2011年12月20日

男は女の夢の一かけら

シュタイナーはこう語った』(ルドルフ・シュタイナー、アルテ、2011)を読んでいたら、こんな文言が出てきた。


『女性の場合、愛はファンタジーから発して、常にイメージを形成する。女性は、現に人生のなかにいる男性を完全に愛することは決してない。今日の男性は、健全なファンタジーをもって愛されるような存在ではない。男性は願望をもって愛する。男性の愛は、はっきりと願望の性格を持っている。』(同著、p38)


ちょっと。シュタイナー先生。

「今日の男性は、健全なファンタジーをもって愛されるような存在ではない」って…。

そこまではっきり言われてしまうと、男として立つ瀬がないじゃないですか。

でも言いたいことがなんとなく分かってしまうのも、また悲しい…。


福岡伸一さんが『できそこないの男たち』(福岡伸一、光文社新書、2008)という本を書いているけど、たしかに男という性は、女のできそこないなのかもしれない。

私も、男というのは女のどこかの部分が欠落して生まれているような気はしている。

「欠落」というと、なにか負のイメージを連想するかもしれないけれど、それは別に必ずしも不幸なことではない。

「欠落」しているからこそ、何か別の代替機能が働くのだから。

実際、男は「欠落」を帯びているからこそ、女には無いある種の能力を持っているのだ。

「欠落」は必ず、それにまつわる「精神」を呼び起こす。

それこそがつまりは「創(きず)」である。


しかしそれでも、「健全なファンタジーをもって愛されるような存在ではない」とか言われてしまうと、何とも言えない哀しみを覚えてしまうなぁ。

それは別に自分自身が哀しいんじゃなくって、男全般に対する哀愁の念だ。

男って哀しい生き物だなという、そんな想い。

ふん、いいのさ、別に。

男の子は男の子で、強くたくましく生きるのさ。


  男の子って何でできてる?
  ぼろきれやカタツムリ
  子犬の尻尾
  そんなものでできてるよ
  (マザーグースの唄より)


男は自らが断片だからこそ、世界の断片を愛してやまない。

だから、馬鹿だよね、男って。

ただ一言だけ、馬鹿な男の側から言わせてもらえるならば、女は男のそんな馬鹿を愛さなくちゃいけないよ。

だって世界は事実断片でできているのだし、それに何より男は女が育てるものだから。

男なんていうのは不完全な幻想。

だから女が育てない限り、この世に誕生しない。

いやいや、それどころか男なんてひょっとしたら女が見ている夢かもしれない。

世界中の女が夢見ることをやめたら、この世の男たちはみな儚く消えるかも。

ちいさなぼろきれやカタツムリの欠片だけを、そこに残して…。


男なんて「健全なファンタジーをもって愛されるような存在ではない」かもしれないけれど、それでも愛すべき存在だし、ぜひ愛してあげてほしい。

女の目から見てみれば、男なんて命を吹き込まれたぼろきれやカタツムリぐらいにしか見えないかもしれないけれど、でもそんな断片たちに宿るきらめく精神を見てほしいんだなぁ。

私だってそんな世界の断片を愛する一かけらとして、子育て中のママさんたちに元気になって欲しいと思って、子育て講座などやっているのだ。

別にそこに崇高な理念などありはしない。

ただ、自分がやりたいからやっているだけだ。

なぜって?

それは女を愛しているからに決まっているじゃないか。

私は「そんなもの」だけで、できているんだ。

posted by RYO at 18:26| Comment(20) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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