2008年10月25日

私と朝カルの子どもたちとは

朝日カルチャーセンターの「ママは子どもの整体師」講座は、ありがたいことに毎回のように親子連れの方々が大勢いらっしゃる。

当然、子どもたちも大勢来るのだけれど、少し大きい子どもたちは講座中もそこらじゅうをうろうろと歩きまわっている。

毎回教室として使っている朝カルの部屋は、向かって正面に大きな四つの窓があり、その向こうに都庁と新宿中央公園の樹々が見える、とても展望の良い素敵な部屋であるのだが、いつも子どもたちの様子を見ていると、必ず向かって一番右側の窓の段の上に乗り、外の景色を眺めながらドンドンと足を踏み鳴らして騒ぐ。

毎回来ている子どもたちは違うし、その窓だけ特別登りやすいとかそういうわけでもないのに、みんな決まって必ずその場所に登って遊ぶのだ。

何ゆえにその場所のアフォーダンスだけが、子どもたちに「登って遊べ!」と猛烈に誘惑するのか。

子どもたちは遊ぶのが仕事であるゆえ、にぎやかに騒ぐのは結構なのだけれど、ママさん方の視線を見ていると、どうしてもドンドンと騒いでいる子どもたちのほうに気を取られる。

それでこの前の講座は、毎回子どもたちが登って遊ぶ一番右側の窓の遮光カーテンを閉め、段の上には座禅用の座布を積み重ねてその上から布をかぶせて、その空間を埋めてみるという実験をひそかに試みてみた。

もちろん座布にかけた布がピラピラして、子どもたちに「布の端を引っ張ること」をアフォードしたりして、さらなるにぎやかな事態にならぬように、ぴっちりと布を張りつめ、気合を入れてピシッと強い結界を張っておく。

少しでも「ほころび」があると、結界というのはたちまち崩れ去るものだし、そもそも子どもという生き物が、「ほころび」や「ほつれ」にこそもっとも興味を引かれる生き物であるゆえ、そこらへんは抜かりない。

今までほとんどすべての子どもが登って遊んでいた空間を埋めてみたとき、子どもたちはどういう行動に出るのか。

ふっふっふっ、さぁどう出る?


それでいざ講座が始まって一生懸命しゃべくりまくってしばらく経ったころ、ふと後ろを振り返ってみると、子どもたちは私のすぐ後ろ、右から二番目の窓の段に乗って騒いでいる。

今までは一番右側だったので、ひとつ左に移ったということである。

四つの窓の配置は対称になっているので、私から遠い端っこに行きたいのであれば、反対側の一番左側の窓に目をつけるはずであるが、私のすぐそばであっても右側の窓がいいらしい。

むむ、どうあろうとも君らは右側に行きたいのか。

何だろうねぇ。そんなにそちらがいいのかい。


ちなみに私もここ三年ずっと、私が講座を行なっている同じ部屋で、ほかの講座を受けている。

朝カルで稼いだ分を朝カルに返すというまことに朝カルボランタリーな私であるが、その講座に出ているときは、いつも必ず教室の右前方に身を置いている。

なぜかは分からないが三年ほど前からそこが私の定位置のようになっていて、だから不思議なことに、私が講座のたびに毎週外の景色をぼんやり眺めている窓に、子どもたちはよじ登ってはしゃいでいたことになる。

そこに何か関係があるのかどうかは分からない。

私と子どもたちが、その場に何か似た感じを受けてついそこに行ってしまうのかもしれないし、あるいは私がいつもそこに身を置いているものだから、私の講座でもなんとなくその場の雰囲気というか馴染みが良かったのかもしれない。

あるいはたまたま偶然であるのかもしれない。

けれども今まで五回講座をやって、すべて同じ窓に子どもたちが登ってはしゃいでいるという事実は、何かそうさせているものがあるのだろう。

こういうことは考えて答えの出るものではないが、こういうことを「何故なんだろう」と考え続けるのはなかなか面白い。


でも…たしかにあの窓から見える景色はいいよね。

毎週のようにあの窓から四季折々に色づく樹々を見ている私は、いつもあの景色に癒されているよ。

そこにいち早く気づいた君たちとは、やはり気が合うのかもしれない。

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2008年10月13日

粘菌的知性を

今月あたま、粘菌に迷路を最短ルートで解くことができる能力があることを発見した日本のグループの研究がイグノーベル賞を受賞した。

イグノーベル賞というのは「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられる賞であるが、今までも多くの日本人が受賞しており、こちらを見てみるとそのバラエティーに富んだ研究ぶりに驚かされる。

世の中いろんな研究があるものである。

今回の受賞について当人は「狙っていても取れない賞。研究が『受けた』のはとてもうれしい」とのことだが、今回の研究は新しいシステム開発などにも応用されはじめている「かなり真面目」な研究である。


しかし粘菌というのは面白い。

私の「小さきモノ」たちへの限りない偏愛ぶりは、当然この異形の生物たちにも注がれている。

前に新宿の紀伊國屋書店で『粘菌』(松本淳・伊沢正名、誠文堂新光社、2007)という写真集を見つけたときなどは、俄然色めき立ってしまった。

中身をぱらぱらと見ているうちにどんどん目がキラキラと輝いていくのだが、部屋の片隅で雪崩を起こしている本たちを思うと涙を飲んで棚に戻すしかない。

それで棚を離れて店内をうろうろするのだけれど、気がつけばまた同じ場所に戻って手に取っている。

で、結局いま私の部屋の片隅の本の山のふもとにそっと置いてある。

それでときどきズズズと引っ張り出しては、さまざまな粘菌の写真を見つめて、「かわいいなぁ。フフフ…」と一人微笑んでいる危ない人と化しているのだけど、いや、だってホントにかわいいんだもの(笑)。

こっそり一枚だけ貼ってしまおうか。(nenkin.jpg←click!)

ほら。ね? かわいいでしょ?

一瞬「あ、かわいい」と思ってしまったあなたは、もう虜である。

フフフ…こっちへいらっしゃ〜い(笑)。


ところで粘菌という生き物について少し自制気味に語らせていただくと、まず粘菌とは動物とも植物とも言えない、きわめてあいまいな生物である。

あいまいなもの、あわいなもの、うつろうものをこよなく愛する私は、まずその時点でそそられる。

オスとメスがあって、餌を求めてうろうろして、どんなに大きくなってもたった一つの細胞でできていて(変形体の時期)、胞子で増えるのだけれど、胞子を作るときにはおもむろに奇妙な構築物を形成する。

しかもその気になりゃ迷路が解けるときたもんだ。

何だそりゃ。


今回のイグノーベル賞の受賞の理由にもつながったことだけれど、驚くべきことだが粘菌は迷路を解くことができる。

粘菌は「アタマがいい」。

が、もちろんアタマは無い。

知性の現れはあるけれど、知性そのものは無い。

脳がなく、知性が無いにもかかわらず、その振る舞いに「賢さ」が実現されている。

事実としての賢さ。結果としての賢さ。

「知性」が無くとも「賢さ」が実現できるということ。

それは、私たち人間のような思考形態とはまったく別の「知の形態」というものが、この世界にあるのではないかと、そんなことを空想させる。


でも考えてみれば、自然界を見渡せばそのような「知の形態」はそこらじゅうで実現している。

自然界は非常に巧くできているけれども、それを実現しているのは、私たちが空想するような知性の仕業というよりも、粘菌的な知性の現われであるというほうが正しいだろう。

私たちの知性は、「自分の知性」のような知性を過大評価する傾向があるが、私たちがおよそ空想できないかもしれないようなそれ以外の知性のあり方についても、もう少し謙虚であるということも大事であろう。

粘菌が迷路を解くような知があれば、セミが素数の年ごとに生まれるもある。

お隣同士の諍いに「やめようよ。やめようよ」なんてオロオロしながら丸く治める近所のおっちゃんの知もあれば、泣く子にさりげなく「アメちゃん食うか?」と声かける浪速のおばちゃんの知もある。

私たちの脳みそも所詮それぞれ粘菌みたいなものだ。

そんなさまざまな尺度を持つ「他者のものさし」について、使い慣れた「自分のものさし」で安易に判断を下してしまわないこと。

私の最近のテーマである。


ところで粘菌といえば、すぐさま思いつくのは南方熊楠(⇒wiki)である。

柳田國男をして「日本人としての可能性の極限」と言わしめた南方熊楠であるが、紀伊を訪れた昭和天皇に御進講した際に、粘菌の標本をキャラメル箱に入れて渡したというエピソードはあまりにも有名。

のちに天皇陛下は「あのキャラメル箱のインパクトは忘れられない」と語り、後年ふたたび紀伊を訪れたときには、「雨にけふる神島を見て紀伊の国生みし南方熊楠を思ふ」と歌までお詠みになったそうであるが、そんな南方熊楠が語った言葉に次のようなものがある。

「人が見て形の無いつまらぬ痰のようなものと軽視する状態こそが生きた粘菌の姿で、もはや胞子を守るだけとなった粘菌はまさに死んだ状態だ。死んだものを見て粘菌が生えたと言って生き物とみなし、生きた粘菌を見て死んだも同然と思う人間の見識のほうがまるで間違いだ。」

見渡してみれば、そんなことはホントに非常に多い。

そんなことだらけだと言っても過言ではない。

先の私のテーマにつながるが、人はみな事実を自分のものさしに引き付けて考えようとする。

それは避けられないことであるけれど、でもその自分のものさしは、世界に数多あるものさしのうちのたった一つに過ぎないということは忘れてはいけない。

そして、そのものさしは「必ず」自分に都合の良いようなゆがみを持っているということも。

安易な「死んだ知」に捉われず、困難ではあっても「生きた知」を見よ。

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2008年10月02日

「ゆるみ」と「ゆるし」と「たたり」について

「RYO先生のお話をもっと聞きたい」というご年配の方々の声にお応えして、細々と開いている会がある。

毎回毎回、ほとんど私が思いつくままにベラベラと好きなことをしゃべっていてこんな講座でいいのかしらんと思うのだけれど、「とってもいいお話。」とおっしゃってくださるお言葉に甘えて、そのままのスタイルで未だに続いている。

以前、このブログで「『ゆるむ』ことは『ゆるす』ことだ」と書いたことがあるが、今回の会ではそのお話をする。

あの記事はなかなか反響があって、いろんな方に「ハッとさせられた」などのご感想をいただいた。

まぁ書いてる私が、思いついて「ハッ!そうだったのか!」と感動したくらいなのだから、そんなこともありなん。


からだが「ゆるむこと」と、こころが「ゆるすこと」は同時に訪れる。

わだかまりが溶け、こだわりが溶け、こわばりが弛んだときに、ゆるしが訪れる。

整体では、あらゆる変動を「経過する」「全うする」という観点から捉えるが、「ゆるまない」ということは何かその経過を滞らせるものがあるのだ。

「ゆるまない」ということは、その緊張をもたらす原因が本人の中でまだ解消されていないということであり、「ゆるせない」ということは、本人の中でその出来事についてまだ終わっていない何かがあるということなのだ。

経過は全うしなければ、いつまでも終わることはない。

からだというのは経過を全うし、それが完全に終了したときに初めてゆるむもの。

だから「ゆるす」ということは本来、「ゆるさなくちゃ」と思って無理にすることなどではなく、その出来事と向き合い、それを全うしてゆくなかで、やがて自然に訪れることなのではなかろうか。

必死にそれと向き合ううちに、やがて気がつけばゆるんでいて、そしてゆるしていた。

そんなものではないか。


怒りとか、悲しさとか、悔しさとか、寂しさとか、そういったさまざまな肯定的、否定的な感情が入り交じった心的過程を、懸命に経過し全うしてゆくことが、「ゆるみ」と「ゆるし」につながる。

発熱や発汗、嘔吐や下痢といった症状を全うすることが、代謝を高め、免疫を高め、体内の毒や老廃物の排泄を促し、からだのバランスを整えてゆくように、さまざまな感情の発露をきちんと全うしてゆくことが、こころのバランスを整えてゆくのだ。

全うすることができずに残されてしまったモノは、流されることなく停滞し、やがてそのこわばりを大きくさせていきながら、周囲の流れを滞らせるまでになってくる。

できればそうなる前に、どこかで流し、排出し、解消していったほうが良い。

からだからのアプローチであろうと、こころからのアプローチであろうと、そのこわばりを解消するためには「全うさせ経過させてゆく」という原理に変わりはない。


なんてそんなことを講座の中でしゃべっていたら、気がつけば話は徐々にきな臭い方向へと向かい、やがて「祟り(たたり)」の話になってゆく。

相変わらずノってくると話が暴走するが、「とってもいいお話。」であるそうなのでそれもまた良しとしておく。


誰かが死んだというときに、残された遺族の人たちの心のなかでその事実を全うさせなければ、何かがそこに留まり、停滞し、やがてしこりとなって、それが止み(病み、闇)を生み出してゆくことになる。

昔の人はそれを「祟り」と呼んだ。

(白川静の字解によれば、「祟」という字の下の「示」は生贄などを捧げ、神を祭るときに使う机「祭卓」を意味し、上の「出」は足を踏み出すときにかかとの痕が強く残ることを意味する)


私たちの祖先は古来、そのような「祟り」「災い」といったことが起きぬようにするために、さまざまな儀礼を行なってきた。

葬礼という儀式を行なうことによって、「彼は死んだ」ということを多くの証人の元に同意し、その同意をもって「区切り」をつけて、残された者たちの心に「気締め(けじめ)」をつける。

「区切り」や「気締め」をはっきりと意識化させ、もはや彼は別の世界の存在であるということを徹底させることで、未練を断つ。

「祟り」とは、未練を種にして育つもの。

たびたび訪れる「祟り」という現象を何とか防ぐことはできないかと、試行錯誤の末に生み出されてきた多種多様な形式をもつ儀式。

それは長い年月のなかでの経験から生み出されてきた、暮らしの知恵だったのであろう。


日本には「情が湧く」とか「情が移る」という言葉があるが、長年連れ添った人やモノには情が移り、言ってみれば精神的な一体化というようなことが起こる。

それをあるとき急激に喪失するという体験は、どれだけ強烈な打撲であるか計り知れないものがある。

愛する人を亡くし、慣れ親しんだ家や道具を失い、愛でていた動植物を失うということは、一体化してしまった自分のからだを削ぎ落とされるような強烈な打撲である。

英語で配偶者のことを「Better half」というが、愛する配偶者を亡くすということは、本当に字義通りの意味で、からだの半分を引きちぎられるということなのだ。

あまりに強烈な打撲による感覚の麻痺、そして強烈な喪失感。


配偶者を失ったときに、女性よりも男性のほうがはるかに脆いのは、男性のほうが女性に無意識に甘えているからである。

女性は意識して男性を支えていることが多いが、男性は無意識に頼っていることが多い。

意識的なレベルでの喪失感と、無意識的なレベルでの喪失感では、打撲の程度のわけが違う。

目に見えぬところの無意識的な打撲ほど傷は深い。

手足を無くすのと、内臓を無くすのとの違いのようなものだ。

自分が「支えられている」ことに無自覚である者ほど脆いということは、多くの宗教者が説いていることにも通じるが、なかなか考えさせられる事実である。


老人が大切にしている庭の樹などを、平気で切ってしまうようなことをする人があるが、それがその人にとってはいかに強烈な打撲であり、いかに我が身を切られる激痛であるか、もう少し丁寧に感じ取って欲しいと思う。

そのような出来事をきっかけとしてガタガタと体調を崩し、ときにそのまま帰らぬ人となることもしばしばある。

まさに樹木の「祟り」であると言えようが、このように必ずしも不届きなことをした人間自身に「祟り」が訪れるわけではないことも忘れてはいけない。

とくに子どもや老人は比較的そういう世界を生きている、ということは意識しておいたほうがいい(それこそ「物」の怪たちの闊歩する百鬼夜行の世界である)。


それでもなお、さまざまな事情から離別しなければならないとなったときに、その強烈な打撲の影響を中和するためのものとして儀式が必要なのだ。

それはその離別を意識化し、その決別を覚悟させ、経過を全うさせるということであり、さらには、離別の対象を別のモノに移し(たとえば位牌や新しい道具に)、それを言わば義肢として、その喪失感をゆっくり現実化、身体化できるまでの支えとする応急処置を施すということなのだ(しかし「義」肢とはよく言ったものである)。

日本では人にも物にも供養をするが、それらはどれもそれに関わった人のための癒しの行為でもある。

医療費が膨大に膨れ上がっている現在、私たちの「身心の健康」というきわめて政治的で現実的な観点からも、そのような古くからの知恵というものを、もう一度考え直してみなければならないのではなかろうか。

posted by RYO at 20:39| Comment(4) | TrackBack(1) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする