朝から蒸し暑い東京を抜け出して新幹線に乗っていたら、小田原を超えたあたりで車体をぽつぽつと叩く雨音が。
ふと窓に目をやれば、雨だれがガラスを真横に走る。
山にけぶる雲の合間にのぞく富士山の山頂付近には、谷間に残る残雪がちらほらと見え、あそこはどんな空気なんだろうと空想してみたら、肌にぞわぞわと不思議な感覚が起きた。
車窓に映る色模様は、遠い山にけぶる薄紫と、地上にポツポツと紫陽花の濃紫。
梅雨だなぁ。 いやニッポンだなぁ。
しかしこの最近のジトリと肌にまとわりつく湿気にやられて、けっこう体調を崩している人が多い。
息苦しいとか、だるいとか、湿疹が出ているとか、気持ち悪いとか。
高い湿度に呼吸が浅くなりハァハァと胸で息をしているときにシケた食べ物を口に放り込んで、みんなますます鬱々として、からだのなかをけぶらせている。
ずいぶん前にも書いたけれども、このまとわりつくような湿気と、どよんと晴れない低い空と、かすかに傷んだ食べ物で、誰もが自家中毒気味になって、だるさに中っているのだ。
そんな私もふと気を抜くと、横になってだらだらと堕ちてゆく誘惑にかられ、「ああ、このままダメになってしまいたい…」と、ひとり呟いていたりする(笑)。
いやぁ、イカンイカン。やること山ほどあるぞ。
こういうときこそ発酵食品をばかばか食べて、中からデトックスだ。
なんてそんなことを考えて、ここ最近おもむろに梅干しやらぬか漬けやらを食べ始める。
やっぱり梅雨こそ発酵食品だろ。ボリボリ。
腐ってないで発酵するべし。ボリボリ。
発酵大好き人間である私などは、発酵食品を食べるのはもちろんのこと、飲んで酔うのも大好きだし、漬けて発酵させるのも大好きなのだが、それはもう「発酵」という営み自体に対する限りない偏愛であると言っても過言ではない。
で、最近ふと思ったのだけれど、人が酒を飲んで酔うっていうのは、これは微生物の仕事に酔ってるんじゃないかと、そんなことを思うのだ。
微生物たちは時間とともに劣化してゆく有機物をどんどん分解しながら、そこからスピリッツ(酒精)を取りだすという、あまりに美しすぎる仕事を果たしている。
それは穀物のメタモルフォーゼ(変容)であり、スピリチャライズ(霊化)と言ってもいいだろう。
どうしてそんなことができるのか。まったく霊妙というほかない。
そんなものを体内に取り込めば、人も酔いしれるに決まってる。
だって、そんな仕事はたまらんぜ。
シュタイナーは「アルコールを飲んで酔っている人は、自我をアルコールに明け渡している」とか何とか言っているけれど、そりゃあだって気持ちいいもの(笑)。
自我? こんなすげぇ仕事してくれたんなら、いくらだってあげちゃうよ。あげちゃうあげちゃう。 ハハハ…。
穀物のスピリッツ(酒精)が人の代替自我となって人のスピリッツ(精神)をコントロールするとき、誰かに自我の座を明け渡してしまった快感に人は酔いしれている。
それは、人に代わってそれだけの仕事を果たしてくれた微生物たちの働きに対するリスペクトでもあるのだろう。
私たち人間がやるべきことを、微生物たちは物質レベルでやっているのだ。
だからこそ人は自分の自我を明け渡しその仕事に酔える。
でもそこで、「じゃあもうオレはいいや。お前らに任せる」と言って完全に投げ出してしまったら、それは単なるアル中だ。
そうじゃなくって、その素晴らしさに酔いしれたら、「自分だってこんな仕事をやってやるぜ」と発奮しなきゃいかんのだ。
「物質レベルでお前たちが果たした仕事を、オレは精神レベルで果たしてやるぜ」と。
手足に力をみなぎらせ、世に倦む澱を分解し、それを発酵メタモルフォーゼさせ、見る人を酔いしれさせるような、そんな仕事をやっていくのだ。
発酵という営みを、私の精神の中でも起こすのだ。
目の前の事象を取り込んで、人が吐き出したものも飲み込んで、どんどん分解して、そこからスピリッツを取り出せ。
怠惰に腐って周囲に悪臭を放っている場合じゃない。それじゃ微生物以下だぞ。
そうだ。やるぞコンチクショウ。グビグビ。
しかし旨いなコンチクショウ。ボリボリ。
いい仕事してやがる。
負けてたまるか。ボリボリ。
…クソー。


