2009年08月20日

幸田家のしつけ

このまえの記事でお茶のことを書いたら、ちょうど今読んでいる『幸田家のしつけ』(橋本敏男、平凡社新書、2009)のなかにお茶をいれる話が出てきた。

幸田露伴とその娘、幸田文(あや)との親子関係は、いろんなところで取り上げられているのでご存知の人も多いかもしれないけれど、そのエピソードの数々は、現代でも「しつけ」とか「家庭教育」といったところを考えてゆくときにとても参考になるので、興味のある方はぜひ一度読んで見られると良いかと思う。

ちなみにお茶についての文章とはこんなものである。


『今日は我ながらおいしそうにお茶がはいった、というときはすっと部屋にはいれ、すっと茶碗が出せ、すっと引上げてこられる。部屋を出るときちらりとみると、父はもう茶碗を手にとり、目だけは本へいっている。つまり、相手を乱さない、なみのお茶だった。なんのことはない、上手にお茶をだすというのは、真っ先にうまいお茶をいれればいい。うまいお茶はどうするかというと、自分がのんで、味だの香りだの、色、温度などがわかればいい。うまさなどは比べればすぐわかってしまう。わかれば何処となく大丈夫な気がして、さっさと歩ける。こちらがうじうじしなければ、もともとあっちはあっちの仕事にかかっているのだから、こちらのことなど気にはしない。それだけのことだ。』
(幸田文『月の塵』所収「机辺」)


なるほど。ごもっともであるやもしれぬ。

仕事の最中の人にお茶を出すに余分は要らない。スッと出しサッと消えるのが一番であって、ごたごたまごまごしているのは、お邪魔虫というものである。

そしてそのごたごたまごまごの一番の原因は何といっても乱れた心であり、何事も本番に入る前に「これでよし」という軸を決めてからかかればピシャリと決まるものを、「美味しく入ったかしら」「ぬるくないかしら」「機嫌は良いかしら」「怒られないかしら」と、余計な心配を背負ってのこのこと現場にやってくるから、手元足元がぶれてごたごたまごまごを引き起こす。

何事もコトに至る前にすでに終わっている仕事というものがあり、それがコトに至ってぶれない軸を生み出しているのだ。

このこと、お茶に限らないだろう。


明治の文豪である幸田露伴が娘の文にどのような家庭教育を施したのかは、幸田文ご本人の著書である『父・こんなこと』(幸田文、新潮文庫、1967)に詳しいが、その徹底した教育振りには瞠目するものがある。

文の実母は、露伴がどこかの料亭で美味しい料理を食べてきて「こんな料理を食べてきた」と話をすると、その二、三日後にはそれとほぼ近い料理を膳に出し、しかも食べたことの無い西洋料理のソースやドレッシングさえも見事に再現したというから、よっぽど聡き女性であったようだが、不幸なことに文がまだ小さい頃に他界してしまった。

後妻に入った女性はミッション系の学校で英語を教える才媛ではあったが、家事や台所仕事を好んで行うタイプではなかったらしく、結局、娘のそういった教育全般を露伴が自分で教えることにした。

露伴自身は兄弟の多い貧しい家庭に育ち、小さい頃から掃除、洗濯、炊事、火炊きとさまざまな家事をこなさなければならかったそうで、そういったことを教える素質は十分に備えていたというわけだが、これがまた「明治の男」という感じで、その教え方たるやまさにスパルタ教育である。


女学校1年の夏休み、14歳の文は露伴に「掃除の稽古をつける」と言って呼び出される。

そして「道具を持ってきなさい」と云われて、三本ある箒の一番いいのにはたきを添えて持って出ると、露伴は見るなりいやな顔をして、「これじゃあ掃除はできない。ま、しかたが無いから直すことからやれ」と、こう来る。

そして結局、初日は曲がった箒の先を洗ってまっすぐに整えたり、はたきを使い良いように新しく改造したり、道具の手入れをするだけで終わるのだ。


『第二日には、改善した道具を持って出た。何からやる気だと問われて、はたきをかけますと云ったら言下に、「それだから間違っている」と、一撃のもとにはねつけられた。整頓が第一なのであった。「その次には何をする。」考えたが、どうもはたくより外に無い。「何をはたく。」「障子をはたく。」「障子はまだまだ!」私はうろうろする。「わからないか、ごみは上から落ちる、仰向け仰向け。」やっと天井の煤に気がつく。長い采配の無い時にはしかたが無いから箒で取るが、その時は絶対に天井板にさわるなと云う。

 煤の箒を縁側ではたいたら叱られた。「煤の箒で縁側の横腹をなぐる定跡は無い。そういうしぐさをしている自分の姿を描いて見なさい、みっともない格好だ。女はどんな時でも見よい方がいいんだ。はたらいている時に未熟な形をするようなやつは、気どったって澄ましたって見る人が見りゃ問題にゃならん」と、右手に箒の首を摑み、左の掌にとんとんと当てて見せて、こうしろと云われた。机の上にはたきをかけるのはおれは嫌いだ、どこでもはたきは汚いとしりぞけ、漸く障子に進む。

 ばたばたとはじめると、待ったとやられた。「はたきの房を短くしたのは何の為だ、軽いのは何の為だ。第一おまえの目はどこを見ている、埃はどこにある、はたきのどこが障子のどこへあたるのだ。それにあの音は何だ。学校には音楽の時間があるだろう、いい声で唄うばかりが能じゃない、いやな音を無くすことも大事なのだ。あんなにばたばたやって見ろ、意地の悪い姑さんなら敵討がはじまったよって駆け出すかも知れない。はたきをかけるのに広告はいらない。物事は何でもいつの間にこのしごとができたかというように際立たないのがいい。」』
(『父・こんなこと』p95−96)


始終こんな調子なもんだから、もともと勝気の強い文はそのうち反抗心がめらめらと燃え上がってくるのだが、そうすると露伴は「ふむ、おこったな、できもしない癖におこるやつを慢心外道という。」と、これまた一蹴する。

そして憮然としている文に「やって見せるから見ていなさい」と自ら手本を示してみせるのだ。


『房のさきは的確に障子の棧に触れて、軽快なリズミカルな音を立てた。何十年も前にしたであろう習練は、さすがであった。技法と道理の正しさは、まっ直に心に通じる大道であった。かなわなかった。』
(『父・こんなこと』p96)


すごい親子関係である。

だいたいいまどき家庭で掃除の稽古などすることがあるだろうか。

「花嫁修業」などというものが古臭い慣習となって以来、暮らしの稽古をつけてくれるなんていう、そんな人も機会もほとんど無くなってしまったのではなかろうか。

ずいぶん前の記事で「暮らしと私の関係が希薄になってきた」というようなことを書いたけれども、これだけみっちり「暮らしの稽古」をしていれば、きっと生きていくのにものすごい支えになったことだろう。

電化製品に「望んで仕事を奪われていった」現代人は、自分の暮らし(Life)自体と密接に関わることをやめて、きわめてクールな関係を作り上げていったが、その結果、起きてきたことが「私が生きている」という実感の希薄化だ。

どうも生きている実感が希薄でふわふわしている現代人は、みんなもういっぺんこんな「暮らしの稽古」をやってみる必要があるかもしれない。


また、別の日には水の掃除の稽古をする。

「水は恐ろしいものだから、根性のぬるいやつには水は使えない」としょっぱなからおどされ、「へーえ」と内心ちっともそんなことは思わずにバケツの水をとり回していると、「そーら、そらそら」と声をかけられる。


『しぼり上げて身を起す途端に、びんとした声が、「見えた」と放たれる。太短い人差指の示す処には水玉の模様が、意外の遠さにまではね散っている。「だから水は恐ろしいとあんなに云ってやっているのに、おまえは恐れるということをしなかった。恐れの無いやつはひっぱたかれる。おまえはわたしの云うことを軽々しく聴いた罰を水から知らされたわけだ。ぼんやりしていないでさっさと拭きなさい、あとが残るじゃないか。」』
(『父・こんなこと』p102)


文は自分がほとんど無意識に行なっていた不調法まで露伴に指摘されて、いかに自分がいろんなことを見落としているかに気づかされ、そして改めて水に対する態度、水をとり扱うための振る舞いというものを教え込まれる。


『この雑巾がけで私はもう一ツの意外な指摘を受けて、深く感じたことがある。それは無意識の動作である。雑巾を搾る、搾ったその手をいかに扱うか、搾れば次の動作は所定の個所を拭くのが順序であるが、拭きにかかるまでの間の濡れ手をいかに処理するか、私は全然意識なくやっていた。「偉大なる水に対って無意識などという時間があっていいものか、気がつかなかったなどとはあきれかえった料簡かただ」と痛撃された。云われてみれば、わが所作はまさに傍若無人なものであった。搾る途端に手を振る、水のたれる手のままに雑巾を拡げつつ歩み出す、雫は意外な処にまで及んで斑点を残すのである。更に驚くべきことには、そうして残された斑点を見ぐるしいとも恥かしいとも、てんで気にさえならず見過していたことである。』
(『父・こんなこと』p105)


そしてやはり自ら手本をやってみせる露伴の振る舞いは美しく、文はその父の姿に感じ入るのだ。


『父の雑巾がけはすっきりしていた。のちに芝居を見るようになってから、あのときの父の動作の印象は舞台の人のとりなりと似ていたのだと思い、なんだか長年かかって見つけたぞという気がした。白い指はやや短く、ずんぐりしていたが、鮮やかな神経が漲ってい、すこしも畳の縁に触れること無しに細い戸道障子道をすうっと走って、柱に届く紙一ト重の手前をぐっと止る。その力は、硬い爪の下に薄くれないの血の流れを見せる。規則正しく前後に移行して行く運動にはリズムがあって整然としてい、ひらいて突いた膝ときちんとあわせて起きた踵は上半身を自由にし、ふとった胴体の癖に軽快なこなしであった。「わかったか、やって見なさい」と立った父は、すこし荒い息をしていた。後にもさきにも雑巾がけの父を見たのはこの時だけである。』
(『父・こんなこと』p103−104)


とにかく露伴は徹底して、まずやらせてみて、そして自らやってみせて、もう一度やらせてみる、という三段教授を行なって、まず物事それ自体と「からだごと出会ってゆく」ということを大事にした。

徹底的にからだで感じ、そしてからだで覚えてゆく。

文はそんな徹底的に物事と関わろうとする父の教えをこう表現する。


『畢竟、父の教えたことは技ではなくて、これ渾身ということであった。』
(『父・こんなこと』p123)


とにかく幸田家では「ケチ」というのが最大の侮蔑の言葉であったそうで、それを言われたら「もうオシマイ」というくらいに蔑まれたそうであるから、そりゃあもうどんなときでも奮い立つしかない。

面倒がる、億劫がる、出し惜しむ、骨惜しみする、そんな振る舞いはすべて完全に見捨てられるのだ。

それは整体の「全生」(生を全うする)という思想とも通じるものがある。

「おまえはもっと力が出せる筈だ、働くときに力の出し惜みをするのはしみったれで、醜で、満身の力を籠めてする活動には美がある。」と娘に教える露伴にとっては、すべてが渾身であり、全生であり、一期一会であるということなのだろう。

それは今の私たちにこそ、しっかり身に染みこませなければならない教えではないだろうか。


最後に、ちょっといいなと思ったこんなエピソード。


『ある細かい雨が降る日、門から玄関への敷石道に、ずっと植えた萩がつっ伏されて道がなくなってしまっていた。そこへ客がやって来た。文には、その板垣のすき間から足元が見える。そのお客はおしゃれといわれた人だ。どうするかと見ていると、蛇の目を拡げて横へ倒し、たわわな萩の花を軽く押しやりながら傘をくるりくるりと回して歩み進んだ。自分はしおしおと雨にぬれたままである。文は思わず「花もきれい、傘もきれい、足も人もきれい!」と感じた。
 あとでこの話を父露伴にした。すると露伴は「おしゃれと云われるほどの女なら、咄嗟にもそのくらいの風情はなくっちゃあねえ。いくら萩が臥ているにしろ、むざと秋の庭へ足駄の跡を残したんじゃあ興がさめる。自分が濡れるのは何程のこともないけれど、おしゃれはそこだろうね」といった。』
(『幸田家のしつけ』橋本敏男、平凡社新書、2009、p149−150)


う〜ん、参っちゃうなぁ…。惚れるなぁ…(笑)。

ファッションのおしゃれなどではなく、子どもが思わず「花もきれい、傘もきれい、足も人もきれい!」と感じてしまうような、そんなおしゃれがもっともっと増えていったら、きっと日本もすごい粋でおしゃれな国になるんだろうなぁ。

渾身と粋。

いや、いいねぇ。

posted by RYO at 22:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 はじめてコメントさせていただきます。
 幸田文さんの「雨の萩」の文章の女の人、いいですね〜。昔中学校の国語の教科書に載っていたような記憶がありますが・・・。

 露伴の教えを、このような文章でかける幸田文さんという人も、すばらしいですね。
Posted by mike at 2009年08月30日 22:05
mikeさん、こんにちは。はじめまして。
いやぁいいですよね〜。たまらないなと思いました。
そんなしぐさを見かけてしまった日には心奪われてしまいます。

幸田文さんの文章もいいですよね。
上品で、緻密で、でも芯があって、そして時折お転婆で、
私がとても好きな文体の作家の一人です。

この人だからこそ文豪の見えざる一面を
これだけ魅力的に描き出せたのかもしれませんね。
Posted by RYO at 2009年08月31日 07:06
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