2008年11月20日

「気話会」講話録('07.11) (5/7)

●伝統文化に見る発散の知恵

 昔はそういうのをたとえば滝行なんかで滝に入って厄を落とすというか、そういうことをしていましたよね。むかし滝行をやったことがありますけどあれは強烈なんです。バーッと上から落ちてくる水に打たれて、水量が多いときなんて肩とか内出血するくらいすごかったりするんですけど、あれはもう事故なんですよね。事故に遭う前に自分で事故に遭っちゃうんです。滝の中に飛び込んで。

 そうしてからだじゅうにバッチバッチ浴びて悪いものを削ぎ落として流してゆくっていうのが禊(身削ぎ)ってことなんですけど、そうやってからだが「死ぬんじゃないか」っていうびっくりするようなことをあえてわざわざやることで、余計ないざこざを生み出してしまうような自分の中に溜まったものを発散させてしまうんです。寝ぼけた生命力を賦活させるんですね。そうするとしばらく落ちつくんです。自分の中に滞ってしまっていた余剰エネルギーが発散されますから、争いの種になるようなものがずいぶん減って、無病息災じゃないですけど、そういうことはからだから見ても確かに理に適っているんですよね。そういう意味で修行みたいな荒行みたいなものも時々やっているとすごく元気だし、ご利益的な意味だけじゃなくて、整体的な観点からしても病気も減るし怪我も減るだろうなと思います。

 各地にあった「喧嘩祭り」みたいなものもやっぱりそういうものなんだと思います。ヘタをすれば死者が出るくらい激しい祭りを何で毎年やっているんだって言えば、やっぱり一年ずっと暮らしているといろんなゴタゴタがあって、お互いが何となく我慢していることがだんだん溜まってきたときに、それをきちっと発散させるシステムとしてね、「今日はいいよ」っていう「喧嘩祭り」とか「悪口祭り」みたいなものがあって、「今日は無礼講ではしゃいでいいぞ」っていう全員の了解の下にワーッと出して、とにかく全部出して燃やしちゃって、共同体全体の毒出しをしてスッキリしちゃうっていうね。お祭りやってワーッと発散させると土地全体がゆるむっていう、そういうエネルギーをきちっと流してゆくための装置だったんじゃないかと思いますよね。


 あとはそういうときに火を焚いたりとかもね。昔から神社仏閣なんかで火を焚いたりしてますでしょう。からだにお灸を据えるっていうのも経穴とかあるポイントに据えますけど、土地でもそのポイントポイントに祠を建てて神社を建ててそこで火を焚いているっていうのは、やっぱりお灸を据えているんですよね。大地に。そういうところで熱を当ててね、発散させているんだと思います。大地のエネルギーの流れを中国では龍脈と言いますけれど、そういう流れの中にもポイントのようなものがあって、そうやって地球全体の流れの中のあるポイントできちっと発散させているっていうね。小さな火山みたいなもんですよね。そこで小さく噴火させて出してあげることで何かが発散される。

 火っていうのは上昇するものですから昇華させるためにはすごくいいんです。だから私は家の中でもそういうものを置いておくといいですよってときどき言うんですけど、淀んでいるところに火を置いておくといいんです。火はいろんなものを呼び込んで払ってくれるんで。火は上昇気流を生みますよね。それで上昇すると対流しますから風はそこに向かって流れていくんです。それで淀んだ暗いところには上じゃなくて下に、そういう火じゃなくてもいいから明かりをポンと置いておくと、その熱がフワーッと上がって、風がスーッと周りから入ってきて、そこの淀みを散らしてくれるんです。もちろん明るくなりますしね。だから部屋の中でどうもここは湿気が多くて暗い感じがするなと思ったら、そういうところに火を置いておくと風を呼び込んで湿気を飛ばしてくれます。そうやって流れを発生させて淀んでしまったところを流れのなかに組み込んじゃうんです。


●微生物の働き

 私は大学が醸造学科で、お酒造ったり、味噌造ったりしていたんですけど、微生物っていうのもすごく面白くて、あれは流れが停滞したところに発生するんですよね。腐るってそういうことですしね。何て言うんでしょうね。良い悪いとか関係ないんですけど、物事っていうのは流れている限りはそのままスムーズにいっているんですけど、流れがどこかで滞ってくるとその滞った流れをもとに返そうとする力が働いて、それが分解という働きを担っている微生物たちなんですよ。そういうところに微生物が湧くんです。流れが滞ったところに微生物が湧いて、それを分解して粉々にして流れに返そうとするんです。ムシが湧くところっていうのはやっぱりなにか滞っているんですよね。風通しが悪いところとかムシが湧きますでしょう。それでムシが湧いて腐らせてグチャグチャにして細かくすることでまた再び流れのなかに返していこうとするっていう。その「分解」というのは人間にとっては、というか生物にとっては「死」ということであって困っちゃうんですけどね。

 でもそうして命を分解して初めて他の命に受け継がれていくわけですから、大きな目で見たときにはすごく大事なことをやっているんですよね、彼らは。動物のからだが腐らなければ森は動物の死骸だらけになっちゃいますから、やっぱりきちっと腐って分解されて土に返ってまたもとの流れのなかに返ってゆくことではじめて森が循環しているわけで、それは大事なことなんですよね。でもそれが自分のからだに起きてしまうと困っちゃいますから、少なくとも生きているうちにはそうならないように、腐ってムシが湧くようなことはしちゃいけないですよね。自分のなかに何か淀んだところを作っちゃいけない。

 でも人間はあえてそれを利用して、流れをとどめて停滞させたところにムシを湧かせて、お酒を造ったり味噌を造ったりしてそれを食べるなんていうずいぶん高度なことをやってますけど…、人間ってホント面白いなと思いますね。おそらく発酵食品を食べない文化って無いんじゃないんですかね? 知りませんけど。そういうものを摂るっておそらく人間のからだにとってすごく重要な意味を持っているような気がします。生のものと発酵したものではその意味はまったく違いますからね。発酵好きの人間の贔屓目かもしれませんけど…(笑)。

⇒つづく

posted by RYO at 20:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 講義録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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