2006年02月27日

「老化するお金」は御足が速い

この前の記事で、 「良い通貨」とは「素早くめぐるモノ」である、と書いた。

貨幣とは基本的に、モノとモノの交換を媒介するメディア(媒質)であり、 経済が成り立つためにはその交換が素早くスムーズに行なわれることが大切なのである。

というと、田舎でのんびりスローライフといった「ロハス的生活」を目指す方々の反感がありそうだけれども、 交換が素早くスムーズに行なわれることと、いわゆる「経済成長」は必ずしも関係しない。

田舎でも、メディア(お金)をあいだに挟まない直接交換(結とか講とか)は活発であるはずである。

それはメディアをあいだに挟まないというだけのことで、GDPとかその他なんとか指数といった数値的なモノには計上されないけれども、 それらも立派な経済活動である。

というより、そのような「見えない経済活動」が本来の経済活動である。

(考えてみれば、この「見えない」という表現は統治者からの視点であって、私たちからすればもっともよく「見える」活動である。 統治者からすると課税できないのでたいへん嫌うけれども。)

とにかく貨幣とはそもそも「交換」を媒介するモノであり、さらには「交換を促す」ためのモノでもあるので、だから「良い通貨」 とはどんどん交換されてゆく「素早くめぐるモノ」なのである。


原始経済がはじまり、貨幣というものが誕生して以来、人は貨幣をその目的から「交換性」 を促すための機能を備えるように造り上げてきた。

「交換性」を促すための機能とは何かというと、まず「貨幣そのモノに使用価値を持たせない」ということである。

たとえば、もし、紙幣が「極上の絹のような肌触りの二枚重ね」でできていたとしたら、その触り心地の気持ちよさのあまり、 それで尻を拭いたり、鼻をかんだりしてしまう人が続出してしまうかもしれない。

それではメディアとしての貨幣の役割を果たすことにならない。

…なに?そんな奴はいない?

別に喩えは「脂とり紙」でも「スルメイカ」でも何でもいいのであって、そこはみなさんご勝手に想像していただければよろしい。

とにかく貨幣そのモノに使用価値があると、貨幣が消費対象となって交換が滞ってしまうのでたいへん困るのである。

だから、国によっては貨幣をそのまま使用して交換不可能な状態にしてしまうことは、法律で禁止されている。

(燃やして暖をとったり、計算用紙にしたり、酒のつまみにしたり、尻を拭いたり、鼻をかんだり…)

貨幣そのモノは、持っていても何の役にも立たないからこそ、何か役に立つモノと交換することを促されるのである。

貨幣は「何かと交換できる」というそのことだけに価値があるのである。


それゆえ貨幣には古来より、貝殻、骨、石、金など、それ自体にはあまり使い道がないモノが選ばれてきた。

「金は装飾に使ったりして使用価値があるじゃないか。」とおっしゃるかもしれないが、金はその独特の性質により、 貨幣として最も適しているので古来より世界中で使われているのである。

たしかに昔から金はさまざまな装飾品などにも使われ、形を変えて利用されてきた。

しかし、金は溶かせば元通りになるのである。

つまり金は、いくら使っても(加工しても)元通りにできて使用不可能な状態にならない。

金の「いくら使っても価値が変わらない」という性質。

それゆえに金は貨幣として最適な性質をすでに備えているのであるが、一部の金持ちが「使いっぱなし」にして「元通り」に戻さない、 ということをしてやっぱり交換の流れを断ち切ってしまうので、貨幣として流通させるには問題が残る。


とにかくそのように、人は貨幣それ自体に使用価値を持たせないことで、それを持つ人に「交換すること」を促し、経済活動を活発にさせてきた。

通貨は「人の間」を素早くめぐり、通り抜けていくことで、人々をつなげ活性化させる「働き」をするのである。

(そしてそれは電気も、空気も、水も、言葉も、愛情も一緒である。 )

けれども、現在の貨幣システムには「交換することを促す」のではなく「退蔵することを促す」システムがある。

貨幣の「価値が不変」という「無時間モデル」から生まれた概念であり、「交換」にブレーキをかけ「退蔵」を促す装置。

それが「金利」である。


モノはふつう持ち続けていると、傷み、腐り、価値が減っていく(減価償却)。

けれどもお金は持ち続けていても、価値が減らない。それどころか「金利」によってお金がお金を生み、自己増殖してゆく。

貨幣はそれ自体には使用価値のない「象徴」であって、その価値はそこに内在している「交換可能性」という「情報」であるので、「時間」 の流れとは関係なく存在し続ける。

交換し合う「物」は時の流れとともに劣化し消えてゆくのに、その媒介をする「貨幣」だけは劣化することなく存在し続ける。 しかもその価値を増やしながら。

「物」は消え、「貨幣」だけが残る。

だから、「物」を持つ(生み出す)人間より、「貨幣」を持つ人間の方が力を持つことになる。

とってもとっても奇妙なことである。

「金利」という概念については、古来より、アリストテレスやらムハンマド(今、渦の中心ですな)やら多くの人たちが 「そういうことはイケマセン。」と言っているにもかかわらず、未だに存在し続けている。

なんででしょう?

(ちなみにアラブの方では「利息を取っちゃイケマセン」という教えを大切にして、銀行では無利子無利息だと聞いたことがあるけど、 確認してないのでホントかどうかは知らない。どなたか知ってる人いますか?)


実際、私たちの労働のおそらく何割かは金利支払いのための労働である。

それは個人的に借金しているかどうかは関係ない。

企業が設備投資のために銀行や資産家から融資を受けると、当然その返済には金利が発生するので、 その支払いのために企業は製品の価格に金利分を上乗せせざるを得ず、結局そのツケは消費者に回ってくるのである。

「流れ」が富める者へと向かうようにシステムが構築されている。


それを「このままじゃイカ〜ン!」と声を上げた経済学者がシルビオ・ゲゼル(⇒Wiki)である。

ゲゼルは、ちょうど血液が体内を循環した後、老化して排泄されるように、お金も経済プロセスの終わりには消滅すべきだと考えていた。

ゲゼルは、ほかの物と同じように時間とともに価値が減ってゆく「老化するお金(エイジングマネー)」というものを提唱したのである。


と、ここまで書いたけれども、金利とエイジングマネーについて書くと、また長くなってしまいそうなのでまた今度にする。

…ってまた、中途半端だなぁ。いつものことだけど。

まぁ、とにかくですね、

「御足」は「足が速い」ことが大事、ということですね。

(野暮註、【御足】:お金。【足が速い】:素早くめぐる。傷みやすい。)

posted by RYO at 23:55| Comment(5) | TrackBack(1) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月26日

信頼されるのが「良い通貨」

昨日は 「『強い通貨』ってなんだろう?」と思い悩みながら(5分くらい)、眠りについたのだが、今朝起きて、布団の中でモゾモゾとしているときに、

「あ、そうか。『強い』ということの定義を、『皆の欲するモノ』とするからおかしいんだ。」

と気がついた。

「皆が欲する」のは、それは結果であって、そのまえに「欲する理由」があるはず。

じゃあそれはなんだろうかと考えてみたら、それはやはり「信頼性がある」ということである。

昔、「円」が強かった頃(って今でも強いのかな?)、海外の観光地を歩いていると、物売りたちがみやげ物を見せながら 「センエン(千円)!センエン!」と声をかけてきて、日本よりはるか遠い地でも「円払いOK」という事実に、我が国の通貨「円」 の強さをまじまじと感じたものであった。(「まじまじと感じる」って言わないか。ふつう。)

それは「円」の信頼性が高かったからである。

(貨幣が基本的に「信用券」であることを忘れていた。)

より多くの人の信頼を勝ち得た貨幣、それが「強い通貨」である。

きわめて小さな集団の中でしか信頼されていない「弱い通貨」は、他所にもっていっても、「こんなの使えないよ。」と断られてしまう。

逆に世界中どこに行っても、その価値が信頼される「強い通貨」はその汎用性の高さゆえに、できれば人はその通貨での支払いを望む。

「みんなの信頼する通貨」を人は「欲する」のである。

そして「みんなが欲する」から、その通貨は「強い」のである。

(昔行ったカンボジアでも、国の通貨であるリエルよりもドル払いの方が歓迎された。 大きな金額をリエルで支払おうとしたら露骨にいやな顔をされたものである。)


より多くの人に信頼される通貨、それが「強い通貨」だとしたら、それなら確かに「良い通貨」と言ってもいいかもしれない。

そうすると「不快」という通貨は、信頼性に乏しく、汎用性の低い「弱い通貨」であることが浮かび上がってくる。

小さな閉じられた集団内では有効かもしれないけれど、社会に出たとき、その通貨を受け取ってくれる人は少ない。

そんなお金を大量に抱えてみんなが言いなりになる金持ち気分でいる若者に、

「そんなお金を見せびらかしたって、社会に出たら誰も受け取ってはくれないよ。」

と教えてあげることも大切なことであろう。

さらに、

「キミよりお金持ちの人がきたらキミはどうするの?」

と訊いてみることもよい。

「自分より強い『不快』をばら撒く『金持ち』がいるかもしれない」ということを想像させることは大切である。

「キミはつねに『受益者』とは限らず、いつ『負債者』になるか分からないんだよ。使うのにもっと『良い通貨』があるとは思わない?」

と。

「信頼」がお金の価値を担保する。

もしかしたら多くの「信頼」を得た者を、ホントは「裕福」と呼ぶのかもしれない。


ふぅ、なんとか不時着くらいはできそうだけど、でも、これじゃまだまだ遭難だな。

「素早くめぐるモノ」が置いてけぼりだ。

やれやれ。

posted by RYO at 09:52| Comment(13) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月25日

「強い通貨」?「良い通貨」?

内田先生がブログで「不快という貨幣」と題して、 またトリッキーな言論を披露している。

これはまた読む者を触発しそうな内容だなぁ、と思っていたらやっぱりコメントもトラックバックもワンサカ来ている。

ハハハ…。もしかして内田先生、それを見てニヤニヤ笑っていたりして。


『貨幣を知るより前に、彼らは家庭内で「労働価値」 をはかる貨幣として何が流通しているのかを学んだ。
現代の子どもがその人生の最初に学ぶ「労働価値」とは何か?
それは「他人のもたらす不快に耐えること」である。
こう書くと驚く人が多いだろうが、考えてみると、まさにこれ以外にないのである。
現代日本の家庭内で貨幣の代わりに流通させているもの、そして子どもたちが生涯の最初に貨幣として認知するのは 「他人が存在することの不快に耐えること」なのである。』
内田樹の研究室: 不快という貨幣』より抜粋


誰がつけたか知らないが、人間とは「人の間」と書く。

人間の本質とは「人の間」にあるらしい。

多くの「人の間」によって構成されるモノ、それが「人間社会」であると言ってもいいと思うけれども、人間社会において「人の間」 はつねに「何か」がやり取りされている。

「人の間」でやり取りされる「何か」は、あげればその種類は数限りなくあろうけれども、その中でも特に、ものすごい勢いで世界中の 「人の間」を駆け巡って、大勢の人を結び付けていくモノといったら「お金」であろう(でもすでに「人の間」じゃなくて「機械の間」だけど)。

「お金」は「貨幣」とも言われるが、その「運動」もニュアンスとして含めた言葉として、
「通貨」とも呼ばれる。

「通貨」とはもともと「流通貨幣」の略であるそうだから、「流れる貨幣」ということであるけれど、goo辞書によるとその意味するところは 「流通手段として機能する貨幣」であるらしい。

「流れるお金」が「機能するお金」であるならば、「流れないお金」は「機能しないお金」ということである。

確かにタンスにしまわれた1万円札は何の経済効果も生み出さないが、100人の手を渡った千円札は10万円の経済効果を生み出している。

なるほど、それゆえ「お金の危機」は、「通貨危機」であって「貨幣危機」ではない。

(「機能していないお金」がどうなろうが、誰も知ったこっちゃない。)


やろうと思えば私は莫大な「貨幣」を造り、発行することができる。

けれども私の造った「貨幣」など誰も受け取ってはくれない。

私だって要らない。

なぜなら私の貨幣(正しく言うならば「私」)など、およそ信用できないからである。

よしんば心ある親友が受け取ってくれたとしても、 おそらくその貨幣は私を相手にしてしか使われない(不良債権と化すかもしれないけど)。

私の貨幣を、誰か他の人のところに持っていって、

「これアイツんところに持って行けば一万円相当の品物と換えてくれるらしいぜ。」

なんて言ったって、おそらく誰も受け取ってはくれない。

「…オマエ、騙されてるよ。」

と、優しく諭されるだけであろう。

だから私の貨幣は流れない。通貨にはなりえない。

(そういえば日本の紙幣の紙面からいつのまにか「信用」の二文字が消えてしまったけど、いつからだろう? 昔は「日本銀行信用券」 だったのに、今はただの「日本銀行券」だ。ということは今、私たちは「信用」のないお金を使っているってこと? う〜む…。)


話がずれた。

橋本治さんは『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』(橋本治、集英社新書、2005)の中で「経済とは循環することである」 とおっしゃっているけれども、とにかく人のいるところ、必ず「何か」がやり取りされるわけで、それが「経済」の本質でもある。

「人間が経済活動をしているのではない。経済活動をするのが人間なのである。」とは誰の言だったか。

もし、内田先生の言うように、子どもが家庭内で「何」が流通し、循環しているのかを敏感にキャッチし、 その流れに参加しようということを、ほとんど無意識にやっているのだとするならば、まことに人間とは「経済活動をする生き物」である。

「人の間」を何が行き来しているのかを察知し、その「何か」の流通に進んで参加してゆく子どもたち。

まことに結構な事ではありませんか。

問題があるとしたら、

「あのね、これがお金というものなんだよ。これを示すと人が動いてくれるんだ。便利だろう?」

といって「不誠実なお金」の流通する社会を子どもたちに提示する、その社会の構成員たちだろう。

「怒鳴る」と人が動いてくれたり、「殴る」とお小遣いをくれたり、「泣く」と何でも許してくれたり…。

残念ながらその貨幣はけっこう「通用する」ので、確かに通貨となりうる。

「通用する」のであれば、通貨として皆が採用するのは当然である。

けれども「できるだけ『強い通貨』を採用したい」というのもまた人の性である。

だとするならば、「誠実」で「気持ちの良いもの」が「強い通貨」として流通する社会を、子どもたちには提示したいものである。

では、何を「強い通貨」とするかであるが、「強い通貨」と言われれば、それは「より皆の欲するモノ」であろうとふつうは思う。

けれども、貨幣の本質上、「良い通貨」とは「より素早くめぐるモノ」であるはずである。


…うん? …あれ?

「強い通貨」と「良い通貨」って違うの?

あれ? なんで? ねじれてるな…。

私の言いたいことが分からなくなっちゃったじゃないか。

4行まえの文章が要らなかったんだな。

でも書いちゃったものはしょうがない。

これから着地しようと思っていた滑走路を爆撃してしまった(笑)。

どうしよう? 誰か! 誰か滑走路を!

posted by RYO at 22:13| Comment(2) | TrackBack(4) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月23日

セレンディピティと一期一会

「セレンディピティ(Serendipity)」という言葉がある。

「セレンディピティ」という言葉をgoo辞書で調べてみると、 「思わぬ発見をする特異な才能」とある。

偶然からモノを見つけだす能力』(澤泉重一、角川oneテーマ21、2002)によると、 このセレンディピティという言葉はイギリスの文筆家ホレース・ウォルポールが造りだした造語らしい。

その本の中に友人に宛てた彼の書信が載っている。


『…このように探しているものをすべて見つけ出してしまう私の探索能力をシュート氏は 「ウォルポールの幸運」と言っていますが、私自身は「セレンディピティ」と私が名付けた不思議な力によると考えています。
「セレンディピティ」という言葉は意味深長でこれに代わるものがないほどピッタリしています。説明しようと努めましたが、「言葉の定義」 より「言葉の由来」によって一層ご理解いただけることでしょう。
以前読んだ寓話「セレンディップの三人の王子」では、旅に出た王子がつぎつぎと起こる偶然のできごとに対し、 それぞれの場に応じた察知力を発揮して思いがけぬ発見をしていきます。これらの発見は本来探していたものとは違うのですが、 とても大切な発見なのです。』

(同著、p27)


goo辞書の語義にあるとおり、セレンディピティとはただの偶然ではなく、それを見つける「才能(能力)」のことである。

思わぬ偶然を見つける「能力」?

それは一体なんだろう?

そもそも、突然起こる「偶然」とその人の「資質」なんて関係があるのだろうか?

そんな疑問が湧いてくるのも当然だ。

なにしろセレンディピティという概念を広げていけば、「ラッキー」とはその人の資質である、ということになりかねない。


私には、ウォルポールが「言葉の定義」より「言葉の由来」によって「セレンディピティ」という言葉を説明しようとするまさにそのあたりに、 この人物がセレンディピティ溢れる人物たる所以が現れているような気がしてならない。

「定義」は言葉に釘を刺すが、「由来」は言葉に寝床を用意するだけである。

(「定義するのは良くない」と言っているわけではありません。念のため。)

釘を刺された言葉はその釘の場所から動くことはできないが(それゆえに捉えやすい)、 寝床があるだけの言葉は自由に動き回ることができる(自分の巣を確認するためにときどき帰るのは大切なことである)。

どちらの言葉に「遊び」 があり、新しいモノが生まれうる余白があるかは明白である。

「遊び」という適度な「間」がないところに「偶然」の入り込む隙間はない。

そのように自らのうちに「偶然」を迎え入れる準備ができている者に、そうでない者よりも「偶然」が訪れやすいであろうことは、 想像に難くない。

さらにそこに、周囲の環境の微細な変化に繊細に反応しうる感受性の高い「からだ」がそろえば、訪れた「偶然」 を見事我が家へと招き入れることができるだろう。


「偶然」を味方につけて幸せになっていく物語といえば、日本の物語で言うとなんだろう、と考えてみたら、私がふと思いついたのは「わらしべ長者」 である。

「わらしべ長者」は、「転んでつかんだ物を持って西へ行きなさい。」という観音様のお告げどおりに、 転んでつかんだわら一本を手にして歩きながら、出会う人たちとつぎつぎに交換して最後に長者の婿殿になって幸せに暮らすという物語である。

「セレンディップの三人の王子」の物語とは、ずいぶんストーリーが違うようにも思えるが、 偶然の出会いが話を好転させていくという物語の構造は一緒である。

「わらしべ長者」という物語は、「昔々、あるところにわら一本で大金持ちになったラッキーな男がおったとさ。」 という物語として解釈されることが多いが、私はそういう物語だとは思っていない。

もしこれが、「手持ちのわら一本を、より価値あるモノとどんどん交換してゆくことで、莫大な富を築いた男の物語」であるならば、 我々はもうすでに「ホリ○モン」という大変リアルな現代の物語を知っており、その顛末は皆さんご存知のとおりである(… ってまだ物語は続いてるけど)。


「わらしべ長者」と「セレンディップの三人の王子」の物語は、決してそのようなお話ではなく、

「偶然という『一期一会』を大切にすること」
「自分にその価値が判断できないものに対しても『開かれている』こと」

を語る物語であると私は思う。

もし、セレンディップの王子が「ドラゴン退治の巻物探し」を最優先して、それ以外の雑多な頼まれごとを「いや、今、急いでるんで…」 と断っていたとしたら、もし、わらしべ長者の男が「これは観音様のお告げの大事なわらだから誰にも渡さない」と考えたり、あるいは 「この取引は私にとって得かどうか」ということを考えていたとしたら、彼らに、セレンディピティによる「思いがけない偶然」 は訪れなかったと思う。

「セレンディップの三人の王子」の物語は、ただ「巻物を手に入れられずに王子たちが帰ってきた」という、 なんの変哲もないのっぺらぼうな物語になったであろうし、「わらしべ長者」の物語は、一番最初に転んでわらをつかんだ時点で「『わら』って… 。それはありえへんやろ。」と捨ててしまったり、最初に出会った赤ん坊にわらをあげてしまったりはせずに、 これまたやはりなんの変哲もない、観音様のお告げの「何かイイこと」が起こるのをずっと待ち続ける男の物語になったであろう。

どちらも「それが自分にとってどういう価値があるのか分からないモノを受け入れた」ということが大事なのだと思う。

そうでなければ観音様のお告げのありがたいわらに、捕まえたアブを縛り付けてみたり、 さらにそれを赤ん坊にあげてしまったりなど、できようはずがない。

(私には観音様も唖然としていたような気がしてならない。「そうきますか!」と。)

「他者」や「未知」という訪問者が、いつ私の人生に訪れてもいいようにつねに「開かれた構え」を保ち、「一期一会」 を大切にしたいものである。

「そなえよつねに」(@ボーイスカウト団)だな。

posted by RYO at 22:32| Comment(10) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月20日

京ぽんとタブレットPC

どうやら明日あたりカウンターが7777になりそうです。
見事7777をゲットした人、おめでとうございます。
と言ってもべつにプレゼントはありません。でもきっとイイことがあります。
パチンコなどに繰り出してみるとフィーバーするかもしれません。
とか言って自分で踏んじゃったりして。


今、ビックカメラでやっているポイントアップキャンペーンに便乗して新しいパソコンを買ってしまった。

富士通の「LOOX P70R」。

タブレットPCなので画面に直接触れて動作ができる。

1月に発売された頃、店頭に置かれていたデモ機をいじくっていろいろ試してみたら大変オモシロかったので、 もうまるで新しいオモチャを見つけてしまった子どものようにかぶりついて遊んでしまった。

ちょうどブログも始めたし新しいパソコンが欲しいなぁ、なんて思っていたところだったので、おもむろに「これ欲しい!」 の衝動が猛烈に湧き起こり、デモ機のパソコンの前をうろうろと行ったり来たりしてはいじくってみるという、まるで動物園の熊のような行動を、 ここしばらくしていたのである。

今、私が使っているのはノートパソコン一台なので、 これがクラッシュするとWebホームレスとなってしまってブログのアップもままならなくなってしまうので、 保険の意味でももう一台欲しかったのだけれど、ちょうど今ポイントアップキャンペーンで7%もポイントがつくというので、 つい衝動買いしてしまった。

ヤッホー!

さっそく家に帰って、箱を開けるのももどかしく取り出して電源を入れていじくってみる。

パソコン本体に収納されているペンを取り出し、画面の上をペンでなぞるとポインタがまるで忠犬のようについてくる。

おぉ、カワイイやつめ。(って実はもうデモ機でさんざん遊んでいるんだけど。)

パソコン自体もとてもちっちゃいし持ち運びには最高だ。

それに私は、ウィルコムユーザー(携帯電話)なのでモバイルにも相性がいい。

これでいつでもブログにアップできるぞ。

ウヒヒ。


ちなみに私の使っているこのウィルコム、今までマニアックでコアなファンばかりだったのに、最近、 社名を変更してからたいへん上り調子で急激に加入者数を増やしている。

まるで電車男のブームで「おたく」が突如もてはやされている様にも似ているが、聞くところによると、 ウィルコムは今まで携帯会社の子会社だったので、親会社に気兼ねしてPHSの良さをあまり大々的にアピールできなかったのが、 このたび独立して大々的にアピールできるようになったので、かなり本腰を入れて攻勢に出ているらしい。

別に私はウィルコムの回し者でもなんでもないが、PHSは通話料は安いし、てゆうかPHS同士は無料だし、メールは完全無料だし、 音声の質はいいし、電磁波も携帯の10分の1くらいだし、フルブラウザだから単体でもネットが見れるし、 もちろんパソコンにつなげてもネットが見れるし、それら全部コミでも料金は月7000円もいかないし(私の場合)、 とかなりイケてるのではないかと私は思っている。

純粋に「使える!」を求めるヘビーユーザーの間で、マニア受けするのもよく分かる。

と言っても、私は「自分が使ってるもの溺愛症」という不治の病にかかっているので、上の評価には 「自分が使っているから良く思えている」という倒置のバイアスがかかっていることを、あらかじめ申し上げておきます。

だから、今回に限ったことではないが、私の言うことはあまり真に受けないほうがよい。

「お、そうか。」といきなりウィルコムに変更したりするような暴挙は決してオススメしません。


ところで、私の使っているPHSは京セラ製(WX310K)のものなのだが、一部のマニアの間では 「京ぽん2」と呼ばれ、こよなく愛されているということを最近はじめて知った。

この機種だけを取り上げた本や雑誌が何冊も出ているくらいの、コアなファンを持つ機種らしい。

それらの本を読んでみると、なるほど欲しくなってしまうくらい、いろいろな遊び方ができるようである。

私もどれどれと1冊購入し、それに載っていたブックマークレットなるものをさっそく打ち込んで試してみたら、これはオモシロイし、 たいへん使える。

(簡単に言うと「JavaScript」なる簡易プログラム言語を使って、新しい機能を追加すること。たとえば、 ある言葉からYahoo!辞書にアクセスして直接意味を引き出したりとか。しかも国語、類語、和英、 英和で一括検索してくれるので文章を書くのに大変重宝する。)

なるほど〜。

「京ぽん」ユーザーたちはこんなことして遊んでいたのね。

世の中、「オレたちだけが知っている」的に使いこなして遊んでいる人たちがいるものだ。


それはともかく、そんな「京ぽん」と組み合わせてタブレットPCを使いこなせれば、これはもう最強であろう。

喫茶店でサッとパソコンを取り出しておもむろにパシパシとキーボードとか打ち始めちゃうぜ!

手にしたペンでサラサラと画面にスケジュールとか書き込んじゃうぜ!

おぉ、なんだかまるでやり手のビジネスマン!(発想がpoor。)

あぁ…、でもだったら「Bluetooth」(無線)とかもせっかくだから使いこなしたい。

そうすれば完全ワイヤレスでネット環境がそろう。


うぅ…、しまった。

欲望はとどまることを知らない。

このままでは畜生道まっしぐらで、トップブリーダーも真っ青だ(意味不明)。

いかんいかん、理性を取り戻せ!

なまねこなまねこ…。

posted by RYO at 21:12| Comment(6) | TrackBack(2) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月17日

大人の秘密の熟すまで

今日、突然ミヒャエル・エンデのあるエピソードをふと思い出した。

ミヒャエル・エンデは「モモ」や「はてしない物語」で有名な作家であるが、私は学生時代に強烈にのめりこみ、 その著作から対談まで片っ端から読みまくっていたことがある。

「モモ」も「はてしない物語」も幾度となく読み返し、そのたびなにか新しい気づきがあり、「子どもができたら絶対プレゼントする。」 と言って、読む前には必ず石鹸で手を洗うくらい大切に扱っていた。

思い起こせば、「物語にハマッているとき」って、かなりシアワセな状態であるような気がする。

ある種の恋愛状態というか。

まぁ、恋愛も一つの「物語」と考えればぜんぜん不思議なことではない。

慣れ親しんだ「物語(世界)」が、「違う成り立ち方でも存在しうる」ということに気づくとき、そして 「その物語(世界)の中に私はもうすでにいた」という既視感(デジャヴ)のような感覚が訪れるとき、 人の意識は強烈な励起状態になるのかもしれない。

それは茂木健一郎先生の言う「Aha! Experience(アハ体験)」という状態に似てるだろうか。

まさに書でも人でも、「出会い」とはコペルニクス的転回。

Aha!


それはともかく、エンデのエピソードを思い出したのはいいけれど、どんな話だったのか私が覚えている顛末で正しいのかどうか、 大変疑わしいことこの上ない。

人は記憶を自分に都合よく捏造するもの。

まして私のようなイーカゲン人間であれば、なおのこと信用ならない。

なので、そのエピソードがどんなお話だったかきちんと調べようと思ったのだけれど、 いったいどの本に書かれていたのかまったく思い出せない。

最近読んでいる本はすべて、気になる箇所はすべて抜粋しパソコンに打ち込んでいるので、 ふと思い立ったらパソコンに打ち込んで検索すれば、瞬時に本のタイトルも頁数も分かるようになっているのだけれど(便利!)、 エンデにハマッていた時期といったらすでに前世紀のお話。

そのような「デジタル化」はまったく進んでいない頃の話である(あえて避けてたし)。

「どこに出てたっけなぁ…。」と途方にくれながら、 本棚からエンデの本をどさどさと引っ張り出してパシャパシャとめくってあてどもなく探す。

う〜ん…。

パシャパシャ。


……。

…見つからない。

「ウワーン!(泣) どこにやったんだよ〜。『取っといて』って言ったじゃないか〜。」
「そんなこたぁ知らないよ。ちゃんとしまっとかないアンタが悪いんでしょ。いっつもいっつも散らかしっぱなしで…。」

と一人寸劇を演じてみても見つからないものは見つからない。

う〜む、しょうがない。いつかご縁があればふとした瞬間に見つかるだろう。

けれどもその代わりといっては何だが、こんな文章を見つけた。


『変身』

大いなる秘密とは、あるきまった答えがある謎ではない。
そのなかに入るには、 その秘密により変わらねばならない。
そうさせぬ者やできぬ者はただ空をつかむだけだ。
しかし、それができた者は、させぬ者やできぬ者に、
その秘密をどうしても教えることができない。
かれらが理解できないからだ。
こうして秘密はみずからを守る。

( 『エンデのメモ箱』ミヒャエル・エンデ、岩波書店、1996、p261)


なるほど。

秘密はそれを知ったら変わらざるを得ないからこそ秘密でありうる。

言われてみればそんな気がする。


そもそも「伝授(学び)」とは本来そのようなものであろう。

「極意(秘密)」とは、伝授されるに値する者でなければ、たとえこっそりその伝書などを盗み見たとしても、 その意味はまったく分からないような、そんな代物である。

「それ」を表現する言葉は、すでに「それ」を知っている者にしか通じない言葉であるので、結果として、「それ」 を知らない者に伝える言葉はないのである。

だから「極意の伝授」とは、すでに「それ」を修得した者に対して事後的に行なわれるのである。

「オマエはもうすでに知っている。」と。(ってなんだか北斗の拳みたいだな。)

荘子のあこがれたように「それ」を会得した者同士であるからこそ、語らずとも通じるものがあり、それが師から弟子へと受け継がれるのだろう。

拈華微笑。

エンデの作品「モモ」の中で、主人公の少女モモが、あるとても大切なコトを知ったとき、「みんなに教えてもいい?」と訊くシーンがある。

それを聞いて時の管理人マイスターホラはこう答える。

「いいよ。だが無理だろうね。」

「なぜ?」と訊ねるモモに、さらにこう答える。

「それを話すためには、まずお前の中で言葉が熟さなくてはならないからだ。」

言葉とは、すっかり分解し、発酵し、まったく別の形をとって新たに生まれ変わるのでなければ、いわば血肉化した言葉にはならない。


何かを学ぶということは、学ぶ「前」と学んだ「後」で別人になるということである。

(それを養老先生は『 「わかる」ことは「かわる」こと』と表現されている。)

何かを学ぼうというとき、それを学んだ後に、自分がどうなるのか想像できるような「学び」であるならば、それはたいした「学び」 ではない。

もっと正確に言うならば「学び」の結果、自分は「こうなるだろう」と思っていたら予想通り「こうなった」という状態であるならば、 そのとき私の言う「学び」はちっとも発動していない。

それは、学ぶ「前」の自分の「想定内」(流行語大賞!きっとそのうち「法廷内」とか書かれるんだろうな。 )の域を出ていないのであって、今までの自分に何かオプションがついたという程度のことである。

パソコンで言うならば、新しいソフトをインストールしたのであって、OSをバージョンアップ、あるいは新OSを搭載しなおした、 ということとは根本的に違う。

さらにはマザーボードを交換するとか、もっと根本的な進化もありうるけど、より根本的な変化になるにつれ 「うまく作動しなくなるかもしれない」というリスクは大きくなる(だからこそ私たちは変わる事をためらう)。

学ぶ「前」と学んだ「後」で、同じ延長線上にいるような仕方でなく、まったく別の直線上に移行するような、そんな仕方が「学び」 においては重要ではなかろうか。

同じ直線上にいるような計量比較可能な成長では、けっして「子ども」は「大人」になれない。

「子ども」が「大きな子ども」になるだけである。

それは数字でもって計量比較の可能な成長である(身長とか体重とかIQとか)。

けれども「大人」になるということは、「そういうこと」ではない(多分)。

「大人」になるということは、それがどういうことであるのか「子ども」には伝える言葉がないような仕方で成長するということである。

だから大人は子どもの「どうして?」という質問に「お前もいつか分かるよ…。」と寂しそうにつぶやくしかないのである。

それは「住む世界が違う(語る言葉も)」という表現がもっとも合うかもしれない。


ということで、気づけばぐるっと回って最初に触れた

『慣れ親しんだ「物語(世界)」が、「違う成り立ち方でも存在しうる」ということに気づくとき、そして 「その物語(世界)の中に私はもうすでにいた」という既視感(デジャヴ)のような感覚が訪れるとき、 人の意識は強烈な励起状態になるのかもしれない。』

というお話に戻ってきた(お、珍しい)。

『慣れ親しんだ「物語(世界)」が、「違う成り立ち方でも存在しうる」ということに気づくとき』

もしかしたら、それが「大人」になる瞬間というものなのかもしれない。


「で、結局エンデのエピソードって?」

え?

「…詰めが甘いな。」

…スイマセン。

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2006年02月14日

「会話の因数分解」練習帳

人としゃべっているときに、お互い興味のあることに一見ぜんぜん接点がないような場合に、なんとかそこに接点を見つけ、「つながり」 を作る能力というのはコミュニケーションにおいて、とても大切なことである。

私はそれをひそかに「会話の因数分解」の能力と呼んでいる。

因数分解というのは数学上の言葉であるが、ある数式内に雑然と並んだ一見関連性のなさそうな数字の中に、共通項である因数を見出し、 それによって関係のなさそうな数字たちをまとめて括弧で括ってしまう、という高校受験でも使うたいへん重要な技法である。

「それって人と会話するときでも一緒じゃないの?」ということで、二つを結び付けて私が名づけたのが「会話の因数分解」なのである。

というわけで、そのネーミングからしてすでにその技法を駆使しているのだけれども、それは「私」と「あなた」を、「私たち」 という括弧で括ってしまおうという「力技」でもある。

因数分解とは、その名前に「分解」とはついているけれども、じつは関係の無さそうなもの同士を一つに結びつけてしまおう、 という大変フレンドリーな技法なのである。

一見、共通の話題のなさそうな「私」と「あなた」であるけれども、「コレ」を因数として括ってみると、意外と「私たち」 って話が合いそうじゃない?と両者を強引に同じ土俵に上げてしまうという「トリッキーでありながらも力技、でもフレンドリー。」みたいな感じの大ワザで、たいへん私好みでもある。

数学上の技法ではあるけれども、考えてみればコミュニケーションにおいてこれほど大切な能力もない。


「なにか」と「なにか」の間をつなぐモノを発見するという能力はけっこう大切である。

「あ、コレってアレだよね。」

と、思いつくことを「連想」と呼ぶけれども、それは整体の野口先生が「とても大切です。」とおっしゃっていた能力であり、また、 内田先生がよく引き合いに出されるベイトソンの小咄(That reminds me of a story.)で触れられる「人間的な能力」でもある。

パソコンの検索能力もずいぶん進歩してきたが、ここで言う「連想する」という能力にはまだまだ程遠い。

コンピュータも、多少の言葉の「ゆらぎ」をファジーに感知して、似た言葉を検索する程度の作業は、 ずいぶんめざましく進化を遂げたけれども、「なんでこんな話を思いついたんだろう?」と、 思いついておきながらそのつながりが本人にもまだよく分からない、という「飛躍」検索能力をコンピュータが身につけるには、 まだまだ長い開発期間がかかりそうである。

(と言っても、そんな機能が開発されたとして、 そんな機能をコンピュータに搭載してしまったら大変使い勝手が悪そうな気がするけれども。気が「利きすぎて」こちらがついていけない。 )


そのような「連想」といったものに代表される「なにか」と「なにか」の間をつなぐモノというのは、そのありようからして基本的に 「言外のモノ」であり、言葉の隙間からこぼれ落ちるモノたちである。

それらは「なにか」の中に居続けることができないので、多くは「なにか」と「なにか」の狭間でたゆたっている、そんなモノたちである。

「なぜ思いついたのか」、その隙間を埋めるモノは言葉にすることができない。

「その話を聞いていたら、こんな話を思いついたんだけど」という「そのまんま」のお話を語るしか、そのモノを描写する方法はない。

それは私の言う「漸近線の語法」 にも似ており、佐々木先生のおっしゃる「ダーウィン的方法」 にも似ており、つまり相手の心象に「自ずと」立ち昇らせ、思い起こさせる、そんな語り口なのである。


ということで気がつけば「会話の因数分解」の話から、またやたらに話が飛んでしまった。

「で結局、オマエは何が言いたいのか」と言われても、なぜ私の話がそんなに飛んでしまうのかは私にも言葉にできないのであり、 その隙間はぜひぜひみなさん自身に架橋していただきたい、とこのように思っている次第なのである。

なにしろこのブログは雑念をつれづれなるままに書き散らすブログでありますゆえ。

ってそんなこと前にも書いたな。


「それはオマエ、自分で言ってる会話の因数分解を放棄しちゃいないか?」

とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれないが、それはみなさんに最後の完成作業を委ねて、 みなさん自身の言葉で狭間を埋めていってほしいがゆえに、涙を呑んで説明するのを断念しているのである(ということにしておく)。

ということで、おもむろに私のブログは「会話の因数分解」の練習帳となりましたので、 そのような心積もりで読んでいただきたいと思いますのであしからず。

posted by RYO at 20:24| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月12日

さらに言祝ぎ、健闘を祈る

南伊豆で農業を営んでいるYくんが「ウチに泊めて〜」と言ってやってきた。

Yくんとは下宿「木村家」 で同じ屋根の下、3年間を共に過ごした、いわゆる「同じ釜の飯を食った仲」である。

2年ほど前に南伊豆に移住し土地を借りて農業をはじめ、日本という国のまさにもっとも根本の基底部分からボトムアップして、 日本をより良い国にしていこうやんけ、という「縁の下型発想」をする人間であり、たいへん心強い我が同胞の一人である。

私は今、Yくんの育てた「あいがも農法玄米」を食している。

あいがも農法というのは田んぼにあいがもを放し、稲のあいだを泳ぎまわらせることで雑草の繁殖を抑え、 稲刈りが済んだあとは美味しくいただくという「鴨が稲しょってる」しっかりちゃっかり農法である。

ちなみに、汚い話で失礼だが(汚い話が多いな…)、日頃、玄米を食していると便通がすこぶるいい。

というより、もう「全開!」という感じで、毎回いっくら水を流しても「動かざるごと山の如し」と鎮座ましまして、渦巻く激流の中、 1cmばかりズルリと動く程度の、かなり腰の入ったツワモノが降臨するのである。

そのたびに便器ブラシでつんつんと奥へ押し込むのだけれど(アラレちゃんだ。)、 便秘に悩んでいる方からすれば羨ましいばかりの話かもしれない。

(でも、玄米はオススメですよ。あとはとにかくくよくよしない事ですわな。腸は精神状態と深く関わるので。)


閑話休題。

子どもも生まれ、ますます張り切って畑仕事に精を出していかなければならないパパYくんと会うのは1年ぶりくらいだろうか。

待ち合わせをして一緒に慣れ親しんだ大学の構内や、下宿周りの商店街などを練り歩く。

東京に住んでいるけど私自身も大学に行くのは久しぶりで、ずいぶん変わった街並みに二人できょろきょろしながら、「馴染み」と 「違和感」のはざまの散歩をしばし愉しむ。

さんざん歩き回ったあと、この前の「オーガニック縁日」の会場となったカフェに入って、 ヘルシー豆料理を食す。

冷奴やら味噌汁やらをいただいたのだが、考えてみれば豆腐に醤油をかけて食べるというのは、 大豆に大豆をかけたものを食べているのであり、豆腐と油あげの入った味噌汁を飲むというのは、 大豆に大豆と大豆を入れたものを飲んでいるのである。

日本人とはまことに「ダイズだいすき民族」であるなぁと、改めて再確認した。


そのあと、明日インドへと旅立つインド隊の壮行会を催しているという愛しの下宿 「木村家」へとふらふら向かう。

部屋に入ると後輩たちが、中央に山盛りサラダのみがドーンと置かれたコタツを囲んでビールを飲んでいて、「キミら、 いつからベジタリアンになったの?」と一瞬ためらうが、「カレーもありますよ。」と冷静に返される。

「カレーはいいや。」とこちらもあっさり返しつつ、みんなの大先輩Yくんを紹介して宴再開。

インド隊隊員が明日の出発に向けて抱負などを述べつつ、さらに壮行品贈呈の儀を執り行い、粛々と会が進行しているかと思ったら、 おもむろに下宿の明かりが消される。

「も、もしや…。」

と思ったら案の定、ドアが開いてローソクを3本立てたケーキの入場。

そして、ここでもまた「ハッピーバースデー」の大合唱がはじまる。

「またか、オマエら! もう、ええやろ。」

と思いつつも、みんなのありがたい好意にまったく感謝感謝である。

そして今度こそちゃんとしたローソクの火をフーッと消す。

パチパチパチ(拍手)。

いや、どうも、みんなありがとう。

これだけみんなに祝福されるのも、さんざんブログで「30才の誕生日だ」と強調してきたおかげですな (笑)。

言ってみるものだ。

…と思っていたら、おもむろにプレゼントを繰り出してきた。

なんと! たたみかけるような連続攻撃。クイックのワザまで身に付けていたとは。

日に日に成長してゆく後輩たちには、なんとも頼もしさを感じるばかりである。

頂いたプレゼントを披露させていただくと、

「望遠鏡 兼 顕微鏡」というちょこざいなアイテム(Wくん、腕を上げたな。これには感服)
「ひょっとこ面の手拭い」(眼の所に穴が開いてる。どこで見つけてきたんだ…)
「我が家のスケッチ用、インド国旗の三色分クレパス」(トリッキーな合わせワザを…)
「山下達郎のCD『僕の中の少年』」(もうおじさんだしね)

皆々様ご祝儀有難う御座います。


う〜ん、私はホントにシアワセ者でございます。

これだけ多くの人に祝っていただけるとは。こういうご恩はとにかく返していかねばなりませんな。

けれども、これほどの贈与の返却には来世あたりまでかかりそうだし、身内は後回しということで、みんなはあんまり期待しないように。

でも、まさか誕生日ネタでこんなに引っぱることになるとは私自身も思いもつかなかったな。

そのあと終電でYくんと我が家まで帰り、二人でまた語ろうかとも思ったが、眠くなってしまったので、そのまま爆睡。


次の日、午前中時間があったので、飯でも食おうとYくんと二人で原宿まで繰り出す。

「そういえば、表参道ヒルズ、昨日オープンだよね。」

と訊いたら、そんなことは知らん、という顔をされる。

でも、せっかくの機会だし行ってみるかということで、表参道までテクテクと歩いていき、着いてみれば、案の定ものすごい行列。

イヤイヤすごいね。こりゃ。

とても入れそうにないので遠巻きに表参道ヒルズをぐるっと周り、原宿の方へと戻る。

そのあと、とあるNPOのリーダーとして頑張っている我々の同胞N女史も加わり、原宿駅近くのオムライス屋さんに入って、 3人でオムライスを食す。

同胞3人で久しぶりに集まってメシなど食していると気分が若者の熱い心に戻ってしまうのか、せまいファンシーな雰囲気の店内で、 熱く組織論やボランティア論などを語りだしはじめる。

う〜ん、原宿のオムライス屋さんでするような会話じゃないな。

でも、久しぶりだな、こんな感じ。


やがて仕事に行かなければならない時間になったので原宿駅前へと移動し、ロリータファッションの少女たちのたむろする中、 それぞれ良い仕事をするよう固く誓って、私たちはそれぞれの行く先へと再びめいめい分かれて出発したのであった。

この2日間の旧交にたいへん元気を頂いた。

みんなの健闘を祈る。

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2006年02月09日

愛に手が出る足が出る

本屋さんをうろうろしているときに何気なく手に取った本にマザーテレサの言葉が出ていた。

「愛の反対は憎しみではありません。無関心です。」

この前も触れた言葉であるが、 けだし名言である。

うんうん、とうなずいてふと横に目を移すとその言葉に続いて、このような言葉もそこには書かれていた。

「愛とは必ず行為を伴うものです。」

私はそれを読んだ瞬間、その言葉にぐさっと胸を刺され、思わず「グハッ!」と吐いてその場にヒザから崩れ落ちそうになってしまった。

ハ、ハイ。その通りでございます。

スイマセン。申し訳ありません。(何に?)

私も根っからの無精者であるので、たまに(よく?)「メンドくさいからまぁいいか。」などという怠惰な考えに流されて、 日々をテキトーに過ごしてしまったりするのだけれど、マザーテレサのような徳のある方に、

「RYOさん。愛とは行為を伴うものなんですよ。」

なんて、まるで優しくたしなめられるように言われてしまってはもう恥ずかしくて、穴があったら入りたいくらいである。

…スイマセ〜ン。…精進いたします〜。


東欧のアグネス・ゴンジャ・ボヤジュという名の一少女が、インドの貧しい人々のためにその身を捧げようと決心し、 その信念のまま一生を貫き通してしまったその原動力を、彼女は「愛」と表現されているけれども、それに比べてしまうと巷にあふれる「愛」 という言葉の皮相さには…、…う〜ん。

いやいや、何も言いますまい。

たかが言葉。

大切なことは言葉で捉えたつもりになってもスルリと隙間から逃げてゆくもの。

私は、彼女の生き様を見るときにいつも思う。

彼女の愛は決して心にだけあるのではない、と。

彼女の愛は手の指先、足の爪先にまで及び、さらにそれでも足りないくらいに溢れていた。

彼女は苦しむ人を見たとき、心が痛むより前に、足が動き、手が出ていたのではなかろうか。

彼女の愛は手にあり、足にあった。

行動することが思想であり、愛なのであり、彼女はそれらの理念を、まさにその身に落とし込み、手を通し足を通して、 そしてその身を通し人生を通して、具現化したのである。

手考足思


…と書いていたら、ふとあることを思い出した(いつものコトである)。

前に駅の雑踏を歩いていたときのことなのだが、前から歩いてきた女性が軽くつまずき倒れそうになったことがあった。

不意にこちらに倒れてきた女性を、私はふっとよけた。

さいわい女性は軽くつまずいただけだったので、なんとか姿勢を取り戻しそのまま歩いていったのだが、 私は自分が無意識にふっとよけてしまったことにショックを受けた。

我が身をかばうことだけ考えて、倒れそうになったその人を支えようともしなかった自分のからだに、自分がどういう人間であるのか、 思い知らされてゲンナリしてしまったのである。

なんとセコイ人間であるか…、オマエは。

ふだん武術の稽古で、かわすことばかりにからだを動かしているから、いざという時そういう行動がとっさに出てしまうのではないか?  武術なんてやめた方がいいんじゃないか?

などと、ぐちゃぐちゃ考えてみたが、習い事のせいにするのもこれまた単なる責任転嫁のような気もする。

だったら人を助ける方向にサッと動けるよう、ふだんから意識しながら稽古すればよい話ではないか。私の意識次第だ。

なるほど。

ということでとりあえず自分の中で話がついたので、今度は自分のからだに言い聞かせる。

しかし我が身のこととはいえ、不満をそのままぶつけても、からだはやっぱり受け入れてはくれないだろう。

そこは我が身の心理指導(生理指導?)。

「不意の出来事にパッと動けたことは確かに素晴らしい。さすが見事。けれども動くべき方向が間違っていた。あれはかわすんじゃなくて、 支えるべきだった。そこが惜しい。
よし!次は支える。」

と我が身に諄々と説く。

それ以来、似たような場面には未だ出くわしてはいないが、今なら多分サッと助けることができるような気がする。


今の日本の教育を見回してみたとき、残念ながら現代の学校教育において、頭と手足をつなげるような教育課程はほとんどないように思える。

椅子に座ったまま頭の中だけを使い、多少手をコチョコチョと動かすだけで、いくら勉強していても、頭は手にも足にもつながらない。

頭で思うことを手につなげ足につなげて行動に移し、 そして逆に手を動かし足を動かし行動する中で生じてきた問題を解決するために頭を使ってこそ、手足と頭の連携が育っていく。

会社の上部が現場の様子も見ないで「ああだ、こうだ」と言っていても、けっして現実に即すものが生まれてこないように、 現場が全体を捉えた設計計画をまったく知ることなく、眼の前の仕事だけをしていってもやはり大きな仕事ができないように、「思想」と「実践」 の連携を、いかにつなげていくかということが、とても大切なことなのではなかろうか。

「考えること」と「動くこと」。

さらにそこに「感じること」を加えた3つ、そしてそれらをつなぐ「連携」、いかにしてこれらを育てていけばよいのか。

大きな課題である。

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2006年02月07日

インド隊とラクガキ問答

昨日2月6日は私の誕生日。

夜、後輩の学生が3人、わざわざ私のお誕生日を祝いにウチまでやってきてくれた。

…わけではなく、彼ら3人で今週末から一ヶ月半ばかりインドに行って、JICAの活動や教育活動、 マザーテレサの施設などを見て周るので、学生時代、同じように有志でインドの学校などを見学して周ったときの私の話を聞きたい、 ということでやってきたのである。

私がインドを訪ねたのはすでに10年前のことなので、現状とどれだけ合っているのか分からないが、 彼らの計画書などを見せてもらいつつ、私の思うところや経験などをお話させていただく。

「ずっと女3人に囲まれて一ヶ月を過ぎた頃、『もうイヤ…』と胃酸過多になって医者にかかった話」や、 「ミッキーが消防士の格好をした真っ赤な水鉄砲(空港で見送りの友達からもらった壮行品。みんなのラクガキだらけ。 )をバッグに入れたまま日本大使館を訪ねたら、ゲートの荷物チェックで門番に『これは何だ!』と質問されたので、サッと構えて『Water Gun!』と答えた話」など、思いつくままいろいろお話させていただいたが、どれだけ彼らの参考になったかはよく分からない。

…ってなるわけないね。

ゴメンネ。役に立てなくて。


でも唯一、「いい提案をしたな。」と我ながら思えたのは、「隊員ノートを作るといいよ」ということである。

私たちが10年前インドに行った時、「インド隊こころのノート」と称して一冊のノートを持っていった。

それは言ってみれば「伝言板」というか「掲示板」みたいなもので、思いつくままの雑感、モノローグ(ひとり語り)を書き記して、 みんなでそれを共有するというもので、別に返事を書く必要もなく(書いてもいいけど)、みんな勝手に書き散らすのである。

このブログもそうだけれど、特に「誰に向けて」というわけでもなく語ることってけっこうイイ。

聴き手(読み手)をあまり気にすることなく書けるし、たとえ面と向かっては言えない事でもさりげなく書けたりする。


そういえば前に、家族でブログを書いてるある人のブログを見たときに、「あ、これいいかも。」と思ったことがある。

そのブログの中で父親が書いた記事に「最近、息子が書く文章は私の分からないことがいっぱい出てくる。」と書かれており、 改めて小学生の息子さんの文章を読んでみると、もうすでに彼独自の世界が形成されており、そのうえ文章もなかなか立派で、おそらく 「家族の知らないであろう彼」がブログ上で躍動しているさまを読んでいて感じ、家族間でこういうコミュニケーションをするのも「アリ」だな、 と思ったのである。


とにかく、そのようなノートやブログといった「開かれた語りの場」は、たとえあんまり公にしたくないことであっても、 当事者にしか分からないメッセージで書けば、他の人に分からずに伝えることはできるし、でも、「ナニかあったんだろうな。」 という雰囲気だけは他の人にも伝わるから、その後の関係がなんとなく動き出すきっかけになったりもするのである。

その「こころのノート」を最近、久しぶりに開いて読んでみたら、「あぁ、こんなこと思ってたんだなぁ。」 とたいへん懐かしくなってしまった。

けれども読んでいたら、中盤あたりで「お好きなように」と一言だけ書き残して、 以後一切書き込まなくなってしまっていた事実にはじめて気づいて、思わず「うわ〜…。」と何とも言えない気分になってしまった。

ちなみに胃酸過多になったのはそのあと、2週間くらいのちのことである。

そのときは「こんないい加減な自分も、壊れるような繊細な胃腸を持っているんだ。」と感動したりもしたが、日本に帰ってからしばらくは 「二度と女と旅行はしねぇ。」とか言っていたことを思い出す(笑)。

けれども思えばなぜか、その後も私は「女だらけの中にぽつんと一人」というシチュエーションが多々あるのだけれど(育児講座とか)、 これってなんかの宿命?

これからインドへ行こうという彼ら学生三人も男一人女二人であるので、男の子に「がんばれよ!」と肩を叩いてエールを送る。


彼らにそんなノートの話をしていたらふと、昔、 私の部屋に遊びに来てくれた人にはいつもスケッチブックにいろいろ書き残してもらっていたことを思い出し、 おもむろにごそごそと昔のスケッチブックを取り出す。

「はい、みんな何でもいいからなんか書いて。」

と、クレヨン、色鉛筆、水彩クレヨン、筆ペンなどとともに、白紙のスケッチブックを彼らに無理やり渡す。

一緒に出てきた二年前のスケッチブックをパラパラとめくってみたら、 訪問者のいろんな言葉やらラクガキやらが色鮮やかに描かれているのを見て、そのときの事を思い出し、 これまた懐かしい気分になってしまう。


戸袋の画(個人名など消してあります。)
ちなみに私の部屋のふすまもラクガキだらけである。

私の部屋を訪れた多くの人の書き込んだ、たいへん色鮮やかなあふれる想いが混じり合って混沌としており、たいへんイイ味を出している。

「こんな感じでバンバン描いてちょうだいな。」

と注文したが、あんまり描くことに慣れていないせいか躊躇しているので、

「考えるな。とにかく描きだせば何か生まれてくるから。」

と、とにかく描かせる。

イタズラ好きな私は、一生懸命描いている横からクレヨンでヘンなラクガキを描き加えたりして、

「ほら、人生何が起きるか分からないよ。インドなんて特にね。オレの描いたラクガキを、 キミの描いている物語にうまく組み込んでつなげてみなさい。」

と、まるで禅問答のような「教え」をおもむろに教授する(ただのイタズラとも言う)。

すると学生のほかの二人も加わって、一人の描いている絵にみんなでグリグリと横からちょっかいを出すという遊びになっていった。

いいねぇ〜。その感じ。大事大事。


昔のスケッチブックに私の誕生日を祝うラクガキを見つけた学生が、「あれ? 二年前の今日ですよ。」と言うので、

「そうだよ、今日誕生日。今日で30才。」

と答える。

すると彼ら、おもむろにヒソヒソ話をしはじめたかと思ったら、

「あ、私ちょっと外出てきます。」

と一人こそこそと外に出て行く。

「あぁ、そう。」と私もとぼけて、「さぁて、どうしてくれるのかな。」とワクワクしながら、ほかの二人と話を続ける。

やがて彼女が帰ってくると、「RYOさん、ちょっと台所貸してください。」と言うので、「どうぞ、ご自由に。何でも使ってください。」 と答える。

やがて準備が終わったようで、彼女が部屋の前までやって来ると、おもむろに電気が消されて、3人で「ハッピーバースデー」 を歌ってくれる。

そして私の顔の前にサッとライターが出され、カチッと火をつけて「さぁ、フーッと吹き消してください。」と言われ、 言われるままにライターの火をフーッと吹き消す(満一歳!)。

うぅ、ありがとうね。 しょぼくても手作りがおじさん一番嬉しいよ。

真っ暗な中、台所でなにやらやっていた彼女が机の上にお皿らしきものを置こうとするが、よく見えないので、 お猪口やらコップやらをガチャガチャ倒す(オイオイ…)。

やがてパッと部屋の電気がつくと目に飛び込んできたものは、

  中華まん。  …中華まん?

「スイマセ〜ン。ケーキとか甘いのが無かったんです〜。」

と言われる。

いいよいいよ。 しょぼくても手作りが…(以下略)。

みんなで「バースデーケーキ」を分けてパクパク食べるとあったかくて美味しい。

う〜ん、中村屋。

30才を迎えた最初の日に、こんなとっても素敵なお祝いをされるなんてホントに嬉しい。

みんな、ありがとうね。

インド、気をつけて行ってらっしゃい。

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2006年02月05日

もうすぐ30才

昨日、知人からプレゼントされた「ゆず」のアルバム「リボン」を聴きながら、「Tanqueray No.Ten」(タンカレーのNo.10)をロックで一人、 ちびりちびり部屋で飲んでいる。

5.1chのスピーカーから部屋中に響いて流れる曲のタイトルは「もうすぐ30才」。

そう、もうすぐ30才。

今日は2006年2月5日。

明日は私の30回目の誕生日。

ブログ上でも実生活でも年齢不詳の私は、もうすぐ30才。

だから今日はまだ20代。

あと数時間は20代。

みなさんがこの記事を読む頃には、おそらくもう30才。

今まで人から見られた私の年齢は、おおよそプラス5才から20才(!)。

20才のときに旅したタイでは、「幾つだ。」と訊かれて「20才だ。」と言ったら、タイ人に「ハァン!」と鼻で笑われた。

そのときは大人気もなくムッとしたので、腹巻きに隠したパスポートを取り出し年齢の欄を指差して、「LOOK!」と叫んだりもした。

今なら泰然としているだろう。

良識ある大人は私のことを「お兄さん」と呼び、率直な子どもは私のことを「おじさん」と呼ぶ。

どちらを信用するかと言われれば、私は断然子どもを信用する。

思えば学生時代に、話していた子どもの口から何の邪念もなく「ありがとう、おじさん!」と飛び出した瞬間に私の中では、「ああ、 もうおじさんなんだ。」と覚悟はできた。

ようやく実年齢が追いついてきた。


いろんなところでやらせていただいている私の講座に出席し、私の講義を聞いてくださっている方々は、 どこでもほとんど私より年上の方々である。

つまり私は人生の先輩方に偉そうにべらべらとしゃべっているのである。

しかも金まで取って。

こんな不埒な輩にはいずれ天罰が下ることは目に見えているが、もう私は覚悟ができている。

いつでも来やがれ! 受けて立ってやる!


……嘘です、スイマセン。

「Tanqueray No.Ten」の絶妙な旨さが、どうやら私を強気にしているようです。


しかし若輩者の私などの話を、お金を払ってまで熱心に聴いてくださってくれる皆様は、私にとってははるかに見習うべき先生方である。 ホントに。

自分より若輩者にお金を払って教えを乞うという行為は、思えばスゴイことである。

私は人に教え始めた頃は「先生なんて呼ばないでください。」と、とにかく先生扱いされることを固辞していた。

けれども、あるときふと「それはただ責任逃れをしているだけではないのか。」と思い立った。

親というものが子どもができて初めてそうなるように、先生とは教えられる者ができて初めてそうなるものなのではないか、 と思ったのである。

「先生」としての力量を身に付けてから、人は「先生」になるのではない。

「親」としての力量を身に付けてから、人が「親」になるのではないのと同じように。

保護を必要とする「子ども」ができた瞬間に人が「親」となるように、教えを乞う「生徒」ができた瞬間に人は「先生」となるのである。

だから私は、「先生」と呼ばれるのにふさわしい存在となるようにみなさんに要請されて、「先生」と呼ばれているのだと、 今は思っている。

つまり私の講座に出てくださっているみなさんが私を「先生」と呼ぶとき、それは私を叱咤して鞭打っているのである。

「この私が先生と呼ぶのに値するようになれ!」と。

かくして私はみなさんの愛の鞭で、より成長することを促されているのである。

確かに、ただの「生徒」でチンタラポンタラしていた頃に比べて、「先生」と呼ばれるようになった今、 私は格段に勉強する量が増えている。

それも皆、みなさんの暖かい鞭打ちのおかげである。

感謝感謝。

ミミズ腫れのお尻をさすりながら精進していきたいと思いますので、皆様どうぞよろしくお願いいたします。

これからも、皆様どうぞお付き合い。(お、五七五。)


…と、つらつら書いているうちに気づけば時計は10時半を回ってる。

20代が終わるまであと1時間半。

ほぅ! どうしてくれようか。

なんだかワクワクしてきちゃったぞ。

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2006年02月03日

お登紀には昔の話を

多忙の8日間もようやく5日過ぎた。あと3日だ。フゥ。

レギュラーな予定が詰まっているのはさほど疲れたりはしないが、イレギュラーな予定が詰まっているときは、 そのたび息を合わせてモードチェンジしなければならないので、けっこう調子を整えるのが大変である。

しかもこういうときに限って、突然、消化器の変動が始まったりする。

昨日の深夜、メールチェックをしていたらおもむろに動悸が激しくなって全身に倦怠感が広がり、「なんだこりゃ?」 と思っていたら吐き気がしてきたので、よろよろとトイレに向かったら着くなり全部戻してしまった(汚い話で失礼)。

吐いたらなんとなくスッキリしてきたので、「うぅ…」と呻きつつそのままモゾモゾと布団にもぐりこんで寝てしまったのだが、 今日起きてみたら、やっぱりまだ背中が重い。

でも自分のからだが変動しているときは、からだで何が起きているのか実感するのに一番ちょうどよい学習期間であるので、 自分のからだに目を向け耳を澄ませる。

すると、腰が痛い。内股にも違和感。

吐くという行為は腰と内股に深い関係があるのかもしれない、とそんなことを考えつつ、背中をトントン叩いて「ハァ〜。」 と大きく息をついて自らを落ち着ける。

これから講座だ。とりあえず息を落ち着けることが大事。

フゥ〜。

(で結局、今日の講座は親子7組の参加で、子どもたちだけで7人! 賑やかなことこの上なかった。)


そしておもむろに話は前日に戻る。


昨日は横浜で仕事。

帰りに横浜駅で崎陽軒の「シウマイ」と「シウマイまん」を手みやげに買って、私の慣れ親しんだ下宿、「木村家」 へと向かう。

何日か前に後輩から電話があり、「Iさんの壮行会するんでよかったら来てください。」と呼ばれたのである。

主賓である後輩のIくんは、大学を卒業したあと建築の道に目覚め、建築設計の専門学校に再び入りなおし、 さらにそこを卒業して東京の設計事務所で下積みをしていたのだが、このたび地元の方の工務店で就職が決まり、 東京をたつことになったのである。

Iくんはときどき「RYOさん、からだがボロボロなんです。みてもらえませんか?」と言って、 よろよろと私の家にやってくることがしばしばあった。

「しょうがないなぁ、いいよ。」と言って、そのたび私はからだをみてあげていたのだけれど、Iくんは「お金がないんで、 お礼はラーメンでもいいですか?」と言うので、「しょうがないなぁ、いいよ。」と私は応えて、 二人で近所のラーメン屋に行ってずるずるとラーメンを食べるということを、今まで何度かしてきた。

ラーメンをすすりつつ自分のやりたいことを熱く語っていた彼が、自分のやりたい道に進んでいけることに、私は素直に嬉しく思う。


そうして、始まった壮行会はと言えば、わずか6畳の狭い下宿に、 学生たちも含めて15人ばかりの男女が2つのコタツを囲んでぎゅうぎゅう詰めに座って、流れるBGMは加藤登紀子の「ときには昔の話を」 のシングルリピート。

まったく相変わらず古臭いセンスの学生たちで、ニヤニヤと嬉しくなってきてしまう。

手作りの料理やら、バイト先から持ってきた料理やらを、みんなでパクパク食べつつ昔話に花を咲かせる。

Iくんはこのまま浜松町から高速バスに乗って旅立つことになっており、宴会にも尻があるので、すみやかに壮行品贈呈の儀を執り行い、 抱負などを述べていただいたりしていると、気がつけばみんなで「ときには昔の話を」の大合唱となる。(歌声喫茶?)

まったく相変わらず古臭いセンスの…(以下略)。

でも彼らは、陶芸教室に通い手作りのお猪口を作りあげ、どぶろく(にごり酒)も自分たちで作って、それを持って年末に加藤登紀子の 「ほろ酔いコンサート」に乱入し、サイン会のあとのお登紀さんをつかまえて、手作りのお猪口を献上し、手作りの酒を酌み交わしてきたと言う。

「いいでしょ〜。」

とお登紀さんと一緒に写った写真やら、サイン入りの手ぬぐい(そのチョイスがまた…)やらを見せられる。

くそう、いいなぁ。来年はオレも乱入しちゃうぞ。


時間も差し迫ってきたので、宴を締め、ぞろぞろと駅の方へと移動する。

Iくんが「ちょっと、お世話になった食堂のおばちゃんに挨拶していきます。」というので、ぞろぞろと15人で食堂へ向かう。

ラーメン一杯280円という学生の味方の食堂にいやがらせのように大量に押しかけて、おばちゃんを表に呼び出す。

Iくんはさっきもらったばかりの壮行品の花束を「おばちゃんに。」と言ってさりげなく渡し、「どうもお世話になりました。 こいつらもよろしくお願いします。」とペコペコ挨拶する。

うむ、贈与は巡るモノ。

そのあと、いつもお世話になっている酒屋さんにも顔を出し、 お礼を述べて駅へ向かう。

改札口では、会社帰りのサラリーマンたちがぞろぞろ出てくる中、「フレー!フレー!」とエールを切り出し、「またバカな学生たちが…。 」と白い目で見られるのもお構いなく、旅立つIくんに熱い声援を送る。

(サラリーマンのみなさん、どーもスイマセン。後輩たちがご迷惑をおかけします。でもこういう時期ってけっこう大切だったりするんで、 どうかご容赦を。)


時間がギリギリだったので、そのまま急いで電車に飛び乗り浜松町のバスターミナルまで、みんなで小走りで向かう。

タカ タカ タカ。

バスの発車時間には何とか間に合ったので、ほっと一安心。

旅立つIくんをみんなで手を振って送り出す。

「いってらっしゃ〜い!」

また一人東京を旅立って行ってしまった。

見送ったあとに残るこの寂しさというのは、なんとも言えないなぁ。

サヨナラダケガ人生ダ…。

posted by RYO at 22:18| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月01日

息を合わせる

今日は群馬で子育てママさんたちに講座を一席ぶつ日である。

やっぱり私の予想通り、予定通りにはまったく進まず(ややこしいな)、終わってみればレジュメの半分くらいしかやっていない。

というよりそういえば今日、講座中レジュメを一回も見た記憶がない。

(どーもスイマセン。)


今日の講座は話の大半を「息を合わせる」ということに終始する。

人のからだに触れるときに限らず、誰かと一緒に何かをしようとするときに、まず「息を合わせる」 ということは何よりも大切なことである。

私たちはみんな、それぞれ独特の波のリズムでもって生きている。

それは脈であり、呼吸であり、眠りであり、月経であり…。

小さなリズムから大きなリズムまで、まるで入れ子のように波が波を作りあげ、フラクタルな構造を形成している。

その波の繰り返しの独特さこそが個性と呼ばれるわけだけれども、その独自の波のリズムに乗って行動しているとき、 人はきわめて効率の良い動きができるのでほとんど疲れることはない。

人が自分のリズムに乗ってもっとも効率の良い動きをしているのはどんな時であるかというと、それは「遊んでいるとき」である。

人は遊んでいるときにもっとも高いパフォーマンスを示し、大きな仕事を果たす。

(そういう意味ではいかに「仕事を遊ぶか」ということが目指すべき方向でもある。)

けれども、誰か他の人と一緒に何かをしようとするとき、お互いのリズムがバラバラであるとお互いのリズムが乱されてうまく協働できない。

そこで、お互いのリズムを「同調」させるということが必要になってくるのである。

もともと「息の合う」者同士であれば、お互いのリズムがきわめて近く干渉しやすいので、 どちらからともなく同調(シンクロ)してたちまち波に乗れるのだけれど、世の中そうそう「息の合う」人たちばかりではない。

お互いのリズムを同調させるためには、自分のリズムを操作しなければならないことになるのだけれども、 人のからだに見られる、数ある波のリズム(脈動、呼吸など)のうち、もっとも意識で操作するのに適しているもの、それが「呼吸」である。

ふだん私たちは呼吸を、意識することなく無意識に行なっているが、やろうと思えばいつでも意識して止めることができる。

つまり呼吸は、人の「意識」と「無意識」の狭間でその両方にまたぐようなカタチで現われる、とても特殊な波のリズムなのである。

だからこそ、人間の無意識部分に働きかけるための自己啓発メソッドとして「呼吸法」というものが、 さまざまな宗教や鍛錬法の秘儀として世界中で伝えられてきた。

そして、その「呼吸法」というものは他人の波と同調するときにも非常に重要なメソッドなのである。

相手の息に合わせて、相手の波に沿う感覚。

同じ振動数を持つ二つの音叉が、片一方が振動し始めるともう一方も振動し始める「共鳴」という現象を示すのと同じように、 きわめてキメ細かく息の合った者どうしのあいだには「感応」という現象が現われる。

そのときその二人はつながっている。

それは喩えるならばまるで、頭が二つ、手が四本、足が四本ある一つの生命体のようである。

(もちろんその数はもっと増やすことができる。)

古人はそのような状態を「自他一如」と呼んだけれど、それは息を合わせて「大きな一つの波を生み出しそれに乗る」 ことによって可能になる。

その現象は自然界にも見られる。

例えば「渡り鳥の編隊」である。
(右写真、渡り鳥の編隊)

渡り鳥の編隊の形態の多くは「斜め一列」か「逆V字型」であるけれども、 それは湖の上を進む船の後ろにできる波の形に喩えることができる。

ふつうの手漕ぎボートでも、大きな船の後ろにできる「逆V字型」の波にうまく乗ると、 きわめて軽い力で先導する船と同じくらいのスピードで進むことができる。

適切な位置と速度さえ保てれば、大きな推進力の後押しを受けることができるのである。

渡り鳥たちの編隊もそれをうまく利用しており、先頭の一羽の生み出す波に乗ることによって、 後続の鳥たちは一羽で飛ぶときよりも少ないエネルギーで翔ぶことができ、また後続の鳥たちが羽ばたくことによって波を増幅し、 群れ全体(先頭を含め)にエネルギーを返すという、何千キロという長大な距離を翔ぶために編み出された「省エネ飛行法」 なのである(見事と言うしかない)。

その飛行法によって彼らは、年寄りも若い者も、大きい者も小さい者も、群れ全体がお互いを支えあって、 広大な地球を優雅に翔びまわっているのである。

その姿は一つの大きな生命体としか言いようがない。

そして人間のからだというものも、そのようにいわば一つ次数の繰り上がった自我に動かされる状態になると、 不思議なことにすこぶる快調になるのである。

なぜかはよく分からない。

(おそらく、その「場」がコヒーレントな(足並みが揃った)状態になることで、個人的なゆがみや偏りといったものが「場」 の波によるフィードバックによって是正されてくるのではなかろうか、と思うのだけれど限りなく仮説の段階に過ぎない…って文章硬いですね。 スイマセン。)


であるので、誰かと何かを一緒にやるとき、あるいは人のからだに触るとき、「その人の息に合わせる」ということをすると、 きわめて物事がスムーズに進む上に、なんだかからだまで軽くなってきちゃう、ということが起きたりもするので、 ぜひぜひみなさんにもそのような感覚を身に付けていただきたいと思っているのだけれども、 そんなややこしいことまでは講座の中では特に触れずに、とりあえず「相手の波に乗りましょう」と、お互いのからだをユラユラ揺らしてみる。

この「からだを揺らす」ということも、その揺らしのリズムは相手のからだにいわば「発見する」ものであるので、 それはまたクドイようだけれども「打検士の叩き」 にきわめて似ているものなのである。

相手のリズムに乗って自ら揺れていると、まるで一体となって揺れてくるので力はぜんぜんいらない。

むしろ一緒に揺れて気持ちよくなってくるくらいである。

ユラユラ。私はカモメ(笑)。


「子育て」についての講座であるはずなのに、何だか全然カンケーないことやっているような気もするけれども、イヤイヤ、 そんなことはない(ハズ)。

子育てにおいて「子どもと息を合わせる」感覚というものは、とてもとても大切なことであるので、 このように訓練しておくのはとてもとても良いことなのである(ハズ)。


私はときどき電車の中で、テキトーな人を見つけてその人の呼吸を観察しながら、さりげなくその人の息に合わせる、という「遊び」をするのだけれど、 それはそのまま「息を合わせる訓練」にもなるし、けっこうオモシロイ。

きちんと「息が合ってくる」と、その人になにか変化が現われるので、それを見ているのもオモシロイですよ、 とママさんたちにお茶目なイタズラを勧める。

「まずはダンナさんの息に合わせてみてください。」とも、さりげなく付け加えて。


講座のあとはいつものように愉しいお食事会となり、 今日もありがたくお相伴させていただいたのだが、これもまたいつものように、 テーブルの上には知識の乏しい私には味も材料もまったく想像のつかないものが並び、一口目をほおばるたびにどんな味がするのかドキドキワクワクする。

ドキドキ、ワクワク、パクパク。

うん、美味い。

そしてまたいつものように、タッパーにつめてお持ち帰りさせていただいた私は、たった今ブログの文章をパシパシ打ちながら、 ビールのお供にパクパクと食べているのである。

パシパシ、グビグビ、パクパク。

うん、美味い。

posted by RYO at 01:10| Comment(10) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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