2011年08月25日

夏の学校2011

今年もクレヨンハウスの夏の学校に参加してきた。

今年は「生物と無生物のあいだ」の著者である福岡伸一さんがトップバッターとしてお話をされる。

私も大好きな先生なので、わくわくしながらお話を聞いた。

世界初の顕微鏡の話からググッとフェルメールへとつなげ、そこからルリボシカミキリの鮮やかな青色に展開して、そのまま生命の不思議な成り立ちへと話を持っていく…。

その流れるような話の進め方は、ロマンチックさに満ち溢れ、まるでよくできた舞台を観ているかのようであった。

福岡センセイ自身は、ぬぼっとした風貌でぼそぼそっとしゃべっているにもかかわらず(失礼)、その言葉たちが草原を吹き抜ける風にように物語を紡いでいくのは、何ともロマンチックでならない。

不思議なセンセイである。(お互いのサイン本交換しちゃった〜(嬉))

やはり科学者はロマンチストであるべきである。


数ヶ月前、実家に帰ったら母が「あなたのイラスト全部持ってきて」というので、「どうするの?」と聞いたら、「キルトにする」と言う。

私のイラストのパッチワークキルトなど、いったいどんなものになるのか想像もつかなかったが、とても素晴らしいものを縫い上げてくれたので、部屋の正面に飾って講座を行なった。

講座後、わざわざ他の教室から見に来てくださる方も。

キルトの外枠に配してある小さな刺繍は「背守り」というもので、昔、我が子の無事を祈る母親が子どもの着物の背中にさまざまな模様を刺繍したものだそうである。
(参考⇒「背守り」(AssistOn))

つまり、今回私は母の「背守り」をバックに講座を行なったわけであるが、大変にぎやかなうちに終えることができたのは、母の「背守り」のおかげであるやもしれない。

謝謝、母上。


夏の学校には、去年に引き続き二回目の講師参加であったが、今年も変わらず非常に楽しませていただいた。

「講師として参加してそのイベントが面白い」というのは、そのイベントがいかに面白いかということの一つの目安になるのではなかろうか。

参加される講師陣が個性あふれる素晴らしい方々であるというのはもちろんだけれど、それ以上に、受講生の方々の「楽しもう!」という構えのそのハイパフォーマンスぶりがすごいのだ。

だからやっていて私も面白い。


公演でも講演でも、あるいはもっとささやかなパフォーマンスでも、あらゆるライブは、それが面白いものになるかどうかは、パフォーマー(演者)とオーディエンス(聴衆)の相乗効果によるところがある。

言ってしまえば、パフォーマーの力量が多少拙くとも、オーディエンスの「楽しもう!」という構えがホットであるならば、かなり良いパフォーマンスが実現することになるのだ。

私もあちこちで講座を行なう一人のパフォーマーとして、良きオーディエンスに出会えることは、至福の喜びである。

なぜなら最高に良きオーディエンスは、私ですら知らない私の未知のパフォーマンスの領域に、私を連れ去っていってくれるからである。

良きオーディエンスは、私に今まで思いつかなかったアイデアに気が付かせ、考えもしなかったロジックを展開させ、今までできなかった技術を可能にさせ、わずか数十分のうちに、私に急激的な成長をもたらしてくれる。

自分一人では決してそんなオーバードライブは起こせない。


どんなものを見ても、どんな話を聞いても、それを「面白がれる能力」というのは、そこで行なわれるパフォーマンスの「ポテンシャルを引き出す能力」でもある。

その秘密を知っている人は、どんなライブに参加しても、オーディエンスとして主体的にそのライブの構築に加わわって、結果、「とっても盛り上がるライブ」に参加できるよう、自らを活用している。

だから「面白がれる人」は、ますます「面白いこと」に出会えていく。

見ていると夏の学校の受講生の方たちは、その能力が高い人たちが多いようなのだ。

だから皆さん楽しんでおられるし、また講師である私も非常に快適で、また楽しい。

非常に良いカタチで、ポジティブフィードバックが働いている。

まこと美しき哉。


そのような「積極的受動姿勢」のことを、私は「受ける技術」と呼んでいるが、それはあらゆるパフォーマンスを上げ、あらゆる学びを起動し、あらゆる能力を呼び覚まし、あらゆる奇跡を呼び起こすために必要な資質である。

講座を受け、学びを受け、治療を受け、芸術を受け…、あらゆるもののパフォーマンスを最大化したカタチで「受ける技術」。

それは人生を豊かで楽しいものにするための秘訣であるはずだが、あまり顧みられることがない。

というよりむしろ蔑まれたり、馬鹿にされたりすることが多いかもしれない。

目の前のことを「さも大したことがなさそう」に振る舞うのが知的な振る舞いだと思われているのが現代である。

だがしかし、「受ける技術」の高い人はたしかにいて、そういう人は人生を楽しむすべを知っているのだ。

そりゃどこへ行っても、そのときその場における最高のパフォーマンスと出会えるのだから、人生楽しくならないわけがない。

いつどこへ行っても、素敵な人と知り合い、美味しい料理に出会い、素晴らしい光景に巡り合い、楽しいひとときを過ごせる。

一回こっきりの人生ならば、ぜひそんな能力を磨いていきたいものである。

posted by RYO at 20:16| Comment(10) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする