2010年10月23日

【音声】ジュンク堂トークPodcast

先月、9月18日にジュンク堂池袋本店で行われたトークイベント『「野口整体」と「シュタイナー教育」の結び目』の音声ファイルが、ジュンク堂書店Podcastにアップされています。

前編、後編に分かれて合計約90分。

いずれ何らかの形でもう少しきちんとまとめて文章化したいとは思っていますが、とりあえず生録で聴いてみるのもよろしいかと思うので、ご案内しておきます。

ライブにはライブの良さがありますからね。

当日いらっしゃった方も来れなかった方も、ご興味のある方はぜひどうぞお聴きください。

 ⇒『「野口整体」と「シュタイナー教育」の結び目』(前編)
 ⇒『「野口整体」と「シュタイナー教育」の結び目』(後編)

ちなみにトークイベントはおかげさまで満員御礼で、定員を超える44名という方に4階カフェのイベント会場に集まっていただきました。感謝感謝。

トークでは、何をしゃべろうかと悩んだ末に、ゲーテの形態学をひとつの軸として、人間の中の運動とフォルムという観点から、野口整体とシュタイナー教育の結び目を語ってみました。

整体的子育て』の中ではとても語れなかったことを(マニアックすぎて)、1時間半という短い時間の中でざっくりかいつまんでみたのだけれど、まあ何とかかんとかまとまった…でしょうかね?

語り足りないことも山ほどあるけれども、とりあえずの入り口としてこんなものができましたので、よろしかったらぜひ聴いてみてください。

(ちなみに中で紹介している本はこちらです。美しいですよ)

posted by RYO at 21:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 音声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月14日

書物化(ブッキング)する

新刊本発売記念のワークショップが続いている。

先週の日曜日は大阪のクレヨンハウスと旭屋書店を回って、次の日は東京のクレヨンハウス。

そして今週末には名古屋の丸善と正文館の二件を回って、ワークショップとサイン会を行なう予定。

本の売れ行きのほうはおかげさまで順調なようで、発売4ヶ月にして4刷まで増刷がかかり、累計1万9千部になったそうである。おーパチパチ。

この出版不況のご時世にありがたい話であります。ご愛読感謝感謝。


で、そんな中で「そろそろ次の本の企画を…」などという話にもなっているわけだが、クーヨンの連載が2年分たまるのもまだまだ先の話だし(再来年の春だ)、さてどうしたもんだろう。

ワークショップでみなさんに書いてもらったご要望を見ると、もっと具体的な手当てを知りたいとか、整体とシュタイナーのつながりを知りたいとか、このブログみたいな好き放題に書いているのを読みたいとか、年配向けのものが読みたいとか、もっと深く突っ込んだ「難しい話」が読みたいとか、ホントにいろいろあって、これまた嬉しい反面、困ってしまう。

まあそこら辺のスタイルは私も比較的自由に書き散らしていけるタイプではあるので、どれでもいいと言えばどれでもいいのだけれど、どこらへんを次に持ってくるか、「起承転結」の「承」の章として何がいいか、ちょっと悩んでいるところである。

個人的にはもう少し突っ込んでいった話を書いていきたい気もするが、まだもう少しやわらかく受けていくのも大事なような気もする。

う〜ん、どうしよう。


最近は自分の中でいろんなものが急速に言語化、あるいは書物化していることを感じる。

その中でも一番の自分の焦点と言ったら、やはり「講座」であり「ワークショップ」である。

つまりそこが「言語化」している。講座が一つの言語になってきている。

まあ当たり前と言えば当たり前なのだけれど、何かをずっとやり続けていくということは、それが言語化し、メッセージ化していくということなのだ。

絵を描く人は絵が言語となり、踊りを踊る人は踊りが言語となり、料理を作る人は料理が言語となる。

習熟していくとともに、それを通じて自分を表現するすべを持つ。

最初は「コレ トッテモ ダイジ」というような拙い片言の表現かもしれないが、単語を覚えて扱うレベルから、文法を使ってセンテンスを扱うレベルに至ると、メッセージがじょじょに「書物化(物語化)」してくる。

そして絵が童話となり、踊りが哲学書となり、料理が恋愛小説となる。

文字を並べて単語にし、単語を並べて文にして、文を並べて文章にして、文章を並べて書物にし、書物を並べて書棚にし、書棚を並べて書斎にし、書斎を広げて書庫にすると、そこでは壮大なフラクタルな言語化が起きてくるわけだけれど、それはすべてのさまざまなことで起きていることなのだ。


私の中でいま、講座をどう組み立て、どう並べて、どう言語化するかということが、ある種の必要にかられてどんどん起きている出来事なわけだけれど、それが単語のレベルから文章のレベルへと、ぐんぐん書物へ向かってブッキング(書物化)されていっているのだ。

私の言いたいことを一冊の本にまとめるということと、私の言いたいことを一つのワークにしていく、あるいは一つの講座にしていくということは、何も変わることがない。

それぞれのワークが単語であり、それが組み合わさってできた講座が一つの本であり、またその講座が単語となって組み合わさることで、より大きな一冊の本となる。

今まで講座をやっていて改めて思うことは、そのブッキング(書物化)されていったさまざまなレベルのメッセージは、全部ちゃんと伝わるらしいということである。

それはもちろん私なりにブッキング(書物化)のスキルが上達してきたということもあるのだろうが、何かそういうことだけでなく、本人の意識にはのぼらないレベルで、潜在意識のレベルでちゃんと感じているようである。

込められた「運動」は、やはりちゃんと動きながら伝わるのだろう。

そういうのはやっぱりフォルメンなのだ。

開けばそこでぐるぐると「運動する書物」を作りたいなぁ。


ところで全然関係ないのだけれど、今ぷうっとオナラをしたら、今まで沈黙を守っていた隣りの空気清浄機が、清浄度ゲージを真っ赤にして、突然ゴーッと大きな唸り声をあげはじめた。

うん、そうかそうか。

こういうことがな、一つの事件なんだな。

こういう何でもない出来事をだな、大切にすくい上げたいんだな、オレは。うん。

だってそこに愛があるじゃない。え?感じない?(笑)

posted by RYO at 22:02| Comment(6) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする