2006年07月30日

ユダヤと大人の時間軸

私家版・ ユダヤ文化論』(内田樹、文春新書、2006)を読了。

今まで「ユダヤ」というものに接する機会もなかったし、あまり考える機会もなかったけれど…。

う〜む…これは…。 Judea, It’s hard.


内田先生はこの本の中で、「ユダヤ」という「名づけの呪(しゅ)」 から立ち現われる「他者」(と言っていいのかどうか…)について、とても興味深い論説を繰り広げておられるが、読みながらそこに何かの “おもかげ”を感じてしょうがなかった。

それが何であるのかは、私にはうまく言葉にできないけれども、前にもそんなことがあったな、と思い返してみたら何のことはない、 先生の著書『レヴィナスと愛の現象学』(内田樹、せりか書房、2001)であった。(IMEによると「愛の減少額」(笑)。)

『レヴィナスと愛の現象学』と『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』(内田樹、海鳥社、2004)は、ともに私の「座右の書」として、 いつも枕元に置いてあるのだが(単に「枕元に本棚がある」とも言える)、『私家版・ユダヤ文化論』のとくに後半部分を読みながら、 私は『レヴィナスと愛の現象学』の続編、あるいは継承、発展形のような印象を受けた。

これらの本は同じように「何か」について語っている。(当たり前か。)

私の感じた“おもかげ”の輪郭を、仮に言葉で表現してみるならば、これはつまり、「師弟論」であり「教育論」であり「親子論」であり、つまりは 「時間軸」を基軸とした「人間関係論」であるのではなかろうか、ということである。


私たちはいつの頃からか「コミュニケーション」を「空間モデル(無時間モデル)」でイメージすることに慣れてしまった。

「こちらからこう行って、あちらからこう帰ってくる」という「空間的イメージ」で、私たちはコミュニケーションを考える。

けれども、ちょっと立ち止まってしばしそのことを考えてみると、そこから生まれるコミュニケーションの理想原理とは、「等価交換性」 でしかありえないことに気づく。

だって「その場ポッキリ(無時間)」の交易においては、両方のベクトルの強さが等しくなくては「不公平」である。

「彼女を愉しませようと一生懸命もてなしてあげたんだから、それに対してボクは報われる権利がある」
「アイツが殴ってきたんだから、オレも殴り返さなくちゃ気がすまない。じゃなきゃ慰謝料と治療費を払ってもらう」

なるほど。私もしばしばそう思う。

それで十分正しいように思えるけれども、もう少し思案をしてみると、 その原理だけでは私たちの社会は立ち行かなくなるという結論を出さざるを得ない。

「空間モデル(無時間モデル)」のコミュニケーションの成り立たなくなるところ。

「行くだけで帰ってこないコミュニケーション」。

「継承」されてゆくもの。「通過」してゆくもの。

出産。育児。教育。治療。死。…etc.etc.


かつてはおそらく、もっとはっきりとコミュニケーションを「時間モデル」でイメージしていたのではないかと思うのだが、それが 「無時間モデル」へと移行していくきっかけとなったのは、おそらくいつかどこかで「死者を殺してしまった」 からではないかと私は想像している。

それがいつ頃のことなのかは知らない。それほど昔のことではないだろう。

養老先生が「水洗便所の普及とともに、排泄物(死者)を嫌悪し可及的速やかに排除する文化が普及した」という、 卓抜した意見をどこかで述べておられた覚えがあるが、もしかしたらその頃かもしれない。

「死者」とは端的に言えば、「ご先祖さま」である。

「死者」を畏れ、敬うということは、そのまま「先祖」を畏れ、敬うことであり、それは脈々と続く「生命の連鎖」の実感に、 深く身を浸すということに他ならない。

つねに身近に「死者の気配」を感じ、「死者」と対話し、自分の判断が誤っていないかどうか、「死者」にお伺いを立てる、という文化は、 かつてはおそらくほとんどどの国にも存在した。

今やそのような振る舞いは妄信的なものとして眉をひそめられ、顧みられることは少ない。

「死」から眼をそらし「死者」を無きモノとして扱うようになれば、“まだ”死んでいる者、つまり、 これから生まれてくるであろう者たちに対しても、その気配を感じることは難しくなる。

「死者」に対する空想力(メメント・モリ)は、そのまま「これから生まれてくる者」に対する空想力でもある。


私たちの身体は「三次元空間」に「時間軸」を足した「四次元時空」に存在している。

三次元空間を表す三つの軸である「たて」「よこ」「たかさ(奥行き)」の軸は、行ったり来たりできる、という「可逆性」 にその特徴があるが、それに対して「時間軸」には、行くだけで帰ってこれない、という「不可逆性」が具わっている。
(謙虚に「今のところは」と言っておく。私たちは私たちの既存の思考に縛り付けられているが、未来の物理学がいつかその「不可逆性」 を覆す可能性はゼロではない。)

その「時間軸」を延長して空想する習慣を、私たちはいつのまにか捨ててきてしまった。

「過去の人」にお伺いを立て、「未来の人」に申し開きができるような振る舞いを選択するということは、時間軸に対して「開かれた態度」 がなければできない。

「過去と未来のはざまに立つということ」、「時間軸方向への空想力を持つということ」。

今一度、私たちはそれについて考え直してみなければならないような気がする。


内田先生は本の中でこう述べる。

『ユダヤ人は「すでに名指され」「すでに呼びかけられたもの」という資格において、 レヴィナスの述語を借りていえば、「始原の遅れ」を引きずって、はじめて歴史に登場する。そのつどすでに遅れて世界に登場するもの。 それがユダヤ人の本質規定である。』
(『私家版・ユダヤ文化論』内田樹、文春新書、2006、p189)

満員のエレベーターに遅れて乗り込んだときに過重のブザーが鳴ったならば、まず真っ先に「私が降りなければならない」 という責任を、普通は感じる。

そのとき乗り合わせた人も、おそらく誰もが「残念だったね。降りなさい。」と口にはしなくても少なからずそう思って、 最後に乗り込んだ人を見つめると思う。(べつに過重は一人の責任ではないけれども)

ユダヤ人はこの世界に「遅れて到来する」ことによって、誰よりもまず先立って「有責性」を引き受ける立ち位置についた、 と内田先生は言う。

(時と場合と相手の心情を慮って「時間をつぶしてワザと遅刻する」のは、ごく稀にだが私もする。)

ユダヤ人がユダヤ人であるのは、非ユダヤ人が「オマエはユダヤ人だ」と名づけたからなのだけれど、 そう言わせたのはやっぱりユダヤ人である、という内田先生十八番の二回転半ひねりの「超舌技」に眼(耳?)をくらまされ、結局、 それが意図してなのか事後的になのか、読んでいても私にはよく判らなかったが、きっとその両方なのだろう。 (それは論理上オカシイけれども、そういうことってある。)


前にも書いたけれど、 「平等性を放棄する」ということ、つまり「等価交換を放棄する」ということ、そのことが「大人である」 ために必要なことなのではなかろうかと私は思っている。

「大人である」ということは、「長大な時間軸」の中間点に「私」を置いて、「垂直方向へのコミュニケーション」 に焦点を当てることによって、「過去」や「未来」に対して「同時代」を生きる人々を丸ごとひっくるめて代表するような「有責性」 を引き受ける、というメンタリティーを持つということではなかろうか。(そんなことはとうてい不可能であるとしても。)


「万人の死を死ぬ」ような責任の引き受け方において、ユダヤ人のユダヤ人らしさが現われているわけだけれど、もしそうだとすると、 ユダヤ人は、地球大家族という構造で世界を考えたとき、「大人(親)」としての立ち位置にいる、ということになる。

「何でも知ってて頭が良い。」と子どもたちに思われながらも、ときに「ボクたちを支配している」と思われ、 アダルトチルドレンな子どもたちに「オマエが悪い!」とボコスカ殴られ、生傷耐えない状態で耐え忍ぶ。

そんな状態の中で、「これ(大人)って割に合わないんじゃないか?」という疑問を持ちつつも、 それを引き受けるだけのタフさを身に付けることを、民族レベルで因習化した者たち。

内田先生のモンスターバイクによる楽しそうな「暴走(@本人)」を、チャリンコで必死に追いかけていったら、 なんとなくそんな光景が見えた気がした。


【追記】
…と書いて、改めて『レヴィナスと愛の現象学』を読み直していたら、そのアナロジーについてちゃんと書かれておりました。

『自分は他の人々より多くの責務を負っているということを、 比較考量の手続き抜きで、「いきなり」宣言する人間が登場しなければならない。このようにして先取される論理的な「私」の複数形、 おのれを「諸邦の民たちとは別の準位にある」民として集団的に宣言する「私たち」のことをレヴィナスは別の文脈では、「イスラエル」 と読んでいる。
  「イスラエル」とは歴史的事実というよりもむしろ道徳的カテゴリーである。』
(『レヴィナスと愛の現象学』内田樹、せりか書房、2001、p275)

この「イスラエル」という言葉は、そのまま「大人」と読み替えても、意味はまったく通じる。

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2006年07月28日

風と水の流れのなかで

午前中の仕事がキャンセルになって時間ができたので、ふと「風浴み」をしようと、久しぶりに多摩川へ行った。(前回記事コメント参照)


最近の長雨で水は濁っているかと思ったら、しょうしょうと降る雨に水量が増し、むしろいつもより水がキレイになっている。


汲んで嗅いでみてもイヤな匂いもなく、清き流れに心も軽くなり、なんだか嬉しくなってくる。

サッと一陣、風が吹きぬけ、耳元でびょうと鳴く。

川辺を散歩していると、いつも風は下流から吹く。

海と陸がそうさせるのか。川と丘がそうさせるのか。水は下へ、風は上へ。


すばやく流れ落ちる水の流れに、重なるように駆け登ろうとする飛沫たち。

ジッと見ていると、流れの本質がおぼろげながら浮かんでくるよう。

拮抗した二つの渦が見えてきて、未来の川底の形状のイメージが脳裏に浮かぶ。

「きっと同じ原型があるはず…」と探せば、あった。

川の中央に鎮座まします海を見つめる大地の恐竜。

上から右から左から、喉元を渦に削られ、遠く海を見つめるように首をもたげる。

流れの下からその姿を浮上させ、遠く海を思うのは、大地の性か、川の性か。

けれどもやがていつかはまた、流れの中へと帰ることだろう。


流れは時に不思議なイタズラを大地に残す。

穴、穴、穴。

転石、穴を穿つ。

キレイな円。

削って削って…。よくもまあ、こんなに深く穿ったものだ。

自然の芸術家は仕事が丁寧である。


大きな渦はダイソンの掃除機のように、その中央に砂利を集める。

渦に集まる石たちは、周囲の粘土質が剥離したものばかりだから、みな平板で“水切り”にもってこい。

それに対してすぐ近くの川底にあるのは丸石ばかり。比べてみれば一目瞭然。

一つ二つ拾って流れに投げる。

1、2、3。

4っつで沈む。腕が落ちたか。イヤ流れが急なのだと、ひとり言い訳。


ふと見れば、カビがコロニーを形成している。

ほどよい湿気を好んで円を描く。

微生物とはやはり環境そのものだと、ふたたび得心。

醸造の達人「杜氏」でも、小さな彼らのためにできることは、「場」を整えることだけ。

必要なのは、彼らを訊く目、訊く耳、訊く鼻、訊く舌…。

全身全霊、いのちの対話。

研ぎ澄まされた感覚に浮かび上がる世界とは、一体どんな世界なのだろう。

風と水の流れのなかに、しばし身を置きながらの、雑感。

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2006年07月24日

からだは波だと私が思うのも…

ガイアシンフォニー第四番」 に出てくる「ガイア仮説」 で有名なジェームズ・ラブロック博士の作ったECD(電子捕獲検知器)は、レイチェル・カーソンが『沈黙の春』(レイチェル・カーソン、新潮社、 2001)を書くことになったきっかけを生み出したスーパー高感度毒物検出器であるが、その精度は、 イギリスにある博士の研究所で散布した1リットルの物質を、一週間後、日本で検出できるくらいの精度であるらしい。

その精度にもビックリだが、イギリスで撒かれた1リットルの物質が、わずか一週間で日本にまで飛来するという事実には、なお驚愕した。

地球って狭いんだなぁ。

しかし、もしホントにそうだとすると、私たちは予想以上に空気を介してお互い繋がりあっているということになる。

人間大人ひとりが一回に行なう呼吸の量は、平均でおよそ500ml。

一分間に平均18回の呼吸をしているとすると、一日におよそ2万6000回の呼吸をしている計算になり、それは体積に換算してみると、 一日に1万3000リットルの空気を呼吸していることになる。

それだけの量をふだんから呼吸しているのであれば、一ヶ月もこの地球上で生活していれば、おそらく世界中の人間はおろかあらゆる動物、 植物の吐いた息をお互い吸い合っていることだろう。

う〜ん。そうかぁ。すごいなぁ。


地球規模のスケールに圧倒されながら呆然としていると、呼吸以外はどうなのか、いろいろ調べてみたくなってきた。

するとおよそ次の通り。(汚くて失礼!)

人間ひとりの一日の糞尿の排泄量は約1,4リットル。
垢の量は一日約5gから15g。
涙の量は一日約0,6ccから1cc、あるいは2ccから3cc。

ふむふむ。なるほどねぇ。

空気の重さは1リットルでおよそ1,3gということだから、一日の呼吸量を重さで換算すると、だいたい17kg。

その他の排泄量も足してみると、私たちは一日18kg以上の物質を吐き出しているということになる。

体重はそう変わらないわけだから、それと同じくらい取り入れている、つまり、一日に実に18kgもの物質が私たちのからだを「出入り」 しているのである!(大半は肺までだけど。)

う〜む。人体恐るべし。


私たちのからだは、いろんな物質がつねに通り抜けている。

私たちは日ごろ、あまり変化の少ないからだに見慣れているので、当たり前のようにそこにからだが存在しているかのように思っているが、 からだ中の細胞はおよそ7年ですべて入れ替わると言われている。

全部の細胞が入れ替わるかどうかは諸説さまざまであるようだが、 多かれ少なかれほとんどすべての細胞が入れ替わっていることは事実のようである。

もっともひんぱんに入れ替わっているのは、皮膚、胃、腸などで、3、4日ですべて新しい細胞に入れ替わり、 目の角膜なども約1週間で入れ替わる。

赤血球は平均125日で入れ替わり、また肺、肝臓、すい臓、脾臓といった臓器の細胞は400〜500日で入れ替わるそうである。

比較的ゆっくりと入れ替わるのは、骨で約5年、筋肉は約7年かかると言われている。

銀河系の星の数より膨大な量の細胞をもつ人間のからだの中では、1分間に2億個の細胞が生まれ、また死んでいる。

私たちのからだは絶えず生まれ替わっている。

7年も経てば、私たちは物質的にはまったくの別人なのである。

先ほど述べた地球大循環の話も含めて考えてみれば、私という人間はいったいどこまで個人であると言えるのだろう?

私があなたで、あなたが君で、彼と彼女と、ボクと…、君?と?私は…、彼?と、あなた?

…え〜と、あなたは一体誰ですか? 私も一体誰でしょう?

たまたま「今」「ここ」に「私」として現象している、モノやコトたちの一瞬の出会いときらめきを、私は「私」と感じているけれど、 つねにいろんなモノがやってきてはまた世界へと帰ってゆく、「通り抜けられるこのからだ」というものが、まるで「がらんどう」 のようにも思えてくる。

「からだは波なんですよ」とは、私がつねづね講座でもくり返していることだけれども、それはからだも波も、ともにこのような 「通り抜け」の現象だからである。


右にあるのは海の波の写真。

私たちが海岸に立ち、波打ち際に眼を向けてみれば、海の波が絶えず浜に打ち寄せ、 繰り返し繰り返し波の形態が海の側からやってくるのを見ることができる。

その波打ち際に、空き缶がひとつ浮かんでいたとしよう。

その空き缶はどういう動きをとるだろうか。

やってきた波は空き缶を持ち上げるが、空き缶を押しやることなく、その下をくぐり抜けて波打ち際へとやってくるはずだ。

多少の動きはあるにしても、基本的に空き缶はその場で上下運動を繰り返すだけである。

なぜなら水が、上下運動するだけで横方向にはさほど動いていないからである。

サーファーもきちんと波の斜面を「滑り落ちなければ」、波に乗って移動することはできない。

海の波は「とどまる物質(水)と、通り抜ける形態(波)」からできている。


では、今度はその目を川の波へと向けてみよう。

川のほとりに立って川の流れを見てみると、川の表面が川底のカタチに沿ってデコボコしていることに気づく。

海の表面もたしかにデコボコはしているが、違うのは川のデコボコは基本的にその場にとどまっていることである。

川の波は動かない。

波は同じ場所で、ゆらぎながらも「あるカタチ」を保ち続けようとしている。

では、先ほどと同じ観察をするために、ちょっとそこに空き缶をひとつ投げ入れてみることにしよう。 (良い子はそんなことをしてはイケマセン!)

言うまでもなく、空き缶は川の流れの勢いに波を乗り越え、ドンブラコッコとたちまち下流へと消え去ってゆく。

水は波を置き去りにして、流れ去っていく。

川の波は「とどまる形態(波)と、通り抜ける物質(水)」からできている。

(ちなみに津波は「水」そのものが移動しているので、むしろ川の流れに近い。)


海の波は、波の「形」が移動してゆき、「水(物質)」は上下運動をしているだけでその場にとどまり続ける。

川の波は、「水(物質)」が移動してゆき、波の「形」はその場にとどまり続ける。

海の波は「物質はとどまり、形態は通り抜ける」。
川の波は「形態はとどまり、物質は通り抜ける」。

二つの波は一見違うものであるように見えるが、この二つの違いは相対的なものであって、観測者が波とともに移動すれば、 どちらもまったく同じ現象であることが分かる。
(「川の波」は、川の流れと同じ速度で上流へと駆け上る「海の波」である。)

「物質が動いているか、形態が動いているかは、観測者の運動によって変わる」のであって、まさしく「相対性理論」である。


それを踏まえて、今一度私たちのからだに目を向けてみると、同じ構造をもっていることに気づく。

つまり、絶えず細胞が入れ替わりながら、7年ですべて入れ替わったとしても、「私」という人間のカタチを保ち続ける肉体。

「形態はとどまり、物質(細胞)は通り抜けている」。

私たちのからだは、つかのま物質同士が寄り添って形作っている「現象」であって、 形作っている物質自体は形態だけを次世代(細胞)へと引き継ぎ、やがて再び物質循環の生態系へと帰ってゆく。

私が講座の合間に「からだは波なんですよ。」と繰り返し申し上げているのは、そういうことが(も?)言いたいのである。

そうして「からだが波と同じ構造をもっている」と考えてみると、「同じ形態に戻ろう」 とする自然治癒力の恒常性(ホメオスタシス)なども、そういえば「波と一緒」であることに気づいたりもする。(波はどんなに形を崩しても、 「流れを変えない限りは」再び元の形に戻ってゆく。)


物質をともなう肉体はあまりに「硬い」ので、「実在」であることをまったく疑うこともなく確信しきっているが、 時間軸の流れをちょっと早くしてみれば、たちまち『絶えず生起し続ける「現象」』としての面が浮かび上がってくる。

それは固体であるかのように見えるガラスが、 実は何千年もかけて重力に従ってゆるやかに「零れ落ちてゆく」液体であることにも似ている。

ガラスがあまりにも長大な時間軸を具えているので、私たちの目には零れ落ち続けるガラスが、 まるで止まっているかのように見えるだけである。

(「ガラスの時間」で人を見れば、一夜で咲いて散る「月下美人」 の花のようでありましょう。)


私たちは私たちが思っている以上に、ゆらぎ、生起し、交流し、交じり合い、引き継がれてゆく存在なのではなかろうか。

そんなことを思いながら、こんなことを私が考えるのも、 いつかどこかで誰かが同じようなことを考えながらフトついたため息のそのカケラを、私が吸い込んだからなのかもしれない、 などという思いに胸を馳せてみる。

…と、こんなことを私が思うのも、いつかどこかで誰かが…(以下リフレイン)

posted by RYO at 20:48| Comment(10) | TrackBack(2) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月22日

妖怪セラピーとべてるの家

本屋さんをうろついていたら、『妖怪セラピー』(芥子川ミカ、明石書店、2006)という本を見つけた。

「おお!なんだこりゃ?」と思って、さっそく手にとってパラパラとめくって読んでみる(買うのは我慢)。

中身を読んでみると、けっこう真面目な本である。

どうやら何か心配事や悩み事などがあって、どうしてもそれが解決できずに行き詰ってしまったようなときに、 妖怪様にご登場願ってその御助力をお借りしよう、というセラピーのメソッドのことらしい。

なるほど。

まぁ、つまり言ってしまえば、『二進も三進もいかないときは「自分のせい」じゃなくて「妖怪のせい」にしてしまえ。』と、 露骨にこう言ってしまったわけであるな。

ウハハ! すごくラディカル(根源的)にナラティブ(物語)だなぁ。

ナラティブ・セラピーもそこまで行くと、呪術や祈祷やお祓いにどんどん近づいてくるな。

しかし確かに、手段としてはたいへん有効なことである。

名前をつけて」「外在化する」のは、古来より人類が採用してきた汎用的なソリューション(解決策)である。

病気であれ、事故であれ、闘争であれ、政情不安であれ、天変地異であれ、「ナニモノか」のせいにして、 それを葬るために誠心誠意を込めた「儀礼(葬礼)」を執り行うということ。

そのとき執り行う「葬礼」は、その意味が説明できなければできないほど良く(あるいは禁忌だったり)、誠心誠意をもって行うほど良い。

昔からそういうものである。

なぜかは知らない。


ちなみに、本の中に登場する妖怪たちは、「口さけ女」「カッパ」「貧乏神」などの有名どころに加え、「ぬらりひょん」「アズキあらい」 「見越し入道」といったマニアックなモノ、さらには「ぶるぶる」「虎にゃあにゃあ」「わうわう」なんていう聞いたこともないモノたちまで。

「虎にゃあにゃあ」って何ですか…(笑)。


そんな愉快な「妖怪セラピー」の本を見ていたら、ふと「べてるの家」の「幻聴さん大会」を思い出した。

べてるの家」というのは、 北海道浦河町にある精神障害者のコミュニティのことで、海産物、農産物の通販などの事業を起こして、 精神障害当事者と地域の人々が協力して商売を展開しているという全国でも珍しいコミュニティであり、壁に貼られた 「安心してサボれる職場作り」「3度のメシよりミーティング」「手をうごかすより口を動かす」(笑)といったスローガンからも、 そのユニークさが伺える。

そんな「べてるの家」の特殊な取り組みは数多いのだが、その中でも圧巻なのが先ほど述べた「幻聴&妄想大会」。

それはどんなものかと言うと、当事者(精神障害者の人たちのこと)たちを悩ます「幻聴&妄想」を、みんなの前で大いに発表し、 特にすぐれた(?)幻聴、妄想には表彰状を与えて、みんなで祝福する、というかなりファンキーな試みなのである。

たとえばこんな素敵な表彰状。

『駄洒落大賞   ○○様
あなたは、長年、 圧倒的な迫力の幻聴さんやお客さん(ふと浮かぶ(否定的な)思考)とハリウッド映画も顔負けのバラエティーにとんだユニークな幻視に苦労されながら、 爆発という対処方法で切り抜いて来られ、家の修理に追われるお父さんの日曜大工の腕がプロ並に向上するという結果を生み出しました。 とくにあなたは、苦労の多い中で駄洒落で仲間を笑わせ、人のつながりを築いて来られました。よってここに、同じ苦労系の「○○○」 の弟子として認定し、今後爆発で苦労している仲間の救済活動を期待しここに賞します。記念品として、 鳥のから揚げを食べようとしたら幻聴さんに「食べるな」という言いがかりをつけられ食いそびれたというあなたの辛い体験を思い出し、 大通り商店街特製の「鳥のから揚げ」を差し上げます。』
(『べてるの家の 「当事者研究」』浦河べてるの家、医学書院、2005、p111)

(RYO注:本には個人名が出ていますが、ここでは念のため伏せてあります。)


たとえば見えたのが「二階の窓から緑色の牛が眺めていた」なんて妄想であれば、それをみんなで「二階の高さにいる牛というのは首が長いのか、 脚が長いのか」と真面目に話し合ったりしながら、みんなでその妄想を共有しているうちに、 本人が徐々に妄想に振り回されないようになってゆく、というなかなか理に適った試みなのである。

そうして、「幻聴さんや妄想さんと折り合って付き合ってゆく」という視点で、病と向き合っていると、 その付き合い方が分かってきたりして、悪魔がやってきたときに「ターッ!」とやると悪魔が去る、ということに気づいた人は、 悪魔に去ってもらいたいときは「みなさん一緒にやってください」とお願いして、みんなで「ターッ!」 とやってもらったりするそうである(笑)。

いいなぁ、素敵だなぁ。

オイラも、みんなに「ターッ!」てやってもらいたいなぁ。 気持ち良さそう〜。

で、みずから去っちゃったりして。 天邪鬼だし(笑)。


精神病のあるなしに関わらず、「べてるの家」はさまざまな心の問題の対処法の宝庫である。

『幻聴さんには礼儀正しく接する』とか、『いっぱいあるバッテンを丸く並べて○にする』とか、『逃亡するときは「あれ?トイレかな?」 と思わせるように存在感(カバン)だけ残す』とか(笑)。

興味のある方は本もいっぱい出ているし、ぜひ一読されてみると面白いと思う。

posted by RYO at 01:49| Comment(11) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月18日

知ってる知ってる知ってる

またまた学生が我が家にやってきた。

前に 「インドの話を聞かせてください。」と言って、我が家にやってきた学生たちから再び電話があって、「インド隊の帰国報告に、 またRYOさんのおウチにお邪魔したいんですけど…。」と言うので、「いいよ。」と答えたら、言葉どおりさっそくやってきたのである。

ついこのあいだ、 ワラワラと大挙して押しかけてきたばかりだというのに、畳み掛けるねぇ。

でもまぁ、来るということになった以上、饗応するのが私のつとめ。

はてさてしかし、今回はどうしようか。前回は角煮だったからな…。

角煮も美味しかったけど、こう暑いともっとサッパリしたものが食べたいな。う〜む。

で、ふと思い立ったのがマグロ納豆。

よし、今回はマグロ三昧にしよう。

ということで決まったメニューは、マグロ納豆丼に、マグロとアボカドのサルサソース添え、そしてOくんが「ウマイっス!」 と絶賛してくれたピータン豆腐をもう一度。 もちろんヌカ漬けも。

材料を買い込み、ウチに帰ってさっそく調理。

マグロをしばらく醤油とめんつゆ、お酒を混ぜたものに浸して「づけ」にする。

そして「づけ」にしたマグロに納豆を加え、そこに生姜、ミョウガ、大葉の千切りをわっさりと乗せて、 カラシとワサビを溶いた醤油をダーッとかけてよく和えて、「マグロ納豆丼の具」の完成。

そして次に、マグロに塩コショウを振ってしばらく馴染ませたものに、同じくらいの大きさに切ったアボカドを加えて、 オリーブオイルをちょっとたらして、クレイジーソルトを振る。

お皿に盛り付けた後に上からサルサソースをとろりとかけて、バジルを振って「マグロとアボカドのサルサソース添え」の完成。

「ピータン豆腐」は前回とまったく同じでは芸がないので、今回はみじん切りにしたザーサイを加えて、 山盛りに乗せた白髪ネギの上からラー油を一回りかけてみる。うむ、色も良い。

そしてご飯を炊いて、ヌカ漬けを切って、テーブルの上にズラリと載せて学生たちを待つ。

「準備万端。来るなら来やがれ。」と息巻いていたら、ふと氷がまったく無いことに気づいたので、 近くのコンビニにロックアイスを買いに行ったら、帰ったところにちょうど学生たちがやってきた。

「お、来たなこの野郎。」(って女の子だね。)


前回と違って今回は学生3人なので、こじんまりと飲み食い。

インドの話をしに来たはずなのに、話は「恋愛論」やら「ユビキタス社会」やら「役割論」やら「べてるの家」やら「バカの壁」やら、 ちっともインドと関係ない話で盛り上がる。

「今、小説にハマッてます。」と言うKさんに、「なんていう本?見せて」と言うと「見せられません!」としきりに拒む。

「分かった。コバルト文庫(ボーイズラブ系文庫)とかそういうやつだ」と言うと、「違いますよ!」と必死になって否定する。

そんなに必死に否定するくらいなら見せてくれればいいのに…。

そこで妥協案として、となりのSさんに本のタイトルを確認してもらったら、見るなり大爆笑して一言。

「うん、見せない方がいい(笑)。」


そしてさらに梅酒やマッコリや日本酒をカパカパと飲みつつ話をしていると、子どもが何でもすぐ「知ってるー!」ということがとても気になる、 という話になる。

子どもがよく発する、あの「それ知ってるー!」という語り口は、いったいどこでいつ頃学ぶのだろうか。

アマノジャクな私などは、子どもにそんなこと言われたら、ちょっとマジな顔になって、

「ちょっと待って。 知ってるってどれくらい知ってるのかなぁ? 知ってるってどういうことだかホントに知ってるのかなぁ?」

なんて、ねちっこく聞いてしまいそうだ。(しないけど。)

前にもこのブログで似たようなことを書いたことがあるけれど、 安易に「知ってる」と口にすることが、どれだけそれ以上の学習に弊害をもたらすか知れない。

それこそ「知ってるつもり」が「バカの壁」を生み出すのであるから。


例えば幼稚園で小さな子どもたちに、「物の名前を問う」のはいいけれど、「物の名前を知っているかどうかを問う」のは、あまり良いことだと私は思わない。

このあたりのニュアンスは微妙なところだけれど「大きな違い」だと私は思う。

細かいことだが、名前を問えば「知ってる子」と「知らない子」のあいだに、 それほど差異は生じない(知らない子も先に答えた子の答えを聞いて答えればよい)。

しかし、「知ってるか知らないか」を問われたときには、無理に答えようとすれば嘘をついて「知ってるフリ」をするしかない。

(それは大人に喜んでもらおうと思ってついてる「好意からの嘘」であって、子どもも好きでついてるわけではない。 「大人が嘘をつかせている」ということをしっかり認識すべきである。)

「知ってるかどうか」ということを大人に問われ続ければ、子どもたちは、『大人はボクに「知ってる」と答えることを求めている』 と理解する。

当然、大人に認めてもらいたい子どもたちは「何でも知ってる」ことを目指す。

そうして子どもたちは「何でも知ってる」ことを欲望し、「何でも知ってる」ことが素晴らしいことなのだ、という価値観を育んでゆく。

だがしかし、ちょっと待って欲しい。

まだ思春期も迎えぬ小さなうちに「何でも知ってる」状態にすることに、いったいどれほどの価値があるのか、私は疑問だ。

「知る」ということは、「知ってる」「知らない」という単純な二項比較で語られるようなことではなく、深かったり、広かったり、鋭かったり、もっとキメ細かいグラデーションに富んだことなのではなかろうか。

「知ってる」「知らない」という単純な二項で「知」を語ることは、「知ること」が「学びのゴール」であるような錯覚を起こしかねない。

しかし「知ること」は「学びのスタート」であって、決して「学びのゴール」ではない。

「小さな子ども」の「小さな世界」の「小さな言葉」で、「世界の何でも説明し既知に還元してしまう」ということは、「世界の持つ豊饒性」を損なうことにはなりやしないだろうか。

と、そういうと、「じゃあ、子どもに言葉を教えるな、と言うのか!」と憤慨される方もいらっしゃるかもしれないが、 そういう極端な話ではなく、世界を小さく歪曲化して捉えるような「閉じた語り口」ではなく、世界の豊饒性をできうる限り損なわない 「開かれた語り口」を、子どもたちに供しませんか、と申し上げたいのである。

世界の未知性に対する「敬意」 を失わないような、「名前をつけること」 の持つ「呪(しゅ)の構造」を踏まえた語り口を、子どもたちには身につけていって頂きたい、と私はこう思うのである。

「何だろうね?不思議だね」というような、そのモノの持つ豊饒性を「謎」として残しておく語り口が、子どもたちの「豊かな世界」 の未知性を担保するのではなかろうか。


…という話をすればよかったのだが、酔っ払っているときにそんな話は思いつかない。

酔っ払いはつねに「口数が多くて、言葉が足りない」。

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2006年07月16日

ヌカドコとウメの交換

ちょっと前に、知人からどさっと梅を頂いた。

てゆうか正しく言うと、物々交換をした。

「知り合いから大量に梅を送ってもらうんだけど、RYOさん要らない?」とのご提案を頂いたので「じゃあ、ぜひ。」と答えたら、 「RYOさんのヌカドコと交換ね。」と言われたので、お互いおすそ分けすることになったのである。

愛しのヌカドコを、余所のウチにやるのは初めてである。

「余所のウチでも元気でやっていくんだよ。」と声をかけながら、100gばかりを小さなタッパーに移していると、 まるで心境は娘を嫁に出す父親のようである。

余所のウチのヌカドコとコラボレーションしたら、我が愛しのヌカドコは一体どのようなパフォーマンスを発揮してくれるのだろうか。

出会いこそが新しいモノを生み出す。期待。


そのお返しに冷凍状態でもらった梅は、忙しかったのでそのまま冷凍室に入れっぱなしにしてあったのだが、せめて梅雨明けする前にと思って、 今日を善き日と選んで梅仕事の日と定めた。

梅を使ってできるものはいっぱいあるので、何にしようかと悩んだけれど、ハチミツを使った梅シロップにすることにした。

簡単であるというのが一番大きい理由であるけれど、運良く(?)発酵してくれたら、 ひょっとしてとっても美味しいモノが出来上がるんじゃなかろうか、という野望も無いではない。

が、今使える容器がドブロク作り用の10リットルサイズの大きなホーロー鍋しかない。

そこでちょうどよいサイズの容器とハチミツを2kg分買ってきて、さっそく梅仕事。

密封できる蓋付きのガラス瓶をよく洗って、水気を切ったらアルコールをシュッと一吹き。
清めたところに梅をゴロゴロと入れて、さらに大量のハチミツをドボドボと加えたら、終了。

…あっという間である。

あとは時が仕事をしてくれる。時は偉大なり。

梅をひとつ持ち上げてみると、周りについたハチミツがトロ〜リと滴り落ちる。

プーさんがいたら悶絶しそうな光景だ(笑)。


思いのほかあっという間に終わってしまったので、街へ出かけて本屋へと向かう。

もはや積読本も洒落で済まないくらいに増えてきてしまった最近は、「なるべく買うまい」と自制をしているのだけれど、 プラプラと歩いていると、『動物の本質』(カール・ケーニッヒ、ホメオパシー出版、2006)なんて本が出ていた。

副題には「ルドルフ・シュタイナーの動物進化論」とある。

「お?」と思って手にとって、パラパラとページをめくっていたら、原生生物から哺乳類まで、 カンブリア紀の生命体についても書かれている。

「これは買わねば!」とすぐさま購入。初志棚上。

カンブリアエクスプロージョンとは何だったのか」 ということが気になって考えているまさにちょうどそのときに、その質問を一番訊いてみたいと思っている人(シュタイナー)の本が、 その質問に応じるようにして出るというのは、これを強運と呼ばずしてなんと言おう。

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2006年07月13日

「ゲド戦記」と「名前を呼ぶこと」

スタジオジブリの作品「ゲド戦記」が、 いよいよ今月の末から公開される。

テレビCMや電車の吊り広告でもよく見かけるが、その中で気になるのは読売新聞のコピー。

「読売新聞はゲドの主張におおすじ賛成です」

「おおすじ賛成」って、何が言いたいんだろう…(笑)。


まぁそれはともかく、この夏公開の「ゲド戦記」。

ジブリ作品大好きな私は今から大変愉しみにはしているが、原作が原作だけに「ヘンなことして欲しくない」という不安もまたある。

今回の映画は、「ゲド戦記V さいはての島へ」 を基調としたオリジナル脚本ということだが、『シュナの旅』(宮崎駿、徳間アニメージュ文庫、1983)も原案の元になっているとのこと。

「シュナの旅」もたしかに好きな物語ではあるし、「シュナの旅」と「ゲド戦記」の世界観とのコラボレーションも興味はあるけれども、 正直な気持ちを言うと「ゲド戦記」と名乗っている以上、あまりヘンな演出をしてほしくはないなぁ、と。

「どうかヘンな演出をしませんように」と祈るしかないけれども、スタジオジブリはその期待に応えてくれるものと信じる。


私は一時期、ファンタジー小説にはまっていろいろ読んでいた時期があったのだけれど、『ゲド戦記』 (ル=グウィン、岩波書店、2006)もまた「ファンタジーの王道」と呼ぶべき傑作である。

読んだのは大学生になってからだったけれども、「ゲド戦記」には私も大切なことをたくさん教えてもらった。

良いファンタジーというのはそのまま、良い導き手であり、よい教育者である。


小説や漫画の作者のインタビューを読んでいると、「登場人物が自分で勝手に動き始めた」というようなことがよく語られる。

優れたファンタジーというものは、作者の意図を超えて紡ぎだされるものであるので、それこそ作者の「我が抜け落ちた」 ところで語られる物語は、多くの人間に共通する普遍的な心象が語られ始めるものである。

ファンタジーの素晴らしいところは、それが現実とそっくりそのまま対応していないというところにある。

ファンタジーとは一般的に、「空想の作りもののお話」という風な解釈がなされるけれども、逆に空想だからこそ、 現実の姿をそのままに描いていないからこそ、語りうるものがある。

ファンタジーは、それがファンタジー(空想)であるがゆえに、それを読む私たちにファンタジー(空想すること)を強制する。

ドラゴンや、魔法使いや、得体の知れぬ化け物や、ありえない建物などなど、私たちが未だかつて見たことのないものを空想しなければ、 その物語を愉しむことはできない。

ファンタジーは私たちを重く縛り付ける物理法則からの脱却を、精神に強いるのである。

人間は見たことのないモノ、聞いたことのないモノを空想するとき、今までの経験の中から「それに似た何か」を呼び起こすことによって、それがどのようなモノであるのか予想しながら分類化し、空想する。

それそのモノを空想することができないので、それに似た何か別のモノから連想し、空想することで代理表象するのである。

それゆえに、私たちはファンタジーを読むときに、書かれていることそのままを読むだけでなく、何かもうひとつ「よく似た私の別の物語」を同時に空想してしまう。

私たちはファンタジーという物語から、各自それぞれ「別の物語」を読み取ることになるのである。

多かれ少なかれ、物語とはそういう傾向を持つものであるけれども、ファンタジーにおいては、 その媒介がより抽象的な空想であるがゆえに、その傾向はますます強いものとなっている。

(ライオンをどのような姿で思い描くかについてはかなり精確な規範が存在するが、ドラゴンをどのような姿で思い描くかについては、 精確な規範など存在しない。)

ファンタジーが「何の物語」として浮かび上がってくるかは、読む人のもつ関心と相関的にカタチをとって立ち現われるので、当然、 人によってそれぞれ大きく異なるし、また読む時期によっても大きく異なるものである。


そのようなファンタジーの王道「ゲド戦記」を私が読んだとき、私の心の中にもっとも印象深く残ったのは、『 「物象に備わる真(まこと)の名前」を知ることが、魔法を使うために必要なことである』ということであった。

タイトルにもなっている「ゲド」という名は、主人公である魔法使いの名前であるのだが、それは真の名前であるので、普段は「ハイタカ」 と名乗っている。

なぜなら魔法使いは、その真の名前を相手の口から言われてしまうと、魔力を失ってしまうからである。


『ゲドは呪文を唱え、内部の力を集中させた。が、それより早く、魔物はしゃがれ声で、 一声叫んだ。
「ゲド!」
もはや、変身は不可能だった。ゲドはあるがままの姿で、素手で眼前の魔物に向かい合わなければならなくなった。それに、 この異国の地では、人間も物も何ひとつ見知ったものはなかったから、助けを求めたところで応じてくれるものなどあろうはずもなかった。 彼はまったくひとりだった。右手に持つイチイの木の杖以外、敵と自分とをへだてるものはなにもなかった。』
(『ゲド戦記I 影との戦い』ル=グウィン、岩波同時代ライブラリー、1992、p188)


ゲドはその名前を見抜かれ、その名を呼ばれた瞬間、ただの人となってしまう。

だがそれは逆に、相手の真の名前を知ることによって、どれほど強大な相手であっても対等に渡り合えることを意味する。

人間よりも強大な力と屈強な肉体をもち、高度な言語(真の言葉)を操る竜と渡り合うために、ゲドは見事その名を言い当てて、 交渉を対等に運んだりもするが、「そのモノの真の名前を呼び、それを意のままに操る」というそのことこそがつまり、ファンタジー世界の 「魔法の原理」でもある。


前にも書いたことがあるが、 私たちが「何か言いようもないモノ」に捕えられ逃れられなくなってしまったときに、「それに名前を与える」ということは、 とても大切なことである。

それに名前をつけ、白日の下にさらけだして、その魔力を奪うのである。

(ファンタジーにおいてはそれが「真の名前」となるのだが、現実には「適切な名前」である。)

呪いや魔物の類は闇に身を潜めているときにのみ、その強大な魔力を放つのであって、光に照らし出された瞬間、胡散霧消するか、 あるいはその哀れでちっぽけな正体をさらけ出す事になる。


「私を苦しめるこの例えようもないモノの正体は、『嫉妬』だったんだ。」
「私を駆り立てるこの感情は、『憎しみ』だったんだ。」

など、それがあるいは「悲しさ」であれ、「寂しさ」であれ、仮にどのような名前がつけられるモノであったとしても、 それに適切な名前がつけられ、呼びかけられたときに初めて、その支配から逃れることができる。

それは解決でもなく、完治でもない。

ただ、初めてそれと対等に向き合うことができるようになった、というだけのことであるが、 捉えようの無いモノに取り憑かれてしまった人にとって、そこからようやく進み始めることのできる一歩というものがある。


ただ、それが難しいと言えば難しい。

「呪い」というものは必ず、かけられた者が「それを言うことができない」ように、かけられるものだからである(それが「呪いの構造」 である)。

それを言おうとすると、口がつぐんでしまったり、別の言葉になってしまったり、からだが勝手に(パニック)動き出したり、 失神してしまったり…。

その「呪い」が強力なものであればあるほど、私たちはますます「それを言うことができない」。

核心に近づくほどに、言いよどみ、混乱し、破綻し、絶句する。

基本的に、「名づけ」「解呪」するためには、呪いをかけた張本人か、あるいはそれをよく知る(と想定された)「他者」を必要とする。

それが治療家であれ、宗教家であれ、神秘家であれ、「呪い」を解くには「他者のおまじない」が必要なのである。


けれども実は「呪い」には二種類あって、今回の「言葉にならないモノに縛られる呪い」と、もうひとつは一見それと正反対にも思える 「言葉に縛られる呪い」であるのだが、その違いについてはまたいつか機会があれば…。

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2006年07月10日

地霊の饗宴・身土不二

録画してあった「情熱大陸」(TBS、 日曜23時放送)を観た。

前にブログで、 料理家辰巳芳子先生を取りあげた同番組について触れたことがあったが、今回も同じく料理人。

その名は奥田政行さん。

庄内に店を構え、庄内でその日に採れた食材を使って、ソースを使わず、塩とオリーブ油で食材の味を活かすようなイタリア料理を作る。

店の名前「アル・ ケッチァーノ」はイタリア語のようだが、イタリア語ではなく「あるけっちゃのぅ」という庄内弁だそうである。

『あ〜、そういえばこんな食べ物あ〜るけっちゃの〜』(@シェフのエッセー)という使い方をするらしい(笑)。


奥田さんは言う。

「魚って食べてるモノの味がするので、胃袋割って開けると、 何食べてるのか分かるんですよ。こういうのを探ると、どんな野菜と合うかってのが分かるんですよ。からだの中に持ってる香りなので、 似たような香りのモノを合わせる事によって味が倍増するんです。」

そうして朝、港の市場で手に入れたヒラメの胃袋から出てきたイワシから連想して、またヒラメに合う野菜を探しに、野山へと向かう。

奥田さんは、生えてる野草をむしゃむしゃ食べたりしながら、野草を探す。

「ヒラメに合う野草がありました。さっきのヒラメ、イワシの味がしたんで。」

と奥田さん。

スタッフがその野草の名前を訊ねると、

「名も無き野草です。食べるとイワシの味がする」(笑)。


奥田さんはメインとなる肉についても、牧場まで足を運び、羊が食べている牧草をおもむろにむしゃむしゃ食べるくらい、 素材とそれが食べているものの味を自らの舌で確かめる。

とにかく観ていると奥田さんは何でも食べる。

山へ行っては野草をかじり、海へ行っては海藻をしゃぶり、畑でかじって牧場でかじって、とにかく食べてその味を知り、味による「物語」を一皿に込める。La Collaborazione.

野草をかじって「ここの水の味がするんです。」という奥田さんの作り出す料理は、土地の力を目いっぱいに受けている。

そこから生まれる料理という「物語」は、喩えるならばその土地ならではの「民話」と呼ぶのにふさわしい。

まさに「身土不二」。 「地霊(ゲニウス・ロキ)の饗宴」だ。


う〜ん、すごいなぁ。

私も何につけ、自分のからだで実感しないと納得しないタイプであるし、場や直感というものを何よりも大切にするタイプであるので、 奥田さんのその姿勢にはとても共感してしまう。

ひとつひとつ自らのからだでもって確かめながら、その感覚から生まれてくる道筋に沿うように、 流れに乗せるように素材を順序よく丁寧に並べてゆく。

そのとき奥田さんはもしかして、辰巳先生の言う「我が落ちた」のに近い状態にまで至っているかもしれない。

「素材が私を通して出会いを果たす。」

そんな感覚にも似ているのではなかろうか。


「私たちは幸いなことにね、ものと物事に向かってゆくときに、自分というものを引っ込めなきゃならないでしょ。ね? ものにしたがっていくんだから。そのときは、脂の乗っている魚に向かっていくときはね、そのようにしなきゃダメなのよ。ということはね、 だんだん本当を言うと料理人はね、「我(が)」が落ちるはずなんですよ。それで我が落ちるとね、だんだん仕合わせになります。 そして人の命に仕えることができる。ということはね、善い道だと、私は仕合わせな道だと思うのね…。」
(@辰巳芳子)

前にも載せた辰巳先生の珠玉のお言葉であるが、今一度、心に刻みなおしておきたい。

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2006年07月09日

学生たちの来訪に舌好調

学生たちがぞろぞろと我が家へやってきた。

「お邪魔しまーす。」という声とともに部屋へ上がりこんで来たのは、 この春新しく入った一年生3人を含めて全部で7人の学生(あとからプラス1名)。

人口密度が急激に高まった部屋は熱気がムンムンである。

来て早々、いきなりMくんに「これどうぞ」と言って、絵本をプレゼントいただいた。

「フェアトレードのお店で見つけましたが、フェアトレードな物かどうかは保障できません。」 といきなりよく分からない宣言をおごそかに告げられたが、開けてみると素敵な絵本。

『なみだ』。

ありがとうね。その気持ちが嬉しいよ。ほろり。

あとでじっくり読ませていただくよ。(Mくんありがとう、いい物語だった。)


さて、ではさっそく料理をテーブルに並べよう。

みんなの持って来てくれた一品料理と私の用意した料理をテーブルにずらずらと並べてゆく。

お皿を出したり、料理を運んだり、一年生の3人がまめまめしく気を使って動こうとしているそのさまが、見ていて初々しい。

「白髪ネギ切って」とか「ヌカ漬け切って」とか「角煮盛り付けて」とか一年生にお願いして、 言いつけを何とかこなそうとして一生懸命なその様子を、そわそわしながら見つめる。

やがて、私の作った角煮やピータン豆腐に加えて、彼らがもってきた焼きそばやら豚キムチやらがテーブルの上に所狭しと並び、 豪勢な食卓ができる。

全員が席に着いたところでビールをもって乾杯。 Cheers!

さっそくわしわしとみんなで料理にがっつく。

わしわし。

角煮は、ふと思いたって最後にお酢を加えて煮立ててみたのだが、なかなかいい感じ。

酸味が加わるとサッパリとして、突然箸が進みやすくなるから不思議。


新入生の出身地話などローカルネタで盛り上がりながら、ビール、梅酒、日本酒とカパカパ飲んでいたら、彼らの先輩Sさんより 「ブログに書いてあった『共通言語』って何ですか?」という質問を受けた。

ん? それは「人と動物をつなぐ言葉」 のところで書いたことかな?

よろしい。聞かれたからにはお答えしよう。

それはね、何が言いたかったかって言うと、みんなで共通の一つの言葉を作りましょうって、そういうことじゃなくてね、 みんなそれぞれが語る言葉の違いの持つその豊穣性を損なうことなく語り合えるための「言葉の場」作りっていうのかな、 そういうことが言いたかったんだよ。

たとえばそれはつまり、「ボクたちは同じ言葉でも違うことをイメージしてるよね。」という共通了解だったり、 「ボクはこういうつもりでこの言葉を使っているんだ。」というアピールだったり。

言ってしまえば当たり前のことなんだけど、当たり前であるがゆえに忘れがちなんだよね。

ボクたちは会話をするときに、どんな人間であっても「一つの言葉からは一つの概念を同じように想像する」 という前提の下に話をするわけだ。 その前提なくしてはボクたちはまったく語り合えなくなってしまうからね。

でもそれはよく考えてみると実は原理的に不可能なことなんだよね。 だってその言葉の背景である経験は人それぞれ違うし、 脳みそも違うんだから。

その、言葉に対する個々の認識の違いから生まれるズレというのは、なかなかお互い気づきづらいがゆえに、 根本的な誤解を残したまま対話が進んでどこまでいっても平行線、という生産性のない「対立構造」を呼び起こしやすいんだけど、 そういうことって世の中ホントに多いんだよね。

「ボクたちみんな違うよね。」という共通了解を繰り込んだ「他者との対話」。「コミュニケーション場」。

そういうものを立ち上げて、専門化しすぎて「バカの壁」に囲われてしまいがちな現代科学のピットフォールに、 縦横的に風穴を開けて相互に交流しやすくするということ。自分を括弧に入れて相対的に捉えるメタな視座を構造として作りあげるということ。

そういうのがこれからホントに必要なんだと思うんだよ。


などと、そんな話を熱く語っていると、みんな真面目にふんふんと聞き入っている。

学生たちはみな大変素直で良い子である。


そして話はなぜかそのまま携帯電話の話になる。

「今、君たちはみんな携帯持ってるの?」と聞くと、全員持ってると言う。(まぁ、そうだろうね。)

そこでさらに一年生に、いつごろから持っているのか訊ねると、みな中学高校辺りからすでに持っているとのこと。

なるほど。

けれども学生たちの話を聞くと、みんなが携帯を持つことで、メールや電話で用事が済んでしまうので、 顔を合わせての話し合いが減ってきてしまうということのジレンマに悩んでいるようである。

そうだろうねぇ。 それは君たちの世代の「新たな問題」だね。


携帯の普及は、待ち合わせに際して「だいたい何時くらいにこのあたり」なんていうテキトーな指定だけしておいて、 近づいたところで携帯を使いながら「今どこ?」「手ぇ振って」「ああ、いたいた」なんて形で合流するという、 昔では考えられなかったピンポイントランデブーを可能にしてくれた。

それぞれの人間がスタンドアローン(独立)でありながらゆるやかに繋がっていられる、ということがどれだけ強力なことであるか、 携帯がもたらした利便性は計り知れない。

けれども、そのお互いの自由度を束縛しない形でゆるやかに繋がれるという、長所であるまさにその部分が「新たな問題」をもたらす、 ということもまた確かである。

「ときどき携帯を捨てたくなる」なんて言いながら、学生たちはまさにその渦中にいて、悩んでいる。

なるほど。よく分かるよ。

でも、世の中は確実にそのような「個人化」の方向へ、「ユビキタス社会」へと向かっていくだろうから、避けては通れない課題だろう。

私の頃はまだ、もっとダイレクトなコミュニケーションをしていたけれど(呼び出し電話だった!)、携帯が普及した今となっては、 どこにいてもどことでも繋がれる「スケールフリー・コミュニケーション」の占める割合はかなり増えたし、もっともっと増えるだろう。


それとどう付き合ってゆくか、どう扱ってゆくかは、これから「新たな問題」として考えていかなければならないことだ。

携帯を持つことで逆に生まれうるであろう「ディスコミュニケーション」の可能性(非言語メッセージの脱落、 関心相関性によるすれ違いなどなど)を、わずかながら示唆しつつ、自分たちでいろいろ考えて解決法を探してみなくちゃね、と説く。


とそんなことをしゃべっていたのだが、舌が回転し始めると、加速度をつけて急回転し始める私はそのあともベラベラとしゃべりが止まらない。

異邦人を招き入れるということ、自分の物語(自分史)を語るということ、物語がほころび始める瞬間、ファンタジーと人間の心象風景、 『ゲド戦記』における「本当の名前」を呼ぶことの意味、陰陽師の「呪(しゅ)の構造」、ある閾値を越えた瞬間に訪れる創発現象、百匹目の猿、 シンクロニシティー、ベキ法則、ケビン・ベーコン・ゲーム、6次の隔たり、自己組織化するネットワーク、量子テレポーテーション実験、 シュレーディンガーの猫、量子論における観測者効果、ゲーテ的自然観察法、時間軸を加えた四次元的観察法、流れを捉えて波に乗るということ、 そこから生まれる予感の感覚、あがくと溺れゆだねると浮かぶ、…etc.etc。


まるで言葉が口からほとばしるようにしゃべりまくっていたら、気が付けば空も白々と明けてきている。

おお、鳥のさえずりが…。

もう始発も動き始めているだろうし、そろそろお開きにしようということで、みんなで一緒にガチャガチャと片づけ洗い物をし、 駅へと向かうみんなを見送る。

じゃあね。みんな来てくれてありがとう。

今度はぜひこちらから乗り込んでゆくから、お望みどおり「自分史」を語ってもらおうか。フフフ。

「人の背景を共有する」という感覚を、ぜひとも感じていただこうじゃないの。

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2006年07月06日

典座の愉悦

今週末は学生たちがやってくるので、何かおもてなしの用意をせねばならない。

何を作ろうかといろいろ考えたが、今週は忙しいのでとにかくじっくり時間をかけて煮込みさえすれば美味しくできる「豚の角煮」に決定。

新入生を引き連れて8人くらいぞろぞろやってくるという話なので、食べ盛りの若者たちのために国産の豚バラブロックを1,5kg用意。

あとは、玄米ご飯と、愛しのヌカ漬け、ピータン豆腐、オマケの箸休めに赤だしの味噌汁。

まぁ、そんなもんで十分だろう。みんな一品ずつ持ってくるって言うし。(多いかな…?)

梅シロップは今からじゃ間に合わないから、残念ながら今回は見送り。
(収穫したばかりの梅を、私のヌカドコと物々交換で手に入れたのである。)

そのかわり、貰い物の絶品梅酒を振舞うことにしよう。

この絶品梅酒、ホワイトリカーを使わずに、梅と氷砂糖だけで自ら発酵してお酒となった天然梅酒で、5年物だそうである。

その譲ってくれた方は、もともと梅シロップを作るつもりで漬けたそうなのだが、放っておいたら勝手に発酵しはじめてしまい、 意図せず梅酒となってしまったそうで、そのまま手をつけられずに5年(笑)。

いよいよ処分しようとしていたところを、「もったいない」と母が譲り受けてきたのだけれど、利いてみたら、これまた美味。  小瓶に移し変えて分けてもらったのである。

ちょっと飲んじゃったけど、これも振舞おう。


さてさて、じゃあ角煮でも作ろうか。

今回の角煮は、なんとなく和風に煮干しでダシを引いてみようと思い立ち、さっそく煮干しを買ってきて、一つ一つ頭をむしっては、 はらわたをざりざりと削ぎ落とし、鍋に放り込んでゆく。

むしむし…。 ざりざり…。

…ハッ?! 忙しいから角煮にしたはずなのに、気づけば面倒なことをまたやってしまっている。

まぁいいか。可愛い後輩たちのためだ。

辰巳先生は、これをさらにミキサーで粉末状にして使っていらっしゃったが、ミキサーがないのでスタンダードにそのままダシをとる。

水に30分ばかり漬けた後、火にかけ沸騰してから中火で5分。

かぐわしい香りが部屋中に広がる。


次は肉の仕込み。

立川の刃物屋「きくや」でさんざん悩んで手に入れた愛刀「きくや丸」をスラリと取り出し、 まずはその美しく浮かび上がる刃紋を光にかざしてじっと見つめて心を集中。

「うむ。」という気合とともに、目の前にデンと構える1,5kgの肉のかたまりをスパスパと斬り刻む。

スパスパッ!

肉のかたまりを次々と5cm四方のブロック状にしてゆき、最後に清めの塩コショウを振って供養。南無。

さらにその肉をフライパンで火にかけ、軽く焦げ目を付けたあと、出汁の入った鍋にポイポイと投げ入れ、そこに日本酒を加え、 シンプルに青ねぎと生姜だけ加えて、コトコト煮込む。

コトコト。

あとは明日、若喜商店の手作り醤油と石坂商店のもとだれで味付けをして、 さらに煮込んで完成だ。

よし。


一仕事終えた私は、コトコトと音を立てる鍋の前に椅子を持ってきて、浮かんでくる脂を丁寧にすくいながら、あとのすることを考える。

え〜と、あとはヌカ漬け用の野菜を買ってきて…。豆腐も買わなきゃ…。お酢も切れてたな…。そうだ、 箸休めの味噌汁のダシも改めて引かなきゃな…。赤出汁は煮干しダシに限る…。具はシンプルに豆腐とネギ…うむ。 でもやっぱりピータン豆腐はラー油があったほうがいいかなぁ…。ビール足りないよなぁ…当日でもいいか。あ、掃除もしなきゃ…。 ミュージックもチョイスしておいて…。 ……。 ……。

どこまでも空想は広がり、もてなしの愉悦に感じ入る。 これぞ典座の醍醐味。

フフフ…。

来やがれ…。

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2006年07月04日

韓国よりの来訪者

今日、新宿のジュンク堂書店の喫茶店でコーヒーを飲んで、お代を払おうとレジに行ったら、「公衆電話はどこですか?」 と店員に尋ねている人がいて、ふとその顔を見たら高橋巌さんだった。

「あ、イワオさんだ。」と思いながら、高橋巌さんを一目見てそれと分かる自分自身に、我ながらマニアックだなぁ、と苦笑い。

(ちなみに高橋巌さんは、シュタイナー関連の翻訳者の第一人者。 大学時代に朝日カルチャーセンターのシュタイナーの講座に出ていたので、お顔を知っていた。)

昔、私が高橋さんに会った頃はまだ韓流ブームのかけらも無い頃であったが、高橋さんは「語学を勉強するなら韓国語がいいですよ。」 と勧めていた。

文法が日本語と似ているからという理由だった記憶があるが、まさかこんなブームが到来し、 中高年の女性方が熱心に韓国語を勉強し始めるとは、さすがに思いもしなかっただろうなぁ。


ところで、前に私は、部屋に二人の韓国の学生を泊めたことがある。

彼らは、数年前の夏のある夜、突然私の家にやってきた。

ピンポーンとなった呼び鈴に「誰だろう?」と玄関まで行った私の前に立っていたのは、薄汚れた格好にサンダルを履き、 背中にはテントを縛り付けた大きなザックを背負い、学生の面影を感じさせる顔立ちにちょっと疲れた表情を見せた、彼ら二人の若者であった。

いかにもバックパッカーという風貌の彼らは、メモを片手に片言の日本語で、「泊まる場所を探してます。庭にテント立ててもいいですか。 」とちょっとためらいがちに私に言った。

人を見た目で判断する私はパッとその汚れた風貌を見て、「こいつらは大丈夫(笑)。」と判断し、「せっかくだから部屋に泊まりなよ。」 とそのまま部屋へ上げた。

そして、英語、ハングル、日本語まじりで酒を酌み交わしながら、いろんな話をしたのであるが、聞くところによると、 彼らは飛行機で成田に着いてからヒッチハイクで大阪まで行くつもりが、なかなか先へ進めずに東京23区内を抜けられないまま、すでに5日くらい経過していると言う。

彼らは、公園にテントを立ててもすぐ警察が来て「ここにテントを立てちゃダメだ。」と言われて追いやられ、 お寺にテントを立ててもいいかと聞いても断られ、と日本に来てから苦労ばかりしているということで、私もなんと言っていいのか分からず 「う〜ん。みんなやっぱり知らない人は怖いからね。」と答えることしかできなかった。

彼らも「それは分かっている。」と、寂しそうに頷いた。

けれども、日本に来て初めて私が部屋に上げてくれたこと、初めて畳というものを見た上に、 今夜はその上で眠れることなどを嬉々として語り、その喜んでいる二人のさまを見ながら、彼らを迎え入れて良かった、と心から思った。

次の朝、私も仕事に行かなくてはならなかったので、彼らを起こしてともに家を出たあと、近くのコンビニでおむすびなど適当に買って、 彼らに「これ朝ごはんにでも食べて」と餞別代りに渡して、「よい旅を!」と言って駅近くで別れた。


そんな、いかにもバックパッカーという風貌の彼らが「泊まるところを探しています」と私に告げたとき、 私の脳裏に最初に浮かんだのは、かつての私自身の姿であった。

旅先で呆然と立ち尽くす私の姿であり、そんな私を助けてくれた名も知らぬ人々の顔であった。


私は19歳の夏に、自転車で、鹿児島から北海道まで日本列島縦断の旅をした。

自転車を輪行バッグに詰めて、晴海埠頭から、フェリー、汽車と乗りついで鹿児島まで行き、そこから延々と北へ北へ、 ひと月ばかりかけて北海道稚内にある日本最北端の碑まで、キコキコと自転車を漕いでの一人旅である。

当時所属していたサークルの農業実習合宿の場所が岩手県だったので、そのまま合流するつもりの予定だったのだが、 炎天下の走行の予想以上の辛さに「しまった。さっさと終わらせよう(笑)」と思った私は、かなりの速度で北上を続け、 結局その合宿の始まる直前に最北端まで到達してしまった。

完走したのが合宿のはじまる前日だったので、最北端の碑に到着するや否や稚内駅まで舞い戻り、自転車を解体してペリカン便に預け、 最終列車に飛び乗って岩手の山奥までとって返し、そのままさらに2週間、 農家に行って豚や牛の世話をするという強行スケジュールとなってしまった。

お世話になった農家では朝からどんぶり4杯お代わりしたりして、農家の方には「オマエ飢えてるのか(笑)。」 と呆れられるほどバカバカ食べたが、やっぱりひと月以上の強行軍に疲労困憊し、からだはそれだけエネルギーを欲していたのだろう。

思えば、あの合宿ほど、「眠気との戦い」だった合宿はなかった。

子豚の去勢をしながら意識が朦朧として自分の指を去勢しそうになったり、 山に材木を採りに行くトラックの助手席で運転席のハンドルまで倒れ込んだり…。


まぁそれはともかく、河原や空き地にテントを張ってコッヘルで自炊しながら寝泊りし、 ときどき追いかけてくる嵐から全力で漕いで逃げたりしながら(けっこう逃げ切れる)、延々と北上してゆく日本縦断の旅は、 とにかくいろんな方々にお世話になった旅でもあった。

家に泊めてもらうということまではなかったけれど、動かなくなった自転車を軽トラに載せて運んでくれたGSのお姉さんや、 「これ食べてがんばってね!」と自分のお弁当を私に持たせてくれたおばあちゃん、畑でもいだばかりのトマトを「うまいぞー!」 と言って山ほど分けてくれたおじさん、「ガンバレー!」と観光バスから手を振って応援してくれた子どもたち。

私は、何の生産性もないただ自分のやりたいことをわがままにやっているだけであるにもかかわらず、 ホントに多くの方々の応援をいただいた。

「若いのに偉いねぇ」なんて言われるたびに、「全然、偉くないですよ(笑)」と答えていたが、そのような言葉をかけていただけるのは、 思えばありがたい話である。


それが時を経て、海を渡りヒッチハイクでやってきた片言の日本語を話す韓国の学生が私の目の前に現れたとき、 そこに在りし日の私の姿を重ねてみたとして何の不思議があろう。

それはつまり前回述べた、 私の「胸の紋章」がまばゆいばかりの光を放ち、「君の番だ。」とお告げを述べた瞬間なのである(笑)。


彼らがそのあと無事に大阪まで行けたのかどうかは分からない。

けれども少しでも彼らが、日本という国に良い思い出を作って韓国に帰って欲しいな、と心から思った。

いつか彼らが日本という国を思うとき、おぼろげではあっても、たとえば私やその他の日本人の「顔」が「懐かしさ」とともに思い浮かぶ、ということがあれば、個人としてはもちろん、日本人としても私はどれほど嬉しいことだろう。

その国の人の「顔」が「懐かしさ」とともに甦るという事が、 どれだけ両国間に起こりうる不幸な出来事の抑止力として働くことになるか知れない。

私個人はそんなことを考えて、彼らに接していたわけではないけれども、そのような小さな積み重ねがもたらす 「見えないがしかし確実に存在する力」は、遠い未来の私たちの子孫の仕合わせにも確実につながっているはずだ。

積み重ねられた小さな力は一番強い、と私は思う。

posted by RYO at 20:55| Comment(11) | TrackBack(2) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月01日

座して待つ!

最近、いろんなところで「湿気に中って息が浅くなって、食物に中って人に当たる」という話をしていたら、ふと昔のことを思い出した。

大学を卒業して1、2年くらいたった頃だろうか、久しぶりに大学時代の仲間で集まったときのこと。

お店で一次会を終えた後、近くに住んでいた同期の仲間のマンションにみんなで移動して、また飲み始めた。

知己に会うて飲む酒に杯はみるみる干され、だいぶ飲みすぎてしまった私は、ふらふらとしながら久しぶりに会った先輩と話していた。

やがて、何がきっかけだったのか、だんだん感情が昂ぶってきた私は、話していた先輩の胸倉をつかんで床に押し倒し、 上から覆いかぶさるようにして、

「ちゃんとやってんですか!全力でやってんですか!」

とかなんとか叫びはじめた。

そのとき周りの人間がどうしていたのか、私の記憶にはない。

おそらく私をなだめようとしていたのであろうが、ひとたびスイッチが入ると猪突猛進型の私は、周りが目に入ることも無く、 途中で止まるということも知らない。

(そういえばかつて知人が、そんな私を称して「T-レックス(ティラノザウルス)」とか呼んでいた。 ちなみに私のスイッチが起動するのは「人生に3回まで」(笑)と決まっているので、滅多に入ることはないのでご安心を。※ただし「素面」 時のみ保証。)


そのとき私が激昂したきっかけは、その先輩というよりもむしろ、私のほうにあった。

もはや記憶も定かでないのだが、その頃の私はたぶん己の無力さのようなものに打ちひしがれていたか、 漠然とした将来への不安のようなものに摂り憑かれていたのだと思う。

自分のもやもやした不満を、本来関係のない先輩に甘えて吐き散らかしていたのである。

たぶん私は泣いていた。

「お前はちゃんとやってんのかー!」という己への思いを、自らに向けるだけの根性が無かったへなちょこな私は、 泣きながら先輩にぶつけていたのだ。


つぎの朝、眼が覚めたあとに、二日酔いでガンガンする頭をフル回転させながら、昨夜の出来事を必死になって思い出した私は、 「先輩に謝らなくては…」とずるずると先輩の元へと行き、「昨日はスイマセンでした…。」と陳謝した。

すると、朝まで飲み明かしていたであろう先輩は平然と「おお、いいよ。大丈夫か?今日は。」とあっさり返したばかりか、 私の容態までも気遣ってくれたのである。

そして、おでこのコブをさすりながら「頭がいてぇ…」と笑ったので、私もおでこを触ってみたらコブがあったのを今でも覚えている。


自分の鬱屈した不満を、何の関係もない先輩に当り散らすような、甘ったれたお子ちゃまに対して、 胸倉つかんで床に押し付けながら詰問してくる傍若無人なふるまいに対して、その眼をしっかり正面から見つめ返しながら、 「オレはちゃんとやってるよ」と真剣に答えてくれた先輩。(それだけはしっかり覚えている。)

その先輩の姿勢に、私は大人とはどういうものであるのかということを、今さらながら痛感している。

酔っ払って自分の上に馬乗りになって、胸倉つかんで頭突きをかまして、 唾を飛び散らせながら自分とは関係ない不満をわめき散らしてくる若輩者のいちゃもんに対して(しかし酷いな…)、 まっすぐ眼を見て正面から受け止めることのできる人間が、いったいどれほどいるだろうか。

天文学的にはわずか数年の差しかないその先輩と私の年齢差は、精神的に見ればはるかな隔たりを挟んでいた。

誰がなんと言おうが、私にとってその先輩は「大人」であった。

そのとき、私は「大人」に出会ったのである。


「お前が殴ったとしても、オレは殴らない」「あなたが責任を負わなくても、私は責任を負う」という「平等性の放棄」の宣言、その「私だけ」 が引き受ける責任のうちに「人間性の尊厳」がある、と大哲学者カントは述べているが、それこそまさに「人間」であり「大人」であると思う。

先輩にかけがえのない贈与を受けながら、私はそれを直接返すことができないということ。

その不平等な関係性による居心地の悪さを、少しでも解消するために私にできることは一つしかない。

つまり私はやがて、暴れ狂う無礼な若者の前に屹然と立ち、その思いを正面から受け止めなければならないことを、 宿命として刻印付けられたのである。

私はすでに、あまりにも多くの「返すことのできない贈与」を貰いすぎており、それを返していくためには私が贈与者となって、 次世代へと贈り継いでゆくしかない。

もちろん、いまだに戴くモノもあまりにも多いと言えば多いのであるが、そろそろ私もどんどん贈っていかないと、 死ぬまでに勘定が合わなそうな気がして仕方がない。


というわけで、おもむろだが、学生諸君。

君たちが、そのうちに秘めた御しきれない衝動を発散させようとして、その矛先を私に向けてきたとしても、 私はそれを正面から受け止める準備はすでにできている。

…かといって、決して「私に殴りかかること」を推奨しているわけではないので、それだけはあらかじめご了承願いたい。 いや、 ホントに。

けれども、そうして私が君たちに、「返すことのできない贈り物」を授けた暁には、君たちもまた、 私と同じ宿命が刻みこまれるということを、心しておいて欲しい。

やがていつか君たちがもうちょっと大人になった近い将来、君たちの前に暴れ狂う若者がやってくるかもしれない。

君の前で押さえきれない衝動に暴れ狂う若者をなだめながら、その光景に君たちは「いつかどこかで見た光景」 を重ねて見ることになるだろう。

そのとき、君の胸に刻まれた「宿命の紋章」がまばゆいばかりの光を放ち、おごそかに君に告げるのだ。

「君の番だ…」と(笑)。


君たちの来訪を愉しみにしているよ。

posted by RYO at 23:56| Comment(14) | TrackBack(1) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする