2008年09月22日

ときどき違う顔を見せながら

最近、野口先生の『叱言以前』(野口晴哉、全生社、1962)をテキストにした読書会というものをはじめた。

前々から、いつかこれをテキストにした読書会は行なおうと思っていたのだけれど、ちょうど「読書会を行ないたい」という声もあったことなのでやってみることにしたのだ。

この本の元になっているのは、野口先生が戦時中に水上村というところに疎開していたときに、その地域のママさんたちを集めて行なっていた「子どもの育て方に関する座談会」の講義録である。

だから出てくるエピソードが、野口先生自身が実際に周りの子どもたちと一緒に生活しているなかでのエピソードばかりで、それが面白い。

どれも親子の様子の一部始終をつぶさに見たうえでのエピソードであるので、とても詳細にその様子が描かれている。

その光景がありありと思い描けるエピソードは、そこからいろいろなことを引き出して解説していくのにはちょうどよく、だから読書会のテキストとしてはもってこいである。


けれどもこの本を読んでいて何より面白いのは、そのエピソードに出てくる当の本人たちが、まさにその書かれている講座に参加して直接聞いているということである。

読めば分かるが野口先生は徹頭徹尾、子どもの代弁者としての立ち位置から、親たち大人たちにずばずばと言ってのけている。

だからほとんどのエピソードが、「お母様がいけない」「大人が悪い」と、その猛省を促すことばかりである。

人によってはさぞかし戦々恐々としていたことだろう(くわばらくわばら…)。

もしこの講座に子どもたちも参加していたとしたならば、自分の目の前で親が叱られて、それでスカッと気が晴れた子どもたちもいたことだろう。


この本の中で言われていることすべてにも通じることであるが、私は、ここらへんのこともまた指導としてはとても大事なことではないかと思っている。

つまり、親と子のあいだに風を吹き込み、新しい関係を作るということ。

それは何も「親を叱る」ということばかりでなく、もっとさまざまな新しい関係の構築ということである。

「子どもの前で親を叱ってみる」というのは、新しい関係の模索の一つに過ぎない。


関係というものはできる限り、やわらかく、しなやかで、ニュートラルであるのが良い。

とくに全体の関係そのものが単純構成になりがちな現代においては一層大事である(核家族とか)。

もちろんその関係に「親子」という型はある。

それを基調とした関係であることを前提においたうえで、できる限りやわらかであるのが良いのだ。

関係というものは、往々にしてたいてい固着してゆくものである。

それが楽だからであるだろう。

けれどもそのまま固着してゆくに任せておくと、何かが淀み始める。

淀み始め、固まり始め、そのうち動かなくなってゆく。

動かなくなったところからは、生命は退去してゆくもの。

生命が退去してしまったところは痺れ始め、そのうち麻痺して、なお動けなくなる。

親子のあいだをそんな死んだ関係などにしてはいけない。

そうなってしまいそうなところには、新しい風を吹き込むのだ。

すると風が新たに気づき、息づき、活きづくことを促す。


関係は絶えず変化し、替わり、めぐり続けることで、そこにいる者たちを活性化してゆく。

だからこそ、自分のなかにさまざまな振る舞いのモードを持っていることは大事なのだ。

場により、時により、人により、いろんな顔を見せること。

「人は3つくらい顔を持っているほうが良い」と私が言うのはそのためである。

それは単なる処世術なのではなく、人が活き活きと生きてゆくための術なのである。

いろんな顔を持ち、そしてそれぞれを真剣に生きてみるということ。

さまざまな世界のレイヤーを持ち、いろんな層の世界とリンクするのだ。


もしも、「親」であろうとするあまりに苦しんでいる人がいたとするならば、それはおそらく、その人が思い描いている「親」という役割が、すでに固まってしまって生命の通わなくなった抜け殻になってしまっているからだ。

そんなところに身を置いて必死に「親」であろうとしても、残念ながらそこから活き活きと躍動するエネルギーを引き出すことはできない。

そんな生命の抜けた過去の抜け殻など、さっさと捨ててしまって歩き出そう。

抜け殻を捨てたところで世界はさほど変わらないかもしれないが、抜け殻を捨てることができたということが、その人がもうすでに違う関係への道を歩み始めている証である。

そうしてしばらくいろんな所(役割)に身を置いてみればいい。

ときに「親」とは違う役割を演じてみることもいいだろう。

親子で役割を交代してみてもいいかもしれない。

とにかく動き出せば何かが変わる。

もしそれでもどうしても「親」ということが見つからずに分からなくなったのなら、そのときは子どもに訊いて教えてもらえばよい。

答えは必ずそこにあるはず。

なぜなら親とは子がいてはじめて成り立つ「関係の一項」だからである。

私を呼ぶ声が、私に私の名前を教えてくれるのだ。

人は一人では何者でもない。

posted by RYO at 20:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月09日

騙されたと思って騙されてみる

私は受講生の方に、しばしば「声がいい」と言われる。

「声がいい」と言われるのはなかなか嬉しいもので、「顔がいい」と言われるよりもはるかに嬉しい。(言われたことはないが)

「顔の悪い詐欺師はいても、声の悪い詐欺師はいない」なんて言葉があるけれども、たしかに声というもの、聴く人にその言葉の信頼性のようなものを感じさせる。

キーとか抑揚とか間とかテンポとか呼吸とか、それら全体が複雑に交じり合って、発する言葉の信頼性を担保しているのだ。

けれども、明朗ならいいかというとそういうわけでもないのが難しいところで、つっかえつっかえしゃべる様子に誠実さを感じられることだってあるし、流暢さがかえって胡散臭さを感じさせることだってある。

でもだからこそ手放しに褒められると無性に嬉しい。

それでそんなことを言われて「そうですか? いやいや、そんなこと言われると嬉しいですね。ありがとうございます。」と喜んでいると、「だから聴いてると気持ちよくて眠くなっちゃって…」と続けて言われる。

ええっと…、んん? それって、素直に喜んでいいのか?(笑)

「聴いてて眠くなる講義」というのは、講師としてどうなんだろうか…。

う〜む…。


けれどもたしかに言われてみると、私は人を眠りに誘導するのは昔から得意であった。

赤ちゃんの額をさすりながら「ね〜む〜く〜なってき〜た〜」なんて暗示をかけて眠らせたりもしたし、「夜、眠れないんです」という人に「そうですか〜。夜ぐっすり眠れないと昼とか眠くなっちゃいますよね〜」とか言いつつからだを弛めて、そのままいびきをかかせたりもした。

整体の稽古中にも、組んだ相手の鼻を押さえちゃフガッと言わせて眠らせたり、首を押さえちゃコックリコックリ眠らせたりして、あんまりいろんな人がよく寝るもんだから、ひょっとして催眠術師にでもなったほうがいいのかしら、と思ったこともあるくらいである。

でもまぁ、いま私がやっていることも、遠路はるばるやってきた人たち相手にベラベラしゃべって、ポカンとさせて、それでご鳥目をいただいてるわけなので、詐欺師か催眠術師と言ってもさほど変わらないのかもしれない。


野口先生の話で、講座中に眠そうにあくびをする人が多いものだから気になって、「眠くなったら上唇を左から右に舐めなさい。そうすればあくびが止まる」と教えたら、みんな受講中に唇を舐めはじめて余計気になってしまった、なんていうエピソードがあるけれど、せっかくだから私も今度やってみようか。

そうしたら講座中に受講生がみんな舌をペロペロし始めて、そのうち私まで舌をペロペロし始めて…って、それじゃ落語だ(笑)。


…と、そんなことを久しぶりに帰った実家でパシパシと書いていたのだけれど、ちょっと休憩して母とお茶を飲みつつしゃべっていたら、私が前に実演販売の手口を見抜いたという話から、そのまま実演販売の「かたり」の巧さという話題になった。

結果から言えば二人とも、「気持ちよく騙されたら払ってもいいよね」という結論に至る。

聞けば母も以前、布団の訪問販売員が訪ねてきたときに、大学時代に落研だったというその販売員の「かたり」に惚れ惚れして、「まぁ、もう買ってもいいわ」とその場で羽毛布団の購入を即決したそうである。

幸い「まっとうな訪問販売」だったので適正価格での購入であったそうだが、あんまり「かたり」が見事だったものだから、「あなた、売り上げすごいんじゃない?」と何気なく訊いたら、「ええまあ、おかげさまで日本一です。」と答えたそうである。

う〜む、見事なものである。

でもこういう世界ってすごい大事だ。

「騙されてもいいわ」と有り金賭けて、嘘も真も関係なしに「ああ良かった」とあっけらかんとした感覚。

完全に親鸞(⇒wiki)の世界である。

私もいまからその人に弟子入りしようかな。

みなさんもいつか私の講座に参加した後に、ふと気がついたら帰り間際に変なものを買わされていたなんてことがあるかもしれないが、そのときは「この私に買わせるとは…なかなかやるわね。」と、破顔一笑、笑って済ませていただきたい(笑)。

posted by RYO at 21:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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