2008年11月13日

「気話会」講話録('07.11) (3/7)

●「出し方」という知恵を教える

 どうもお話がずいぶん心理的なものになってきましたけど、最近はフロイトとかラカンとかそういう精神分析を勉強しようと思っていて、そのことが自分の中にあったんで、ついそういう話になってしまいました。でもやっぱり「スムーズに出してあげる」っていうのが整体で一番大事な根本にある考え方で、熱が出たらその熱をきちっと出させてあげる、気持ち悪ければ吐けばいいし、皮膚から出ているものはちゃんと出してあげる。それを抑えるから何かいろんな形で出てきてしまうんですよね。子どもが何かをやろうとしているときも抑えつけるんじゃなくて出させてあげる。

 でも子どもはその出し方、振る舞いを知りませんから、それがたとえば誰か人を傷つけてしまうようなことであれば、それは少し工夫してやらせてあげる。投げようとしたものがガラスだったら「それは投げると危ないからこっちを投げようね」と別のものを渡してあげて、投げることそのものを禁止するんじゃなくて投げ方を教えてあげる。知恵ですよね。これを投げると危ないからこっちを投げようねっていう知恵を教えてあげる。行為そのものを止めるんじゃなくてね。からだから出てくるものもそういうことで、出てくることそのものは抑えずに、それを何かスムーズに行くようにしてあげるっていうんですかね。

 それがたとえば整体では「温めてあげるとこうなるよ」とか、「こういうところを押さえるといいよ」とか、そういうふうにしてからだが経過しようとしていることをあくまで尊重しながら、何かそこにサポートできるようにして手当てするということが整体の思想なんですよね。きちんと流れてゆくようにしてあげるっていうんですかね。


●きちんと流れを保つこと

 前にもお話しましたけれど、ちゃんと「流れている」っていうことがすごく大事なんです。ここでも踵を持ってからだを揺らしたりとかしましたけれども、自分の中を波が抜けていって、流れが抜けてゆく感覚っていうのはすごく大事なんです。入ってきたものがきちんと出て行っているうちは、それは川が流れているのと一緒で自然に綺麗な水になってゆくんです。自己浄化作用っていうんでしょうか。でもそれが何らかの形でどこかで抑えつけられてしまうようなことがあって、そこで流れが止まってしまうと、水が溜まって淀んできて腐り始める。「腐る」というのは「気去る(くさる)」とも書きますけれども、流れが止んでしまったところから腐り始めるんです。気が去ってしまうんです。気というのは流れ続けることがその本性なんです。

 流れを止められたところから淀んでいくということは、からだでも心でもまったく一緒で、きちんと流れてさえいればいいんですけれども、流れが淀んでうまく流れないものが溜まってくると病んでくるんです。流れが止むから病んでくるんです。だからそこの流れをもう一度取り戻してあげる。出口をちゃんと作ってあげて流していってあげると、あとは自然と清流のように澄んでくるんです。出口さえきちっと開いていれば、入ってくるほうは自然と入ってきますから、とりあえずは出すことだけ考えればいいんです。あとは放っておけばいつのまにか淀みが澄んでくる。


 その一つのきっかけが手当て、愉気なんです。これはホントにすごいことだと思うんです。手を当てて、そこで呼吸をするようなつもり、そうすると流れが取り戻ってくるんです。外の風を入れるっていうんですかね。自分ではどうしようもなくなってしまったところに外からの手がフッと加わることで何か動きが生まれるんですよね。それはホントに自然の妙です。仕合わせなことだと思います。自分でどうしようもなくなってしまったときに、そこに何か外部のものが加わることで流れが取り戻るということは、すごくよくできています。すごいことです。隣にただいてあげるとか手を当ててあげるっていうのはそれに近くて、本来の流れを取り戻してあげる時には余計な作為はいらないんです。

 これは整体では必ず言われますけれども、愉気しているときは何も考えなくていいんです。ポカンとしてただ手を当てればいいんです。ただ手を当ててこちらも滞りのない状態でいれば、自然とその滞りのない状態が感応していって、それでお互いのからだの中の通りが良くなって、いつのまにか徐々に淀んだものが流れ去っていって、整体でいう排泄反応という経過を経て、その本人のもとの素直な流れの状態に返ってゆくというのが現象として見事に起きるんです。


 そういうふうに流れがスムーズかどうかっていうふうに物事を見ていくと、世の中の現象もまた別の形で見えてくるものがあるんです。流れがスムーズかどうかっていうのは人のからだでいえば、酸素の流れだったり、血液の流れだったり、栄養素の流れだったりありますけれども、他にもこういうふうに人間が何人も集まっているところで何が流れているかって見れば、言葉が流れていたり、お金が巡っていたり、誰かに何かをやってあげることがぐるぐる巡っていたり、都市で言えば車が流れていたり物資が流れていたり、いろんなものがぐるぐる巡っていますけれども、それがどこかで詰まるとそこで何かゴチャゴチャし始めますよね。「あの人のところでお金が止まっている」とか(笑)。「挨拶したのに返事が返ってこない」とかね。病んでいるわけですよ。そこが。あるいはどこかで道が寸断されちゃってそこに車が詰まってくると、流れが止んでゴチャゴチャしてきて、空気も悪くなれば人の心も荒んで喧嘩も起きる。そういうのが都市のような大きなものを見ても、人間のからだのような小さなものを見ても、同じような現象としてあって、そういうふうに物事を見ると見えてくるものがあるんです。

⇒つづく

posted by RYO at 22:54| Comment(4) | TrackBack(0) | 講義録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お久しぶりです。
実は今、夫の実家の長野に来ているのですが、温泉に行って帰る直前に、ギックリ腰をやってしまって、布団の中で安静状態です。
なんとか早く回復する方法はないものかと、こちらにアクセスしてみましたが、携帯からなのでうまく検索できなくて。
流れが滞っているんですかねぇ、これも。
それとも、神様からのお休みのプレゼント?
善光寺に初詣や、行きたいところはいっぱいあるのになぁ。
Posted by えなはは at 2008年12月30日 17:12
お久しぶりです。
ぎっくり腰ということで大変ですね。調子はいかがですか?

せっかくの温泉なのに残念。
でもたしかにちょっと気持ちばかり先へ先へ行こうとしすぎていたのかもしれませんね。
少しお休みしなさいということかもしれません。

最近、目が草臥れていたりはしませんでしたか?
特にこの時期のぎっくり腰のときは「食べすぎ」と「目の使いすぎ」に注意。
腰の痛いところをちょっと手でさすってもらったり、温湿布してみてください。
あと目の温湿布も。

お継母さまにも「こういうとき何かご存じないですか?」と
ぎっくり腰のときの手当てを聞いておくといいですよ。
Posted by RYO at 2008年12月31日 09:32
あけましておめでとうございます。
食べ過ぎ、目の疲れ、たしかに身に覚えあり…です。
お陰様で、痛みもだいぶ和らいで、動けるようになってきました。義母にも、経験者として色々とアドバイスをもらい、くせにならないよう気をつけようと思っているところです。
コメント、やっぱり2重になってましたね。お手数ですが、消しておいていただけますか?携帯からだとよくわからなくて。
Posted by えなはは at 2009年01月01日 12:17
こちらこそあけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

腰の痛みも和らいできたということで何よりです。
どうぞ信州長野の湯治をゆっくりご堪能ください。

(コメント重複分消しておきますね)
Posted by RYO at 2009年01月01日 19:25
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/109815960

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。