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「魔女の教え」とは、また意味深いお話のようですね・・・

「“体験”と“言葉”…心のバランス…」とは、U〜mと、うなります!

私も、いま結構な歳になっても、まだまだですが
その意味に思い当たる節があります。

読んでみたいような、けれど
そちらに傾き過ぎないように…などと
うれし、おそろしい複雑な心境です。

実は、「ゲド戦記」観てきました!!

空の色、雲の流れが、とても美しかったです!

子どもと一緒だったので
感想は、いろいろなことが混じってしまい
一言では申し上げられません。

でも、好きな映画になると思います…
Posted by 風待人 at 2006年08月01日 19:23
「魔女」、オススメですよ〜。
どうぞ、ためらわずにぜひ読んでみてください(笑)。
私自身、気づかされること多々でありました。
いえ、また改めて読んで新たに気づかされることもまだまだあることでしょう。
マンガですから、どうぞ、サラッと(笑)。

「ゲド戦記」観てきたんですか?
私もやや落ち着いた頃にでも観にいこうかと思っておりますが、今から愉しみです。
ジブリ作品はどれもそうですけれど、自然の描写がホントにキレイですよねぇ。
どこか原風景のような印象を感じさせます。
Posted by RYO at 2006年08月02日 08:12
こんにちは、初めましてRYOさん。
どの記事も面白いですね!

内田先生の映画の話、しびれますよね。
私もいつか先生の高座を聞きに行きます。
(ちなみに、落語は志ん朝としらくが好きです。)
かつては大学で
蓮見教授の映画論で
立て板に鉄砲水の喋りに幻惑されたものですが。
(開型上下のタイジンの風格あり、日本人離れしてる方です。)

あの時は「嘘でもいい、このまま一生騙して!!」って感じでした。
ああ、あの頃は純真だった。(私も夢は「学生」かも)
素晴らしい芸を見ると今でもそれは変わりませんが…
今は「身も心も捧げます!」って感じかな。
(身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、
大人になったでしょう???)
今度、一生騙されたい人シリーズやってくださいね。

…と、本題と関係ないおしゃべりが長くなりました。
さて、今日投稿したのは!
このマンガきますね〜〜読んでみます!
うちの子ども達の学校では読書は4年生からなんですよ。

こうして読む前に投稿するようなおっちょこちょいです。
内容を吟味されたかった方、お許しください。

投稿するのは初めてですが、
ご尊顔はよく拝見してます。
改めてよろしく!
Posted by ひろみん at 2006年08月03日 18:28
ひろみんさん、こんにちは。
内田先生の映画論はまさに丁々発止で本領発揮といった様で、ぜひぜひオススメですよ! 映画論ならずとも一度聴きに行かれると面白い。
蓮見教授というのは、名前だけはどこかで耳にした覚えがありますが、詳しくは存じ上げませんね。でも、話を聞くと面白そうですね。内田先生のような方なのでしょうか…。

「魔女」はオススメですよ〜。というか五十嵐大介さんのマンガはどれもオススメです。
でも、そうか。子どもたちはできる限り遅く文字と触れるんですよね。
「4年生」までというのは初耳で、ちょっとビックリでしたけど。
でも大丈夫。これは大人のためのマンガですから。子どもにゃ判りません(笑)。
Posted by RYO at 2006年08月03日 21:30
RYOさまオススメの『リトル・フォレスト』読みました。
(『魔女』はどこも在庫切れで…ざんねん。くすん)
こういう漫画があろうとは思わなんだで、驚きました。
すっごくおもしろくて、抜け出て、大満月の夜の里山へ飛んでいってました。


『“体験”と“言葉”は同じ量ずつないと、心のバランスがとれない』とは
まさにその通りで、この『リトル・フォレスト』も数年前の私が読めば
「田舎暮らしは大変だ」とか「もの珍しいなぁ」ということだけだったでしょうが、
今は稲刈りの音や感触、ストーブのにおいとか見上げる空の青さがリアルで
わずか8pで描かれたものが、空間と時間の大きな広がりをもって、
ふおぉっと心に現れてきました。


「人は、その人の中にある言葉でしか受け取ることができない」とは、
確か上田紀行さんの著書の中の言葉だったかと思うのだけれど(適当・・)
その人の中にある小宇宙というか何というか、そういうものの度量によって
投げかけられた言葉の解釈や読み方が変わってくるものですねぇ。

それはそうと、若草色のリンクしている記事に飛んでいくと、これまた次のリンク・・
深い森のようですねぇ。果てしない宇宙・・かな。
迷い込んだら出られなくなったりして。はははは。


丁寧に「生活」

それこそ 愛 ですね
そうありたいものです。 
Posted by 亜 at 2006年10月24日 22:10
『リトル・フォレスト』、いいでしょう〜?(笑)
亜さんの心に響いたようで何よりです。
ひとコマひとコマの触感がリアルで、体感に満ち満ちたマンガですよね。
私もときどき取り出しては、読んで癒されております。

じつは私は自分のブログを、記事のリンクからリンクへとどんどんつないでいって、複雑なネットワークにしていきたいなぁ、と思っているのです。
ですからかなり確信的に、リンクの迷子にさせたいと思っていたりして…。
目指すは「インドラの網」!
Posted by RYO at 2006年10月24日 22:30
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Tracked: 2009-03-02 18:52
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