2006年12月31日

2006年下半期 記事一覧

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2006年12月23日

文字焼招来雷門(雲)

10月の高野山合宿の夜の飲み会で、 何がきっかけだったか、話が東西「もんじゃVSお好み焼き」論争にまで展開していったとき、もんじゃをこよなく愛するOさんが、 「月島のもんじゃは本物のもんじゃじゃない!」と爆弾発言したことに端を発し、この年末、急遽「本物のもんじゃを食べようツアー」 が結成された。

浅草を自分の庭のように熟知するOさんの先導に従い、講座仲間でぞろぞろと、浅草の路地にある、とある小さなもんじゃ屋さんへ。

このお店、Oさん、仕事帰りに一人でふらりと立ち寄ってはもんじゃを食べてゆく、という気の入りよう。

夫婦二人でやってるらしい小さな店内は、私たちのグループが入るだけでもう半分埋まってしまう。


ここの主人は、もんじゃの焼き方からルーツまで、聞けば(聞かなくても)事細かに教えてくれるのだが、 もう何十年と繰り返してきたであろう名調子で語られるその文句は、もはや朗々とした述べ口上である。

あるいは「生活者の読経」と呼んでもいいかもしれない。

証拠に、もんじゃを語り出す主人の目は、私たちを超えて遠く中空で結ばれる(笑)。

この勤行を続ける限り、この主人は元気で仕合わせであろうし、またぜひそうあってほしい。

ご主人が朗々たる読経を吟じ、それを聴く客が「なるほど〜」と祝ぐ。

まことに仕合わせなことである。


「もんじゃ焼きっていう名前の由来は何ですか?」と主人に訊けば、

「もんじゃ焼きじゃない。もんじゃだ。」と怒られる。

「メニューのどこにももんじゃ焼きなんて書いてないでしょ。」

ス、スイマセン…。


聞けば、もともとは小麦粉を水で溶き簡単な具を入れて焼いたものを売る屋台が下町には存在し、 それが太鼓をどんどんと叩いて売っていたところから「どんどん焼き」と呼ばれるようになったのだが、それを家庭でやると、 どうしても生地を入れたボウルの底に、粉が溶けずに残ったそうなのである。

それがもったいないので、そこにさらに水を足し、ごく薄い水溶き小麦粉にして、それを子どもたちのおやつ代わりに食べさせた際に、 その生地で文字を書いて教えたところから、それを「もんじやき(文字焼き)」と呼んだのだという。

そしてせっかちな江戸っ子は、やがてその「もんじやき」を、「もんじゃ」と縮めて呼ぶようになり、 それが今なお残っているのだそうである。


へぇ〜。

じゃあ「もんじゃ焼き」というのは「文字焼き焼き」という感じで、重ねて言ってしまっているわけだ。

なるほど。

そしてそんな「もんじゃ」は、東京の駄菓子屋でおやつとして子どもたち相手に売られるような庶民の味として普及していったわけだが、 ローカルな食文化というものはまこと興味深いものである。


高野山では、関東人・関西人入り乱れての東西「もんじゃVSお好み焼き」 論争になっていったけれど、ここでは一枚の鉄板の上で仲良く並ばせてみた。

うん。 やっぱりそれぞれの良さを尊重しあうのが良い。

どっちもそれぞれに美味しいのだ。

仲良即美哉。


そんな美味しいもんじゃを食べて、ルンルン気分でお店を出たその帰り、浅草寺へ寄りおみくじを引いたら「凶」が出た。

『雷發震天昏』
暗雲に雷鳴が響き渡り、天地をゆるがすほどになり、大変に心配な状況です。

……。

へぇ〜…。

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2006年12月18日

おとなのおりがみ

…ぷはぁ!

このところ、なんだか忙しかった。

いろんな出来事がわーっとやってきて全然落ち着かず。

ようやくちょっと一休み、というところ。

師走がまさに師走。 講座が増えて先生と呼ばれる機会が増えたから?…なんて。

師走。 疾走。 失踪…ってアカンがな。

でも、そんな忙しい中でもオモシロイ本を発見。

その名も、『おとなのおりがみ』(アル中Masa、山と渓谷社、2006)。

フフフ…題名からして怪しさムンムン(笑)。

忙しいというのに、本を片手に寝る間も惜しんで折り紙に没頭してしまう。

「心を亡くす」と書いて「忙しい」と読むけれど、そういうときこそこういう手遊びがほっとする。


それより、「おとなのおりがみとは何ぞや?」

まぁ、いろいろ説明するよりも、作品たちを観ていただくのが早い。


作品01 『千円シャツ』
ネクタイもつけて、千円ポッキリ。


作品02 『レインボー万』
ピンチのときに助けてくれる心強い正義の味方。


作品03 『シー万』
「レインボー万」の正体。回遊魚なのであっという間にいなくなる。哀。
ちなみに「シーマン」とは、独り者が寂しく会話する人面魚ゲームキャラであります。


作品04 『家政婦は見た!』
やけに冷静ですが…。
「星飛雄馬の姉」でも可。 でも冷静。


作品05 『風呂あがりの目玉おやじ』
このまえたっぷり絞られましたが元気です。


ご覧になればお分かりの通り、「おとなのおりがみ」とは「お札の折り紙」でありました。

しみじみとおかしいこういう小細工は好きだ。

【追補】 「おとなのおりがみ」作者のアル中Masaさんのウェブページがあります。
他にもいろんな折り紙が紹介されていますが、ホントに「おとな」なやつもいくつか(笑)。
Web『アル中Masaのおつまみ GAMES!!

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2006年12月12日

人それぞれの世界と物語

前回、 「思いがけずにからだが動くこと」について触れたが、野口整体の活元運動や古神道の振魂(ふるたま)、霊動、気功の自動功、 スブドのラティハン、コエックスといったような、「からだが勝手に動き出すこと」を、身体能力開発、 あるいは精神修養のメソッドとして取り入れるというのは、世界各地で散見されることである。

それらはときに、シャーマニズムや呪術治療、宗教儀式などと結びつきながら、身心のバランスを失調した者の全体性を回復させ、 日常生活へと戻すための一助を担ってきた。


それらはどれも、それぞれの所属する共同体の文化や歴史や理念や宗教に基づいて、もっとも馴染む言葉を選んで説明されているので、 その意味づけ、位置づけは、それぞれの集団によって千差万別である。

語り口は千差万別であるが、ではそのうちのどれか一つだけが正しくて、他はすべて間違っているかと言えば、そんなことはない。

どれもがそれぞれに等しく、正しい。

もっと言うならば、どれもがそれぞれに等しく、「言葉」であるに過ぎない。

それぞれがそれぞれに等しく、「言葉」であって、「物語」であって、「共同幻想」なのである。

人はみんなそれぞれの銀河鉄道に乗っていて、 そして誰もがみなカムパネルラだ。


どういう言葉で説明しようと、それは所詮言葉であるので、 人それぞれ自分の好みに合った説明を採用すればそれでいいと私などは思うのだけれど、それを許せない人もいたりして、 まことに人の世はムツカシイ。

大事なことは、その「かけがえのないそれぞれの物語」を語り合える共有場を構築する、ということであろう。

それがたいへん困難な道のりであるとしても。


身体論など、からだについての言説の厄介なところは、それが「語る人のからだと切っては語れない」というところにある。

からだとは、その人の存在の根拠であり、由来であり、証明であり、聖域であって、からだを語るということは、 自分のからだについて語るということであり、それは自分の由来を示すからだの物語、「身話/神話」なのである。

そんな聖域であるからだについての「身話/神話」が、仮に他者の「身話/神話」によって侵されるようなことがあれば、 そのときには全精力をかけて抵抗を示すのは当然のことである。

なにしろ自らのアイデンティティーの存立に関わるのだから、おいそれと認めるわけにはいかない。

それは、一向に解決の糸口が見えない歴史教科書問題を考えればよく分かる。

どんなに「一つの事実があるだけなのだから、客観的データを元に正確に語れば済む話だ。」と言ったって、 そのたった一つの正確な事実から読み取られる「物語」は、人の数だけあるのだ。

身体性(主観、歴史)を一切含有しない言葉など存在しない。

からだを客観的に語ることは原理的に不可能なのであって、だから議論の内容が身体性に近づけば近づくほど、「話にならない」 ということは非常にしばしば起こることである。


脳科学の実験で、脳の神経に外部から刺激を与える実験がある。

運動を統制する「運動野」や「運動前野」といった部分に刺激を与えると、それに対応した腕や脚といった部位が、 本人の意思とは関係なく勝手に動くのである。

その実験によると、脳の「運動野」に刺激を与えると、被験者はたとえば「腕を動かされた」などの外部からの強制力を知覚するのだが、 「運動前野」に刺激を与えた場合には、「ハエが飛んできたから追い払った」などの「後づけの理由」で、 自らの行動を合理化しようとする現象が起きる。

自分の行動に対して「なぜそうしたのか」という理由が、ごく当たり前のように事後的に構築されるのだ。

人間の意識は、矛盾したことや混沌としたことを嫌う。

なので、「自分の物語(身話/神話)」についても、できうる限り「整合性のある秩序だった物語」でもって語り、認識しようとする。

前回、「動こう」という「意志」そのものが、からだの動きに引きずられるかのようにして事後的に想起されるということを述べたが、 どうも人は、その「理由」すらも事後的に構築することができるらしい。

脳の中では、時系列が複雑に入り乱れている。


失くした手足が痛むという「幻肢痛(ファントムペイン)」(⇒Wiki)研究の第一人者であるラマチャンドラン博士の研究によると、 たとえば右頭頂葉に損傷を受けた患者に、自分の左半身が麻痺していることに全く気づかない「疾病失認」という病状が見られることがある。

この患者は、左半身を使った動作をしてくれと言われると、まったく動いていないにもかかわらず、 ちゃんとできているという作り話をしたり、極端なケースでは、自分の麻痺した腕を、自分のものではない、と言い張る。

「これは誰の腕ですか?」と聞かれると、「兄の腕です」などと答えるのだ。

患者の意識はきわめてはっきりしており、自分の脳の損傷のことについても十分に理解しているにも関わらず、 麻痺した自分の半身に関してだけは、理解を絶してしまうのである。

これは、人が自分のからだに起きている現実よりも、自分自身の持つボディイメージという一貫した「物語」 を固く保持しようとするということ、そして、そのことが、「まったく動かない自分の左手が、目の前にはっきり見えている」という事実すら、 強力に意識から排除しうることを示している。

そのことがどれだけ、いくら言っても「話が通じない」という悲しい事態を引き起こしているか知れないが、 それは生命としての防衛本能によるものであるので、いくら意識に働きかけたとしても、おいそれと崩せるものではない。


「物語る力(ファンタジー)」は、自分にとって世界が馴染みやすいものであるよう、事実(リアル)から現実(リアリティ)を構築する。

それによって、人それぞれがかけがえのない自分の世界を持っているのだ。

それはいいとか悪いとか言うことではなく、人間とはそういうものであるという立処に立ってこそ、初めて語り合えることがある。

自分が世界を物語るときの語り口では、相手の世界を描き出すことはできない。

自分の中にあるものをとりあえず脇へと置いておいて、自分のからだとアタマをカラッポに空けておいてこそ、 相手の物語の世界へと参入してゆくことができる。

それは別の世界へと参入するための作法であり、小説を読むときのそれにも似ている。

モノをすべて手放し、通り路は空けておく、ということ。

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2006年12月09日

思い通りに、思いがけずに

前に茂木さんの文章を書き留めておきながら、どこからの引用だかきちんと記しておかなかったので、 引用先が分からなくなってしまった文章がある。

おそらく時期から言って、『脳内現象』(茂木健一郎、NHKブックス、2004)の中の一文であると思われるのだけれど、 そのつどきちんとタイトルとページ数ぐらいはメモしておかなければならないなぁ、と改めて反省のしきりである。

……とここまで書いて、「やっぱり分からないよなぁ。」とあきらめ気分でもう一度パラパラと斜め読みしていたら、 なんと見つけてしまった!

おお! すごいぞオレ!

よく見つけた! エライ! パチパチパチ(拍手)!

というワケで以下がその文章である。


『運動制御の神経機構を見る限り、<私>という意志を持った主体があって、 その主体が脳の各領域をコントロールしているというような素朴な意味での自由意志は、成立しそうもない。私たちは、 自らの意志で自らの行動を決めていると思っているが、実際には、行動を開始する1秒ほど前に、頭頂葉に「準備電位」 と呼ばれる活動が生じることが知られている。この段階では、私たちは自分が行動を始めようとしていることを意識していない。 意識に上るのは、これ以上時間が経つと行動が実際に開始されてしまうという段階になってからである。この段階になって初めて、 「自分は今、行動を始めようとしている」ということが意識に上り、それに対して「拒否権」を行使することもできるようになる。
ここでいう「自由意志」とは、すなわち、運動出力に至る最終段階でそれを差し止める、否定的な役割としての自由意志に他ならない。 運動の生成、つまり、そもそもどのような運動をするかという「案」そのものは、意識以前の無意識のプロセスによって準備され、 意識はそれを行なうかどうかの「選択」を行なうだけであるというモデルになる。』
(『脳内現象』茂木健一郎、NHKブックス、2004、p112−p113)


ここに書かれていることは、自由意志であると思われている思考が、じつはからだに引きずられて事後的に想起されるという事実である。

私たちの意志は、からだに対して「動け!」と命令しているのではない。

すでに動き出そうとしているからだに対して「許可」を出すかどうか、なのである。

考えてみれば、からだ中の「現場」に対する指示、命令を、脳という一器官で行おうなんて、土台無理な話なんであって、 脳は現場から上がってくる企画書に「Go or No」の判断を下したら、後は現場に任せて、 次から次へと現場から上がってくる膨大な量の企画書、報告書にざざっと目を通していかなければならないのだ。

現場で何をするのかまで、いちいち社長が口を出さなければならないようなシステムでは、 とてもこんな複雑極まりない人体というシステムは成り立たない。


私は講座で「からだは勝手に動くものである」というお話をよくするのだが、そのことの意味がどこまで世間的に認知されているのだろうか、 と最近ふと思う。

「からだが指示待ち症候群」という人は世の中ホントに大勢いて、そういう人の「からだ」は「意識」に命令(正確には「許可」か)されるまで、 固まったまま律儀にジーッと待ち続けているので、見ているとこちらの肩まで凝ってきそうで、思わず「自由にしていていいんだよ?」 と手を出し、「からだ」に声をかけたくなってしまう。

けれども、痴漢だとかセクハラだとかで訴えられても困るので、私もまたジーッと我慢するほかないのであるが、私自身の「からだ」 はその我慢を発散させるために、絶えずモゾモゾと動いているので、さいわいなことに未だかつて「肩が凝る」という事態に陥ったことが無い。

なのでいつも、「肩叩いてあげる〜。」という心優しい子どもには、「凝ってなくてやりがいがない!」 と文句を言われる羽目になるのだけれど。


でも考えてみれば、学校教育の中で「自分のからだと丁寧に向き合う」ということが、一切なされていないのだから、 そういう人が多いのも当然と言えば当然なのかもしれない。

そんなカリキュラムを組んで、何時間もイスに座って話を聞き続けることの不快さに、生徒たちが目覚めてしまっては、 管理する側が困るのだから、するわけが無い。

導入するのであれば、現在の教授システムそのものを見直さなければならなくなるだろう。


学校教育として行われる体育は、いろんなメソッドはあるだろうけれども、多くはたいてい「思い通りにからだを動かすこと」を目標とする。

たしかにそれは大切なことである。

けれども世の中、バランスというものも大事である。

私がふだん、からだについての講座を行なう中で目指していることは、「思い通りにからだを動かすこと」よりもむしろ、 「思いがけずにからだが動くこと」である。

それは決して、「思い通りにからだを動かすこと」よりも、「思いがけずにからだが動くこと」の方がより素晴らしいことである、 ということが言いたいのではない。

実際、私も講座の中で、型や所作、立ち居振る舞いなど、「思い通りにからだを動かすこと」の稽古も行なっているし、 それもまたとても大切なことであることは確かである。

それでもなお、「思いがけずにからだが動くこと」を強調するのは、現代という時代が、あまりに「思い通りにからだを動かすこと」 にのみ価値を置きすぎているので、そのバランスを取るために、あえて「思いがけずにからだが動くこと」の重要性を強調せざるを得ない、 というそれなりの事情があるからである。

であるので当然、反対に、あまりに「思いがけずにからだが動くこと」に偏重している人があれば、まったく正反対に 「思い通りにからだを動かすこと」の必要性を語るので、しばしば言っていることが矛盾していたりするかもしれないが、 それは上記のような理由からであるので、そんなときはどうか、「テキトーなこと言いやがって。」とお怒りにならないでいただきたい。

お願い。

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2006年12月05日

中心にはポッカリと…

この前ひさしぶりに、有志で「出発の会」というのを開いた。

ひさしぶりの集まりは、知った顔よりも初めて出会う人が多くて、とても新鮮な会合になったのだけれど、この「出発の会」というのは、 もともとLさんという人が発起人となって始まった「語り場」であった。

ときに赤ちゃんから、ときにおばあちゃんまで、老若男女、自由気ままに集まって、ご飯でも食べながらおしゃべりをしようという、 言ってみれば「ゆる〜い会」であるのだが、ホントにすべてがみなさんの「お気に召すまま」で、出入り自由、おしゃべり自由、持ち込み自由、 カンパ自由という、まったくの「あそびの空間」であった。

ときどき企画を立てて、だれか講師として招いて講演会をしたり、ミュージシャンを呼んだり、みんなでハイキングに行ったりもしたけれど、 基本はあくまでもみんなで集まってご飯を食べる、というものであった。


食事も毎回みんなで作ったり、持ち寄ったりするのだけれど、みんな勝手気ままにしているのにもかかわらず、なんとなく働く人が働き、 料理ができていったり、片付けが進んでいったり、材料費のカンパもなんとなく集まったりして、そんな自然発生的なあり方が、来る人たちの 「あ、自由にしていていいんだ。」という安心の場にもなった。

そういう仕切る人のいない自由な会合は、繰り返しているうちに、いわゆる「働く人」と「働かない人」にだんだん分かれてくるもので、 そうすると、「私が働いているのに、なんであの人たちはペチャクチャしゃべっているの?」的な雰囲気が生まれやすいものだけれど、 不思議なことにそんな空気はちっとも生まれず、それぞれがそれぞれに「働き」を遊んでいる空間が、私自身もなんとも居心地よく、 こんな場もあるんだなぁ、と感心した覚えがある。

おそらく中心メンバーに率先して動く人たちが多かったことと、「来てくれてありがとう」 的な思いをメンバーが共通して持っていたからではないかと、私は思っているのだが、 本人たちに確認したことは無いので本当のところはよく分からない。

もしかしたら、ホントに勝手に動いていただけであったかもしれない。

ヘンな人が多いから(笑)。

ただ、もし全員が「お客さん感覚」でホスピタリティーが皆無であったならば、 このような場を維持することはできなかったであろう事は確かである。

ちなみに私は居酒屋で飲んでも、おしぼりでテーブルを拭いたり、食器の片付けを手伝ってしまうような 「動いている方が居心地がいいタイプ」なので、「出発の会」でもいっつもこまごまと料理をしたり片付けをしたりして、 そうすることでみんなが愉しくおしゃべりできることが私も嬉しい、というそんな居心地の良さを愉しんでいた。 (やらないときはまったくやらないけど。)


ただそこにはいつも、つねに誰よりも早く会場にやってきて、材料の買出しや、場のしつらいなどを丁寧にやっていたLさんがいた。

私もいつも、まだ誰も来ないうちにLさんと一緒に会場の設営(ってほどでもないけど…)を手伝っていたのだけれど、 「今日は椅子をどう置いてみようか」「何の音楽をかけようか」「テーブルをどっち向きにしようか」…などなど、 その日の陽気や気分に合わせて、場のしつらいをいろいろ試してみたりして、一緒に遊んでいたのが懐かしい。

「今日はこうしてみようか?」
「いいですねぇ〜。」
「それともこんな感じ?」
「お、それもなかなか。 で、もっとこんなにしてみたりして。」
「おっ、そうくるか〜(笑)。」

なんて感じで、ホントに遊んでいただけだけど。

誰にも気づかれることのない裏方仕事は、あんまり真面目にやっていると、だんだん暗くなってくるので、「一人遊び」 にしてしまうのが楽しむ秘訣。

…ってこの場合は「二人遊び」か。


私は、そんなLさんの姿を見ながら、「心地よい自由な場」はそれを支える「裏方仕事」によって成り立っているのだ、ということを学んだ。

(ちなみに、このブログでも何度か触れたことのある「自分史を語る」 という企画は、もともとその会でしばしば行なっていたのを、「これはいい。」と自分なりにアレンジしてやり始めたものである。 そのさいにLさんのあり方を参考にしたのは言うまでもない。)


そのLさんがあるとき、

「出発の会は、ただ集まって食べるだけの会なんやけど、最初に始めようと思ったときに考えたのは、 『中心にはカタチの無いものを置こう』ってことやった。」

と口にしたことがあった。

最初に聞いたときには、何か深い意味がありそうには思いながらも、その言葉の意味がよく分からなかった。

たしかにみんな何か目的があって集まっているわけではないし、来てやっていることといえば「食べてしゃべる」という、 誰もが当たり前に行なう「日常」だけである。

「中心にカタチの無い集まり」とは、いったい何だろう?

多くの「集まり」はたいてい、あらかじめ中心におおよそのカタチがあって、 それを実現してゆくために、あるいはさらにしっかりとしたカタチにしてゆくために人が集まる。

「何のカタチも無いところ」に集まって、人はいったい何を作り上げるのか。

私には分からない。

おそらくLさんにも分からないことであったろう。

けれども時が経つにつれ、私もその言葉の意味がぼんやりながらもしみじみと沁み込むようになってきて、 今では私ももっぱらそのことを意識しながら「場」作りをするようになった。

それが何を生み出してゆくことになるのか、はっきりとは分からないままに。


中心が空っぽの場。

中心を空けておくということ。

私は、そのことを意識しながらいろいろな「場」に身を置くにつれ、これはあらゆることに通じるとても大切な理念なのではなかろうか、 と思い始めた。

モノであれ、コトであれ、人であれ、その中心は「空虚」である。

そう考えると、非常にいろいろなことに合点がいくのだ。

その「空虚」を埋めるようにして、吸い込まれるようにしてモノやコトが集まり、さまざまな物や物事、あるいは「私」は構築されている。

空虚だからこそ、まわりを惹き付けてやまないのだ。

何も無いからこそ、はてしない運動が続くのだ。


そう思って、ふと書を手にとって見ると、いろんな人たちが同じような事を言っていることに気づく。


『さらに戦後を代表する思想家の一人、山本七平は、日本の中心には「真空がある」といった。最初にこれを読んだとき、 私にはなんのことやら、十分には理解できなかった。しかしいまでは、自分なりによくわかるような気がする。真空とはつまり 「絶対的になにもない」ことである。山本七平の表現は、天皇制についての指摘だが、天皇制が日本そのものであることは、 多くの人が認めるであろう。そこが「真空」なんだから、もはやいうことはない。哲学も思想もあるわけがない。そういうものは、すべて 「吸い込まれて」、なくなってしまうのである。なにしろ「真空」なんだから。』
(『無思想の発見』養老孟司、ちくま新書、2005、p75)


『中世後期の集落の様子をいまに伝える今井町は、称念寺を中心にして家々がびっしりと軒をつらねて集合し、 その周りに濠をめぐらした環濠集落である。寄り合うことで結束は固まり、安全はより強化されるが、同時に息苦しさも免れない。 そんな密集空間の中にエアポケットのような空間が一つある。称念寺である。
称念寺は真宗の道場として集落の住民の精神のよりどころであると同時に、ぎっしり詰まった空間の中に大きな息抜きとなる「間」 として機能した。集落を外敵から守る最後の砦であり、共同体の息抜きの空間でもあった。そこは真摯に聞法する道場であり、 世俗空間の中にあって、誰のものでもなく誰もが飛び込める無縁の公界、集落全体が支え、かつ住民が支えられる無主の空間であった。 空っぽの境内は集落をなごませ、かつ人びとを癒し導く聖なる「間」、集落の連帯を強化する聖空間であった。』
(『癒しのイエ』藤原成一、法藏館、2005、p146)


『じゃあ、いったい「本当の私」はどこにいるのか?
ううむ、たぶん、本当の私というのは、この四つをつないでいる最も無能でボケナスな私ではないか、と私は思う。
友人の精神科医が、はからずも言っていた。
「多重人格障害を統合するときに、中心になる人格というのはボケナスがいいのです」と。
そういえば、世には七面六臂の大活躍をしている人はたくさんいるけど、そういう人ほど「おおらかな人柄」と言われる。 おおらかとは言い方を変えれば「ボケ」という事である。活躍している人ほど、お会いするとフツーすぎるくらいフツーの人であり、 どっか抜けているチャーミングだったりする。
…中略…私はボケナスな本当の私によって、すべての「働き」を繋いでいるので、私という存在は多重化しているものの分裂はしていない。 統合されている。
「働き」というものが、自分にとって有意義であるためには「自分という全体性」と繋がっている事がとても必要なのだ。』
(『根をもつこと、 翼をもつこと』田口ランディ、晶文社、2001、p145−146)


『トラウマはそれを抱え込んでいる本人によっては決して言語化できません。というのは、その人の言語運用そのものが、その 「言語化できない穴」を中心で編み上げられているからです。ですから、仮にトラウマが言語化できたとすれば、 それはその人の言語運用全体(単語の意味も、発声法も、文体も、統辞法も)すべて(つまりその人の人格そのもの) が消失してしまうことを意味します。私が「私」としての自己同一性をキープしながら、なお「私のトラウマ」 を語るということは原理的に不可能なのです。
なぜなら「おのれのトラウマを言語化できないもの」というのが「私」の人格を根源的に定義づけているからです。「私」の人格はいわば 「ある経験から組織的に目をそらす」というしかたではじめて成り立っているのです。』
(『映画の構造分析』内田樹、晶文社、2003、p157)


もし、国が、村が、私が、その中心に空虚なるものを抱えているのだとするならば。

鉄のパイプが、真ん中までぎっしりと鉄が詰まっているよりも、間を抜き、中空構造にしたほうが強度が増すように、 中心に空虚な部分が存在することによって、周りのそれぞれを惹き付け、結び付け、それぞれの「働き」により強い連帯をもたらすのだろうか。

「癒しとは全体性の回復である」とはしばしば語られることだけれど、空虚ならではの「透明さ」「つながりのなさ」が、 それぞれをダイレクトに直結させるよりもむしろそれぞれをゆるやかに全体へと結び付けるのだとするならば、中心にポッカリ空いた穴こそが、 その全体性を維持し、あるいは回復させてゆくのかもしれない。


そういえば今宵は満月。

かつて、星月は夜空に空いた穴で、そこから外界の明かりがこぼれていると考えられたこともあった。

星々の全体性を回復するために、月はしばしばポッカリと夜空に穴を穿つのだとしたら…。

…というのはちょっとロマンティックに過ぎるか。

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2006年12月03日

いいかいジョバンニ。それでも教養は大事だよ。

内田先生が12月1日のブログでこんなことを書いていた。


『ある種の知識や技法が文化資本に登録されるのは、「それがあるせいで、あの人はあのような権力や威信や財貨を手に入れているのだ」 というふうに「誤解」する人がいるからである。
そう。文化資本とは「誤解」の産物である。
西施のしかめっ面に本来エロス的含意がないように、教養そのものには権力や威信へのアクセシビリティを約束する要素は含まれていない。
たまたま権力や威信を保持している人間を、下から羨ましげに見上げたものたちの眼に「差別化の秘密」としてたまたま「教養」 が映じたので、それが文化資本となったのである。
たまたま、の話である。

教養が文化資本ではなくなった理由も、だから簡単である。
現に日本社会で権力や威信や財貨や情報などの社会的リソースを占有している人々に教養がないからである。
私はそれが「悪い」と言っているのではない。
昔は、社会的上位者たちのかなりの部分は「たまたま」教養があった。
だから、下々のものは「教養があると社会の上層に至れるのだ」と勘違いしたのである。
もちろん、社会的上位者がその地位を占めたのは教養のせいではない。
それとは違う能力であるが、「西施のひそみにならう」ものたちはあわてて教養を身につけようとしたのである。

今日、社会的上位者には教養がない。
かわりに「シンプルでクリアカットな言葉遣いで、きっぱりものを言い切る」ことと「自分の過ちを決して認めない」という作法が「勝ち組」 の人々のほぼ全員に共有されている。
別にこの能力によって彼らは社会の階層を這い上がったわけではない。
たまたまある種の競争力を伸ばしているうちに「副作用」として、こういう作法が身についてしまっただけである。
だが、「ひそみにならう」人々は、これが階層差形成の主因であると「誤解」して、うちそろって「シンプルでクリアカットな言葉遣いで、 きっぱりものを言い切り」、「決して自分の過ちを認めない」ようになった。
そうして教養が打ち捨てられたのである。』
(@「内田樹の研究室」: どうして仏文科は消えてゆくのか?)


いやぁ…ワルいなぁ、内田センセー。

ちょいワル。…ちょーワル?(笑)

この「そこはかとなく漂うイヂワルさ」に、根が邪悪な私も思わずほくそえんでしまう。

好きだなぁ、こういうの。

私も「いぢわるじいさん」を目指しているので、ぜひ参考にさせていただこう。


「教養」と呼ばれるものが、多くの人々の欲望を喚起した、そんな時代の「幻想」が打ち捨てられて久しい。

大多数の人間に共有されて主流となる幻想、物語というものは、時代時代によって移り変わってゆく。

人は、自分が今どんな幻想のなかに生き、どんな物語を生きているのかは、なかなか気づくことができない。

えてして、抜け出て初めて気づくもの。

それは洗脳されている人間が、「いま自分は洗脳されている」とは気づかないのと同じことである。


宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」 の中に、第四次稿では削られてしまった「列車の中での対話」のシーンがあるのだけれど、そこでも似たようなことが語られている。

「銀河鉄道の夜」の初期稿では、最後の対話の際にジョバンニは「セロのような声の持主」に地理と歴史の辞典を見せてもらうのだ。

そしてその持ち主はジョバンニにこう諭す。


『いいかい。これは地理と歴史の辞典だよ。
この本のこの頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。
よくごらん、紀元前二千二百年のことでないよ。
紀元前二千二百年のころにみんなが考えていた地理と歴史というものが書いてある。
だからこの頁一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。
いいかい。
そしてこの中に書いてあることは、紀元前二千二百年ころにはたいてい本当だ。
さがすと証拠もぞくぞく出ている。
けれどもそれが少しどうかなと、斯う考えだしてごらん。
そら、それは次の頁だよ。
紀元前一千年。だいぶ地理も歴史も変わっているだろう。
このときには斯うなのだ。
変な顔をしてはいけない。
ぼくたちはぼくたちのからだだって考えだって天の川だって汽車だって歴史だって
ただそう感じているのなんだから。』(傍線筆者)
(@『銀河鉄道の夜:初期稿』宮沢賢治)


その時々に語られていた地理と歴史が年代順に並べられた歴史書、というものを空想する宮沢賢治の空想力に改めて驚嘆してしまうが、 その歴史書と呼ばれるものはつまり、その時々の「現代史の積み重ね」であり、「人がどのようにして歴史を語るのか」 ということの歴史書である。

「歴史の語られ方」が歴史を経るにつれて変わってゆく、という考えてみれば至極当然のことに、なかなか空想力が及ばなくなるのは、 どうしてなんだろうか。

宮沢賢治の空想した、その時々の歴史書や地理書というものをぜひとも一度見てみたいものである。

いったい歴史や地理はどのような遍歴を経て、現在の形になったのだろうか。

おそらく私たちの空想をはるかに超えた地理や歴史が浮かび上がってくるに違いない。


『ぼくからみると、ここは厚い立派な地層で
百二十万年ぐらい前にできたという証拠もいろいろあがるけれども
ぼくらとちがったやつからみても、やっぱりこんな地層に見えるかどうか
あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ。』
(@『銀河鉄道の夜』宮沢賢治)

posted by RYO at 20:32| Comment(6) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする