2008年11月06日

「気話会」講話録('07.11) (1/7)

私はしゃべりだすと止まらないことがある。

「ことがある」なんて言うと、「いつもでしょ」と眉をひそめる人もいそうだけれど、とにかく非常にしばしば止まらないことがある。

そういうときは自分が自分のしゃべりに没入しているので、しゃべり終わると何をしゃべっていたのかおぼろげになっていることが、これまた非常にしばしばある。

ついこの前など、しゃべっているうちにだんだん思いが昂まって、ふと見たら聞いている方の目も潤んでいたので思わず感極まってしまって、「スイマセン…胸が詰まって…」としばし話を中断し、自分の呼吸を整えなくてはならなくなってしまったことがあった。

まったく自分の話に感動してれば世話は無い(笑)。

とにかくしゃべっているときはそんな調子なので、自分がしゃべっていることも記録していかないとどんどん忘れていってしまうなと思い、ここ1年ほど講座を選んで録音しているのだ。

それで突然だけれど何となくふと思いついて、そんな講義録のひとつをブログに載せてみようかと思う。


「整体的子育て入門」を読んでくださった方は読めば分かると思うが、私の「愉気の会」講義録として本に載っているものの原本である。

本に掲載したものはページ数の関係などで5ページほどに割愛されているが、実際の講義録としてはその3倍ほどある。

それで、1年ほど前の講義録であるが、ここにその完全版を公開してみようと思う。

販売している本の中身をウェブで無料公開してしまってどうするのか、というご指摘もあろうかと思うが、まぁ本にはそれ以外のこともまだまだいっぱい書いてあるわけで、これをきっかけに手にとってもらえればそれで良いのである。

ウェブと本は違う。

同じコンテンツでもインターフェイスが変われば別物なのだ。

だいたい私がしゃべっていることだって、毎回言い回しや題材が変わるだけで、いつも同じことしか言っていないわけで、だから1年前の講義といっても言ってることは何も変わらない。

こんなに毎回同じ話ばかりして、ずーっと聴いて下さる方はよく飽きないなとその息の長さに感服してしまうが、考えてみれば同じ話ばかりし続ける私もおんなじである。


まぁともかく講義録をアップするということである。

ふだんブログで書いていることは、相手が不特定多数ということもあり、これでも一応それなりに自制しつつ配慮しつつ書いているけれども、講義となればそんなこともあまり関係ないので、「おいおい、そんなとこまで言っちゃうか」的なところもちらほらある。

だから皆さんがどんな風に受け止めるのかは私にも分からない。

あんまり長い文章をびっしり載せても読む気が起きないだろうから、7回に分けてちょこちょこアップしていくので、ちょこちょこ読み進めていただければと思う。

それではどうぞ。


「気話会」講話録('07.11) (1/7)

●からだの中に残るもの

 このまえ手当ての講座に参加した方がまた見えられたときに、もう一度詳しくお話を伺ったんです。そうしたら前回の講座の後にまったく忘れていた経験をパッと思い出したそうで、急に出てきたそうです。ホントに小さい頃の記憶でまったく忘れていたそうで、それを思い出してワーッと涙を流したそうです。

 そういうふうに、からだが弛んできたときにワーッと出てくる古い心のショックとか、からだのショックとか多いんです。心理学かなんかの本で「感情が筋肉に記憶される」という表現がありましたけど、自分の中で起きた何か感情的なショックとかそういうものが筋肉のある緊張としてからだに残っていて、それが同じ形をとったときにフッとその感情がよみがえったりする。あるいは似た感情を抱いたときに同じ姿勢をとってしまったり、そういうことがよくあります。条件反射みたいに、そのときの心理状態になると同じ姿勢をとったり同じ振る舞いをしてしまったりするんです。

 あるキーワードが話題に出てくると心臓がバクバクいったり顔が青ざめたり貧乏ゆすりが始まったりするというのは、何かからだに記憶があってそれが心と密接につながっているということなんですよね。そういうのがからだを調整しているときに緊張が解けてワッと出てきたりします。


 整体をやっているときというのはからだに触れながら会話をするわけですけど、触れながらしゃべっていますから何か安心感みたいなものがあって、そういう突っ込んだ話になりやすいんですよね。それでこちらはからだを触ってますから、何かしゃべりながら緊張したり弛んだりするのが分かるんです。

 昔、整体の稽古でおなかを触りながら不意に「お歳はいくつですか?」なんて訊く稽古をやったことがありました。「お歳はいくつ?」なんて答えづらいことを急に訊かれるんでおなかがパッと緊張するんです。で、何か答えなくちゃいけない。それでつい見栄はって嘘をつくとおなかは緊張したままなんですけど、ホントのことを言うとおなかが弛むんです。それを感じ取るなんて稽古をしました。

 ある先生がおっしゃっていましたけれど、昔、離婚するしないでもめてる男性がいて、離婚がどうしたこうしたと、奥さんがどうしたこうしたとずっと言っているんですけど、なかなかからだが弛まない。で、あるときふとその方が「でもやっぱり自分が悪いんですよね…」ともらしたんだそうです。そうしたらその瞬間、おなかがフッと弛んだ。がんばって自分を防衛していたものが弛んだ瞬間、自分の過ちを認めることができた瞬間、フッと弛むものがある。素直な表現ができるとすごい弛むところがあるんですよね。

 それは整体が排泄を一番大事にしているということと密接に関係があると思うんです。出るもの出たがっているものは抑えないということ。皮膚から出ようとしているものは、それはきちっと皮膚を通して出させてあげるということが経過を全うするということなんです。それを抑えると別の形で出ようとしはじめる。それがたとえば皮膚から出るものを抑えようとすると、喘息やせきになったりするというように、別の形をとって出ようとする。中で圧縮されたエネルギーはますます高まって必ず出ようとする。これは必ず出ます。一度生まれたエネルギーは必ず出ますから、どんなに抑えてもそれは出る。抑えれば抑えるほど、まるで空想もつかないような別の形をとって出ようとする。しかも圧縮されますから出方が爆発的というか劇的になってゆく。


●子どもの素直な表現を抑えない

 人の行為もそういうところがあって、私は子育ての講座もよくやっているのですが、子どものそういう素直な表現をゆがめてしまうようなことをなるべくしない、抑圧しないということはとても大事なことだと思うんです。子どもが自分の中に湧き起こったことをポッと表現しようとするときに、それを抑えてしまうとその表現は別の形をとらざるをえなくなってしまう。何しろ一度生まれたエネルギーは表出するまで収まることがありませんから、そのままじゃダメとなったらそれは別の形をとって現れるしかない。

 そういうことをずっと繰り返していると次第に素直な表現ができなくなってきてしまうんです。素直に表現すると必ず外部から抑圧されるという経験を繰り返していると、素直な表現を世界は認めてくれないんだということが潜在意識に入る。自分の中に湧き起こったことをそのまま出すと必ずダメって言われる、必ず禁止されるっていうと、巧妙にそれをすり抜けて表現しなきゃいけないということを学習する。そしてそれが無意識にそうしてしまうようになってくると、どんどん表現がひねくれてきたり媚びてきたりする。そうなると自分の本当の素直な要求が見えなくなってきてしまう。それはつくづく罪だと思うんです。

 イソップ童話でありますけれど、高いところにあって自分が取れないブドウを「あんなブドウ、酸っぱいに決まってる」とか言って、自分が本当はいいなと思っているものを何か変な形で批判したりするような、そんなひねくれた表現しかできなくなってしまう。

 それでそういう表現を身につけて、そういう振る舞いをしているうちに、そのうちそれが自分の感受性なんだと思い込み始めてしまうんですけど、でもホントは違うんですよね。たんなる身につけた振る舞いの作法の問題なんです。でもそういう振る舞いというのは強力に人を縛りつけますから、それが自分の本心だと思い込んでしまう。そうして自分の素直な感情が分からなくなってしまっているということは多い。分かっていてやっているのはまだ救いがあるんですけど、そのことに本人が気づいていないというのが一番見ていて何とも言えませんね。そのことは本当に根が深い問題です。どうすればそれを気づいてもらえるのかというのが最近の私の大きなテーマなんです。そうなってしまった人にも、そうさせてしまうような人にも。

⇒つづく

posted by RYO at 22:14| Comment(6) | TrackBack(0) | 講義録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
相変わらずRYO先生のお話は、いろいろ考えさせられますね。
講座の雰囲気がリアルに伝わってきます。

「親業」というものを前に習ったのですが、
相手の行動によって自分が困っているとき、
「わたしメッセージ」という「私」を主語にした感情で伝えるという手法を習うのですが、
それは「自分を救うわたしメッセージ」と言われています。

自分の本当の感情に自分自身が気づいて、
それを言葉にするって、すごく大事ですよね。
それが難しいと感じる私たちは
やはりそうやって育ってきたのかな、と思います。

「パパがいなくて寂しいの」「○○できなくて悲しいの」と素直に表現する娘。
私自身も素直に表現していくことを大事にしたいな、と思います。
Posted by ささだんご at 2008年11月07日 06:07
自分の感情に名前を与えていくという作業も
人間にとってとても大切な作業ですよね。

とくにいろいろ傷ついてしまった経験などは、
それが名前を持たないうちは、何だか言われようも無い不安のような
そんなものを延々と湧き上がらせますからね。

そういう意味で「言葉」を身につけてゆくってすごく大切なことですよね。
自分の気持ちのひだを、あますところなく表現できる手段として。
どのように悲しいのか、どのようにツライのか、自分の物語のディテールを細に入り語れるということが、自らの気持ちを救うことの助けになる。

最近本気で、私たちは詩の勉強をしなくちゃいけないんじゃないかと、
そんなことまで思っています。
Posted by RYO at 2008年11月07日 06:57
確かに「整体的子育て入門」に載っている文章とは随分違いますね。
読みやすさといい、伝わってくるものといい…
抜粋されたものは、つまりは精製されたものというのか
稲と白米の違いというのか…(どちらが良いとはいっていませんYO)

こうして読むと、見落としていた(忘れていた)モノが目にとまるのですから不思議です。
「そのときの心理状態になると同じ姿勢をとったり同じ振る舞いをしてしまったりする」
なるほど、これはRYO先生が仰っていたことだったんですね。
活元の際に同じ姿勢を繰り返そうとするのは、その姿勢に何かが
残っている(滞っている)から…ということが腑に落ちていたのは
伏線にこの講義録があったのだ、と今更気がついたのでした。
Posted by あやこ at 2008年11月09日 22:49
これはこれは。その節はお疲れさまでした。
本で一度まとめたものを今こうしてまた新たに息を吹き込んでみて、皆さんがどう感じるのかちょっとした実験でもありますが、やはり何か違うものが浮かび上がりますね。

同じものでも媒介(メディア)が違うとまた全然違うということ。
これは同じ景色を逆立ちして見てみるなんていうことにも通じるかもしれませんが、情報それ自体といろんな触れ方をしてみると、新しい「意味」がそこに見えてくるということがありますよね。

もしかしたら、というかおそらくまた推敲を重ねて、そのつど書き換えられながら新しい文章に生まれ変わるかもしれません…。
それはそれでまたいつかどこかに結実することでしょう。
Posted by RYO at 2008年11月09日 23:19
いつかどこかでの結実… たのしみにいたしております。

「整体的子育て入門」には、後半の“表現を抑えない”という部分を
ピックアップして載せたのですが、それは自分への戒めのつもりでした。
でも、今日もまた、日々息子の素直な表現を抑えてしまったが故の
息子の小さいウソ(「お母さんに怒られると嫌だから、自分がしたことを
誰か他のヒトがしたと言っちゃおう」という類のウソというか言い逃れ)を
きいていて、私自身の抑圧度合いが厳しすぎるナァ〜と反省しております。

なかなか、表現を抑えないということは難しいことです。
それが親の視点で「良いこと」ならまったく難しくはないのですが
親視点で「良くないこと」だと、途端に厳しくなっちゃいます。ふぅ…
「良くない」と思えることでも、表現は抑えないほうが良いんでしょうか…?
(だんだん、小声になってきたりして)
Posted by あやこ at 2008年11月11日 02:17
叱るということはホントに難しいですね。
度が過ぎれば抑圧することになり、反発や萎縮、言い逃れや蔭のイタズラを生み出します。
かといってこちらがゴニョゴニョ言っていたら叱言にすらならない。
ある程度大きくなってきたらきちっと叱ることも大切ですが、その度合いが大切です。

とにかくもっとも見つめるべきはその子の裡から湧き出るエネルギーです。
そのコントロールの仕方をまだ身に付けていないがゆえに、あふれ出るエネルギーに翻弄され振り回されてしまうのが子ども。(大人でもいますが…)
明らかに良くないほうにブワーッと出ているなら、「そっちじゃないよ。こっちだよ」と、道を指し示してあげるのが指導ということです。

子どもの裡からドドドとあふれるエネルギーは、どんなに抑えたってとどまることはないわけで、抑えれば抑えるほどそのぶん脇の堤防の弱そうなところからバーッと流れ出ます。
ですから止むを得ずビシッと叱るときは、それによって押しとどめられるエネルギーを考え、そのはけ口もまた用意してあげてください。
Posted by RYO at 2008年11月11日 08:01
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